お祈りも、自分のためのお祈りは、甘くなる。もう、今まさに死ぬかもしれないという人、
病気で大変という人、そのために祈るのだったら、自分は寝ずに祈れる。もう真剣に集中できる。
だから、人のために祈るっていうのは、やっぱり、練習として、ものすごい必要、大事。
それも今の一瞬で、祈って治さないとっていうくらいに絞り込む。

本当に真剣になったら、お祈りも本物になる。よく寝食を忘れて、寝るのも食べるのも忘れてと言うけれど、
真剣なお祈りは寝食を忘れて祈るしかない。寝てられない、食べてられない、そんな暇はないの。
本当の命がけのお祈りはそう。そんなことに心が向かないの。寝たいとも食べたいとも思わない。
もう、祈るしかない。祈りだけ。没頭できる。これが本当の意味の寝食を忘れて祈るということ。
この時は本物の祈りに変わる。だから、病気の人を相手に祈る時は、病気をもう、全部忘れるまで没頭する。
病気がちょっとでも心の意識にあったら治らない。もう祈って祈って、神さまだけってなった時に治る。

祈りってそういうものなの。真の神さまだけ、真のプラスだけって祈る。徹底してそれだけに祈り切って、
真の神さまだけ、真のプラスだけ、となったら、祈っている対象が全部置き換わる。病気がさっと消えて、ない。
祈りの練習は、その練習。だから、病気を治すために祈った練習は、その練習だったの。
病気を治すのが目的とは違う。祈りの練習。もう、真剣に祈るための練習。

だから、どんな問題でも真剣に祈ったら解決する。それも、自分のために祈ったらダメ。
自分のことはもう、何もしない方がいい。人のために祈ったら、自分の問題を全部、他の人のお祈りで
変えてくれる。自分の祈った、与えた通りに、周りから大勢が祈って変えてくれる。
だから、自分のためにしたら絶対ダメ。それは間違う。自分のことはもう、何も考えない方がいい。
自分が病気だから祈ったって、治らない。でも、人の病気を祈って治してあげたら、
自分の病気はもう消えて、無い。

 身代わりに振り替えて受けるというのでも、本当は、自分が振り替えて、マイナスを取って消してあげる
っていうのとは違うの。それをしたからどうこうということでなく、自分が、もっと大きいところから、
マイナスを振替えて消してくれるすがたを感じとるためなの。自分のさせてもらったのと同じことで、
大きく助けてもらうのを感じ取るためなの。マイナスを背負って、それを自分の祈りで消しているのではない。
反対。その背負った分をもうひとつ上から、身代わりに背負って、取って消してくれている。
背負ったのは、自分が祈り続けて消したっていうのとは違う。上から、大勢の沢山の振り替えの技が加わって、
分担して、小さくしたのを全部取って、瞬間に消してくれるすがた。それを実感するためにする、
そうすると、入れ子構造的に大きい助けが常に降り注ぐっていうのが、よくわかってくる。

だから、背負った方が得をする。背負ってあげたら、大きく背負ってくれるのが出てくる。
神さまの入れ子構造の愛の働きのすがたがそう。入れ子構造的な大きい助けが降りるのを、
自分が体験して実感するため。これも本当の真の神さまの愛の働きを、もうひしひしと感じられる自分に
なるための訓練。真の神さまは、自分の中にずっといるというのは、そういうこと。

だから、振り替えの技、振り替えの仕事をずっとし続けたら、真の神さまが大きく降り立つ。
真の神さまが、直々にずっと降りて下さるような感覚になる。大きく降りて下さる。
だから、小さく出会うのと、大きく出会うのとは違う。大きく出会うため。
そしたらもう、過去を相手にしない。この世を相手にしないでいい。この世は過去の遠い昔の残像。
遠い昔の言葉通りに出て、消えていくだけ。だから、真の神さまだけを新たに新たにって、相手にする。
一大循環の相象(すがた)を受けるのは、真の神さまだけに照準を合わすの。一点じゃないから。
全方向、無限大の外、全体から、全体から大きく光を浴びるの。

真祈りっていうのは、すべての立場から、すべての立場へ、全方向から全方向へ、真の神さまを与え続ける、
これが真祈り。支える、支え合う真祈り。小さくではない。全ての立場って沢山。無限の無限。
全ての立場から全ての立場へ、真の神さまを与える。全方向から全方向へ、真の神さまを与える。
そしたら、真の神さまだけになる。他には何もないっていう感覚になってくる。これがお祈り。
本当のお祈りは、真の神さまだけっていうお祈り。だから、マイナスなんかどこにも入ってこない。
もう、幸せだけ、喜びだけ。真の神さまを与え続けて、真の神さまで埋め尽くして、真の神さまを山盛りにする。
「やまもり」って、無限の神さまの護りっていう意味。「や」が無限っていう意味に、「まもり」。
もう本当に言葉通り。真祈りを、ありがとうございますを祈り続けたら、本当に真の神さまだけって実感できる。
必ずできる。常に真の神さまだけ。

布施行の「布」は、ぬの。布っていうのは、縦横の折り目がついているもの。
神さまの働きは、縦糸と横糸の縦横無尽に組み合わさった、一大循環の相象がそうだけど、
縦横無尽の、この与える働き。

絨毯爆撃っていうんだけど、あれは効果がものすごいの。絨毯爆撃っていうのは、爆弾を落とす時にね、
1個ずつ落としても、1箇所破壊するだけ。小さい破壊しかできない。ところが、たくさん、いっぺんに、
ザーッと落としていくと、必ずどこか火の発する場所ができる。燃え上がるところが出てくる。
1箇所、火事が起こればいい。
それでその火事が広がる。全体を焼き尽くしていって、焼け野原にできる。
爆弾だけの破壊力はわずか。全体を焼き尽くすのが本当の働きになる。それで、絨毯爆撃って、
たくさんの飛行機が連帯で来て、ワーッと爆弾、絨毯爆撃、全体に落とす。これが、マイナスの絨毯爆撃。

神さまの絨毯爆撃は、違う。光の絨毯爆撃。神さまの方が、光を一杯落としていく。
それで、あと、燃え上がる。光が燃え上って、全体をバーッと明るく照らしてしまう。
だから今、ポスティングするのは、それを目的にしているの。大体1箇所に、絨毯爆撃している。
そこでバーッと光が、その落とした光だけでは、ダメなの。その光が大きく、一つに燃え上がる。
それで、全体をバーッと照らす。そしたら、同じポスティングが、効果が、
何倍じゃない、何十倍、何百倍になっていく。そのためにする。

(平成26年1月25日のお話 第2部)