考えてほしいのは、何を伝えたいか。真祈りを伝えるということは、最高のプラスの言葉を現実化して
具体化して、的確に与え尽すっていう、与え方。だからアイデアっていうのは、愛である、
神さまの愛であるっていう意味。本当に必要なものを的確に与えるのが必要なの。その言葉が何かっていうこと。
その言葉も、文字の言葉だけではない。絵も写真も、彫刻もって、色んなありとあらゆる表現のすがたが言葉。
だからその表現する言葉を、現実に合わせて、必要な言葉に合わせて、作りかえないといけない。

それで真祈りを、それを見ることによって、聞くことによって、わかるっていう風にしていかないと。
だからただ単にありがとうございますを色んなものに使ったからって、真祈りが伝わるわけではない。
単なるこの世の虚の、お礼・感謝っていう、ありがとうございますが伝わるだけかもしれない。
それでは全然意味がない、邪魔をする。真祈りを、本当の意味を伝えるのが目的。
その言葉に色々工夫がいるの。

だからカラスが10羽いて、電線にでも止まっていて、ありがとうございますって、
一羽ずつが、順番に、「あ」「り」「が」「と」「う」「ご」「ざ」「い」「ま」「す」って言って、
一瞬に真っ白に変わるとか。それぐらい奇跡が起こるというのを見せないとダメ。
ありがとうございますの力はこういうものだ、っていうのを。それだったら真祈り。
真祈りのありがとうございますになる。真っ黒のものが真っ白になったというのは、奇蹟が起こる、
ありがとうございますは奇蹟を起こす力、ってこう言える。
だからそういういろんな工夫のアイデアが沢山欲しいの。

これはもう、真祈りを祈って祈って、神さまの智恵を、アイデアを一杯受けて、
いろいろ現実に合わせて、みんなが真祈りを本当に感じ取りやすい表現に変えないとダメ。
それをこれからみんなに工夫して、いっぱい作ってほしいの。だから、何が必要かって、
必要な人が、必要なものを受け取らないといけない。みんなそれぞれ必要性が違うから。
堅苦しいものばっかりで喜ぶ人はそれでいい。でもそういうのが嫌い、嫌って言う人もいる。
そういう人には、それは必要ではないの。

だから支え合いのすがたを表現して、ありがとうございますを、本物っていう風に見せようと思ったら、
メダカの大群が、がーっと何かをしているのもいいかもしれないし、
また小鳥のさえずりが、ありがとうございますで、花をいっぺんに咲かせたとか。
面白いすがたをとらないと、人に強い印象を与えられない。

だからみんなそういういろんなアイデアを、出せると思う。みんな天才だから。
それぞれの持ち味を持っている、役目があるから。みんな、必要になったら出てくる。
目的がないと何もできないのと同じ。全然前へ進めない。 だからさっきの色んな目的でも、全ての目的の違いがわかって、全ての目的を全部まとめて一つにしないと、
本当の目的にはならない。だから全体を大きくまとめて地図のように、整理整頓してしまって初めて、
真の神さまの大きい目的がわかる。だから目的っていう字を、後ろから逆さに読んでご覧?「まとめ」。
的(まと)に目。全部をまとめないと目的とは違う。

真祈りを伝えるのでも、色んなもの、本にしてもカレンダーにしても、
色んな形で色んな言葉を紹介するのでも、やっぱりそれを作る資金が要る。出来るだけ安くできる方がいい。
神さまのお手伝いは、お金をとってしたらダメ。無償で、与え続けないと、お金儲けなんて考えたら、
多分波が合わなくなる。だから無理は出来ないけど、色々工夫を凝らして、色んな方法を全部総動員して、
一日も早く一人でも多くに、真祈りを伝えないと。与え続けるというのが大事。

だから真祈りを祈って、与えて与えて、与え続けて、真の神さまを与えて、真の神さまを、全てを与えて、
それも一人ひとりに合わせて、変化させて与えて、それで現実まで真の神さまで埋め尽くす。
これが本当の、菩薩行。それを一人でしたら、偏ったり、足りなくなるから、みんなで協力し合って、
みんなの全ての力を一つにして、大きいものにしたら、完璧なすがたに近づく、なっていく。
だからすべての力が必要なの。全ての力を一つにまとめないと、本当のものにはならない。偏ったらダメ。
だからみんなが力を出し合って補い合いながら、助け合いながら本物を現実化する。
それが冊子配りの目的、本当の実践の目的。それを通して、それを現実化することによって、
神さまの本当のお手伝いに入る。神さまと一つの生き方の自分になっていこうとしている。
神さまが助けに降りてくれたらそうなる。

だから神さまの願いを、目的をしっかりと、自分の願い、目的に変えて、全力を尽くす。
自分が神さまに近づくのは不可能でも、神さまが自分に、降りて近づいてくれるのは簡単。
だから神さまが自分を使ってくれた時に、悟りを「得る」ではなく、悟りを「開く」の。
花でも、自分で開くわけにいかない。種をまかれても、つぼみが開くと言っても、自分の力では開かない。
中から。神さまのいのちが働いて、つぼみが花開くの。それと同じ。
神さまが自分の中に降りて、自分を使ってくれた時に、自然に悟りの花が開くの。
悟りを得るっていうのは、自分が神さまを掴みに行くの。得たと思っても、開かない。

だから神さまの御用に使ってもらう、神さまの願いを、目的を生きる、これが本当のもの。
だから肉体を捨てて、神さまを掴みに行って悟りを得たっていうのは、まだ偽物の方。
神さまが降りてきて、自分を使って、現実化してくれた。神さまだけにしてくれた、
これが、悟りが開いたこと。これが本当の悟りになる。だから肉体を捨てないでいい。
何も捨てないでいいけど、神さまを本当に降ろしきったらいい。神さまが出て来てくれたら、
神さまだけになる。それを本当の目的にするのが正しい生き方。

(平成26年1月11日のお話②)