真の神さまはみんなに早く真祈りの祈れる自分になって、真の神さまと本当に一つになって、
大きい働きをしてほしい。そのために一番易しい方法を、一番易しい方法をみんなの前に示してくれている。
阿弥陀様のように、六劫の間、無限の年月、難行苦行を一杯して、ありとあらゆる修行を一杯して、
阿弥陀仏になったのと違うの。そんなのは不可能。一番易しい方法で、誰でもできる方法で、
神さまが大きくバックアップして、神さまの手伝いをするだけで、神さまの方から自分の中に降りたって、
悟りを開かせてくれる。

自分が修業して悟りへ到達しようというのではない。反対。神さまのお手伝いをするっていう
自分の気持ちに応えて、神さまが降り立ってくれるだけ。ただこれは自分の自由意志で
神さまのお手伝いをしたいって選ばないといけない。本当の神さまを全てに与え尽すお手伝いをしたい、
っていうこの気持ちがあったら、神さまが大きい光を添えてくる。
そして真祈りを祈れるように変えて、神さまの計らいそのままで、すっと必要なものを降ろしてくる。

だから同じ冊子一冊にも、真の神さまが降り立ったら、大きい光になる。
みんなが本当に真祈りを祈れるように、神さまが降り立って変えて下さったら、単なる真理の灯台ではない。
一人一人が太陽になる。今、冊子一冊が灯台のようなもの。でも、みんなが真祈りを祈れたら、
一人一人が太陽になる。一万の太陽が地球を照らしたらどうなるか。闇が消える。
どんな深い闇も消えてしまう。闇は存在できなくなる。だからみんなが本当に真祈りを祈れるようにしてもらって、
一万人が力合わせたとしたら、不可能を可能にする大きいものが降りてくる。

だから神さまは本気でね、絶対救うという確信の元で、この運動をしてくれているの。
本当の絶望を希望に変えてくれている。絶対不可能というのを可能にしてくれる。
だから神さまの愛をどれだけ信じるか。神さまの愛を信じ切って、神さまと共に歩む。
自分が何をしてもダメ。我の自分にはなんの力も無い、無力。邪魔するだけ。反対なの。
ある意味では自分は何もしない方がいい。邪魔しない方がいいだけ。

ただ神さまのお手伝いをしたい、神さまの御心のままに生きたい、そういう気持ちがあったら、
神さまが自分の自由意志を尊重して使ってくださる。だから神さまの御用に使ってもらうだけでいいの。
そしたら神さまが全てを、言うたら、神さまが全部をしてくれる、全てをしてくれる。
お祈りも神さまがするの。ありとあらゆる働き全部神さまがするの。
現実化するのも全部神さまの働きの結果。

だから神さまの働きっていうのは、常に無限の無限の後押し、応援、支え助け、バックアップ。
自分は前へ進もうとしたらいいだけ。神さまの手伝いをしたい、この気持ちで前へ進むだけ。
そしたら神さまの無限の無限の後押しがある。応援がある。助けがある、支えがある、バックアップがある。
何の心配もない。喜び勇んで、幸せ一杯に、喜んで喜んでしているだけで、
いつの間にか神さまの世界に置き換わっていく。だから真祈りの祈れる自分になるために、
真の神さまをみんなと、力を合わせて、全方向から与え続ける、真の神さまを与え続けて、
埋め尽くしてしまう。

本当に真のプラスだけを相手にしたらいい。マイナスや虚をどうのこうのではない。
真の神さまだけを、本当に思いつめるの。それ以外何もない。真の神さまだけ、真の神さまだけって、
真の神さまを与え続けるだけ。それもみんなと一つになって、全方向から与え続けるだけ。
そしたら一切のマイナスは消えてしまう。

病気でも、病気を治そうとしたら、病気は増え続けている。医学が発達したから、
病気が消えて無くなっているのではない。医学が発達して、病気を治そうとして、
病気の数がどれだけ増えたと思う?増え続けている。マイナスを相手にしたら、マイナスが増える。反対。
無限健康、完全健康、これしかないって言い続けたら、消える。そこがやっぱり違うの。
虚の世界のお祈りじゃ、マイナスのお祈り。プラスを加えても、マイナスの伴ったお祈りだから、消えない。

真祈りが、プラスだけのお祈り。一切、マイナスを相手にしないお祈りだから、言葉通りプラスだけになる。
だから真祈りを祈れることが、即そのまま、幸せそのものなの。一切のマイナスを相手にしなくて済む。
今まではマイナスをどうしても掴んでしまっている。真の神さまだけ、プラスだけになっていない。
そこが問題だっただけ。

だから真の神さまだけを相手にする。常に一対一。だから真の神さまを与え続けて、埋め尽くしたら、
真の神さまだけしかないって、常に真の神さまだけっていう風に持っていくの。そのために、真祈りを祈る。
真の神さまを与え続けている、っていうこの気持ちで、ありがとうございます、ありがとうございます、
これだけでいい。後は真の神さまの働きだけで、全部置き換わる。

(平成26年1月18日のお話②)