目的も、色々ある。何のために食べるの?生きるために食べるの、っていう。何のために生きるの?
食べるために生きるのって。同じところでぐるぐる回って、目的を定めている人もいる。
何のために勉強するの?って小学生に言ったら、中学校に入学するためって。
何のために中学で勉強しているのって、高校へ入学するため、って。
次は大学へ行くため、いい会社へ就職するため、素晴らしい人と結婚するためとかね。
色んな目的が出て来ても、本当に最終の究極の目的になるかどうかって、ものすごく難しい。

だからこの、何のために生きるのって言っても、肉体の人生だけを考えていたら答えになっていない。
それでも、部分的にはそれぞれ色んな目的、種類が無限にある。
だから最後の究極の目的にまで目的を定めないと、答えになっていない。本当の答えじゃないの。
悟りを開くためって言っても、そしたら何のために悟り開くの、ってなる。それはまだ答えにならない。

だから虚の世界を救うためとか消すためとか言ってもまだ、本当の目的ではない。
真の神さまの目的にまで一致しないと、ダメ。真の神さまの目的は何かって。
自分の全てを与え尽して、一大循環の相象になりきって、本当に真の神さまと一つにならないとダメ。
真の神さまを生き切らないとダメ。なるって言うよりも生き切って、永遠にこれを、輝かし続けてないとダメ。
同じ状態にとどまることなく、神さまの目的を生き続けないとダメなの。
持つだけじゃないの、目的を持つだけじゃダメ、その目的をしっかりと生き続けないと。
だからこの何のためにというのが一番難しいし、大事なの。

それでその菩薩の心境の人が仏になるために何をするかって、目的を定めないと前へ進めない。
六波羅蜜って、菩薩が悟りを開くために実践する悟りへの道って、その最初に出る布施行、
これも実行しないと前へ進めない。菩薩から仏にはならない。法蔵菩薩は、四十八願って、
誓いを、願いを立ててそれを実行して、悟りに近づいて、阿弥陀仏になった。
菩薩が本当の悟りに向かって進むために、4つの、弘、誓いと願いで誓願、四弘誓願(しぐせいがん)ていう、
この願いを持たないと、前へ進めないの。目的が、目標がなかったら、じっととどまるの。
どっちへ行ったらいいかわからない、迷ってしまう。その目的を、目標を定めた時に、前へ進もうとする。
それも、進もうとするだけじゃダメ、実際に実行しないとダメだから、全力ですべてを捧げて実行して、
前へ進まないと。

この四弘誓願には、どういう意味があるか。一番最初は、衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)。
無辺の全てに存在する、衆生、生きとし生けるものを悟らせるという願い。全てを悟らせる。
この願いを、誓いを立てる。そのために必要なことは、2番目。
煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん) 煩悩、思いを、我をすべて消しきらないと、ダメ。
それも無量の、無限の量の、煩悩を消しきる、これを近いとして立てる。

そして次に、法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)法門、悟りへの道。
これを無限に無尽にあるっていう、全ての真理の道を学び取る、身につける。
最後は、仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)、無上の最高の悟りを開くっていう意味。
結局は、みんなを本当の意味で悟らせる、悟りの世界へ戻すっていう意味。
そのために、自分が全ての我を消さないとダメ。そして全ての悟りへの道を究めないとダメ。
実際に実行して、自分が最高の悟りを身につけないと、力がない。そして全てを救う働きになってくる。
その実践を通して、菩薩は仏になろうとする。

この真祈りのありがとうございますはその上を行くの。本当の真の神さま。
与え続けて、与え続けて、全ての人を救う働きを、具体的に、一人ひとりに合わせて、
本当に必要なものを的確に与え続ける。そして、現実化して、全てに必要なものを与えて与えて、
本心を輝かせて、最高の理想のすがたが現実に現れるまで、必要なものを与えようとするの。
だから枝葉の問題は、あまり相手にしないでいい。言葉。神さまの中に本当のプラスの言葉が無限に一杯ある。
言霊の幸(さきは)う国とは、神さまの世界のこと。真祈りを祈り続けて、その無限にある真のプラスの言葉を、
的確に、必要な人に必要な言葉を与え続けて、現実にまでそれを全てに降ろしてこないとダメ。
無限にある言葉、現実にも無限にある言葉を降ろさないとダメ。ありがとうございます、一言ではないの。

(平成26年1月11日のお話①)