曼荼羅というのは、悟った仏様の集まった全体像っていう意味だけど、今後色んな姿の曼荼羅を作っていきたい。
ありがとうございますっていう神さまを中心に置いて、それが花開いた姿とか、色んな表現があると思う。
例えば、1本の木があって、ありがとうございますの中心に木があって、枝が張って、
色んな真理の真の言葉が散りばめられているものとか。桜の木を1本、花を咲かして、
花びらで神さまの特性が花開いているって、そういうのも面白い。
大自然の色んな模型に現れた姿を眺めたら、色んな神さまの表現のすがた、曼荼羅が生まれると思う。
そういうのを1つ、印刷できたのを紙でもぱっと貼っとけば、一目見ただけでありがとうございますって
凄いもんだなって感じやすい。小さい紙に書いたのを1枚合わせて本にしたものと、
どっちがインパクトが強いか。一目パッと見るだけで、あぁ、真の神さまって凄い、
全部真の神さまだなって感じた方がいい。こういう(「ありがとうございます」と書かれた)シールを
1枚貼るよりも、このシールを中心に花開いたすがたがあった方が、真の神さまが全てだってよくわかるし、
真のありがとうございますの意味も分かりやすくなると思う。

言葉もたくさん散りばめるのもいいけど、厳選された色んな言葉でパッとわかりやすくするのもいいかもしれない。
幸せだったら、幸せで埋め尽くすとか。千でも万でもいくらでも作り出せる。
美しいもの、楽しいもの、素晴らしいもの、表現はいくらでもとれる。
そこへ、本当の真のプラスの言葉を加えていけばいい。だから、ありがとうございますって祈ればこうなるっていう、
すがたを現実化して見せる。だから、一目でパッとわかるのが1番理想。

ありがとうございますという文字も、まっすぐだけがいいのと違う。
螺旋に降りるような表現のありがとうございますもいいし、ありがとうって降りて、
ございますで上へ戻るような表現もいいし、大きいありがとうございますが、
小さいありがとうございますに変化するすがたで見せるのもいいし。

色も、今はカラフルにできるから、ありがとうございますを10色に変えるとか、
小さく散りばめてありがとうございますの色を全部変えてしまうとかいうのも、印象がいいじゃない?
美しく見えて、素晴らしく見えてとか、荘厳に見えてとか、色んなものを一杯込められたら、
一目見るだけで、ありがとうございますの力が出て来る。そういうものに添えて色んな説明文、
わかりやすくするための説明文をちょっと添えるとか、裏に書くとか、そうするとそれもまた、
役に立つかもしれない。色んな工夫を凝らさないと、安くていいものは作れない。
それをできるだけ早く、全部に、全てにっていうのが本当は理想。

だから、みんなに受け入れてもらえるように与えていかないと。受け入れない人は、
受け入れないままでっていうのは、その人にとってまだ必要なものを与えてないから。
現実化がまだ十分ではないっていう意味。もう、全てに受け入れてもらうすがたを取ると言うのが
本当の与え方になるから。漫画しか見ない子供には、漫画に変えるとか。「変身!」って言って、
ありがとうございますで変身するすがたもいいね。ありがとうございますを唱えて変身するすがたを
取るかもしれない。またそれは実際に起こること。ありがとうございますを唱えたら、
本当に自由自在に変身できる。ままごと遊びも泥饅頭がね、ありがとうございますで本物になったらいい。
実際ご馳走もね、ありがとうございますで、おいしく変わるんだしね。
病気でも、ありがとうございますで、一瞬に治ったすがたとかね。
具体的に表現すると、祈ったら治るよって言うよりも、やっぱり印象が強い。心に焼きつく。
そうすると、ありがとうございますの効果が大きく出る。だから、本当に必要な言葉を具体化して、
必要な形に変えて、必要な時に必要なものを与えないと。それが、真の神さまを与え続けるっていう意味。

そういう真理の言葉をみんなに無償で与えて、それをみんなに自由自在に使いこなしてもらって、
Tシャツに印刷するとか、色んなことをみんなが具体的にしてくれている。
ポットにありがとうございますが入ってるとか。今はもう、だいたい、封筒に入れてくれたり、
包み紙にありがとうございますを印刷してくれたり、色々順番にしてくれている。
もっともっと、ありがとうございますに限らず、色んなプラスの言葉が一杯になった方がいい。
だから、プラスの言葉でもう一杯にしてしまったら、マイナスは消える。
そしたら、本当のプラスだけの世界に変わってくる。だから、プラスの言葉とマイナスの言葉の、
やっぱり戦いみたいなもの。プラスの言葉で埋め尽くして、マイナスを全部消してしまわないと。
どこにもマイナスの言葉が出てこられないようにしてしまうのが、真の神さまを与え続けるっていうこと。

だから今は、最初の出始め。これから色んな姿を取り続けて、効率よく、本当の神さまを、
真の神さまを与え続けるの。それが、楽しくなってこないと。することが、もう楽しい、喜び一杯ってなって、
幸せが大きくならないとダメだから。実際、本当の必要なものを与えたら、その幸せは必ず自分にも
大きく戻ってくるから。湧き上がる幸せがどんどん増えるはず。もう楽しくてたまらないっていうふうになるはず。
そういう運動をどんどん、輪を広げてしていきたいと思う。

それで、みんなのアイデアを一杯出してほしい。アイデアっていうのは、思いついたときに
メモを取っておかないとダメ。後でと思ったら全部忘れる。アイデアっていうのは、そういうもの。
だから、いつもメモ帳を用意しておいて、ふっと思いついた時に書き留めておくのが1番いい。
その集まったのをまたみんなにも紹介していく。お互いに響きあうと、必ずもっと新しいのがどんどん降りるから。
これも本当の支え合いのすがたで、もっといいものが降りる。一人でいくら考えてもあんまり出ないけど、
響き合ったら、次から次へと湧き出るように出てくる。みんな受けたアイデアを持ってくると思う。

だから、良い言葉を一杯降ろして、それを具体的に必要な言葉に、形に、自由自在に変えながら、
自分らでできるのは自分らで作ったり。印刷所に頼むんだったら頼んだり。
色々自由自在に変えながらしていきたいと思う。誰か、印刷所を経営してくれたらいい。
必要なことを一杯生み出す仕事をしているプロの人とかが、出て来てもいい。両方にとってプラスになる。
世の中にそういうのを広げやすいし。だから、みんな本当は、プロにならないと。
本当のプロを、目指さないと。

本当の大きい目的を持ったら、全部が生きていく。今の世の中のプロ以上のプロになっていかないと、
本当の神さまのお手伝いって言えないかもしれないから。だから、みんなのしている仕事、職業は、
無駄なことは何もさせてもらってない。みんなそれが必要だからさせてもらって、能力磨いてもらって、
さらにもっと大きい仕事を、役目を与えようとしているから。だから、みんなのしていることを全部、
一つに力を合わせて生かし切らないと。世の中の、色んな能力を持った人を全部仲間に入れないといけない。
大きい運動になってこないと。

目的は一つ。世界を平和に、みんなを幸せにって、大きい目的のために動くんだから。
世界を破壊して、みんなを不幸にしてではないから。みんなが本当に神さまの目的になってきたら、
本当の恩返しのしあいだから、お金なんか、もう関係ない。みんなで必要なものを与え合って、
幸せ一杯にしてしまうっていう生き方だから。それをみんなが支え合うんだから。
本当に必要なものだけが出て来る。最初は、僅かな人が、そういう助け合いの支え合いのすがたを取って、
輪を広げていかないと、世の中全体に広がらない。本当に必要なものを与えていくっていうすがたを
取っていかないと。必要な、本当の言葉を。言葉が一番の目的。

誰か漫才師になる?本当にプラスの言葉だけを使う落語家なんかすごい。漫才師もすごい。
人気が出ると思う。ぼやき漫才では、あまり人気はでないかもしれないけど。
みんなの心が本当に幸せになるような、プラスの言葉が一杯飛び出すような漫才が出たら面白いと思う。
プロを目指して。

色んな絵を描くのでも、本当に幸せ一杯の絵を描けるようになったらいい。
人の描いたのは使えないから、みんながそれを一人一人が工夫しながら、自分のものを、作っていかないと。
それを無償で与えて使ってもらったら。年賀状に描く色んな絵でも、あまりいいのが少ないから、
本当に素晴らしい良いものをってね。それでも、みんながアイデア出して、色んなもの一杯作って、
そういうもの提供してあげたら、みんなが真似する。素晴らしい絵が一つあっただけでも、
みんなが使ったら凄いことになる。パッと広がる。だから、どれだけいいものを作り上げて、
みんなに無償で提供するか。それで、自然にサッと広がるのが一番速い。
年賀状の絵をみんなが作って挑戦した方がいいと思う。明るくて、楽しくて、幸せで、喜び一杯。
それも言葉。図案の言葉。

だからもう、世の中を眺めるのでも、そういうのを、探す目的で眺めた方がいい。
それがプラスを拾い上げる生き方。プラスだけを。必要なプラスだけをしっかりプラスを加えたら、
早く良いものが生まれる。だから、自分の中からアイデアで降ってきたものを書き留めるのも大事だし、
見たり聞いたりした中でも、良いものはやっぱり、ちゃんと書き留めていくのがいい。
お互い紹介し合って、こういうのがあったって与え合うのも大事。
だから、一人が一つ幸せを見つけたら、みんなに提供したら、みんなの大きい幸せに変わる。
一つ一つが幸せの要素になる。言葉が一番の幸せの要素。みんな、素晴らしい言葉は幸せの要素になる。
みんなメモ帳を持って、花咲いているのを見て、ああ美しいなあって感じたときは、それが絵柄になる。

  (平成26年1月11日のお話 第2部)