同じ一つの言葉を聞いても、その時の自分の心境に応じて、受け方が大きく変化する。
自分が何を選ぶかが一番大事。自分の見たり聞いたり言ったりする言葉を、
自分の自由意志で選んで、自分の心に積み重ねていく。自分の今の心境、つまり信念、
これは過去の自分の選んだ言葉の集積になる。過去に自分がどういう言葉を選んだか。
見たり聞いたり言ったりする言葉は全部、自分の選んだ言葉。
それがプラスばっかりだったら、プラスの信念、プラスの心境。
マイナスになっていたら、マイナスの信念、マイナスの心境。

その今の心境をどう変化させるか。心境を上げていくためには、言葉を選ぶというのが、大事。
どういう言葉を選んでいくか。自分の見たり聞いたり言ったりする言葉、
どういう言葉を選ぶか、が大事。自分の心境を一番早く上げるためには、真の神さまだけを、
見たり聞いたり言ったりするということを選ばないとダメ。
逆にマイナスの言葉を選んだら、心境を落としていく。

今日はお正月なので、お正月の話を少し。鏡餅についての意味でも、心境に応じて受け方が違う。
単なる飾りと見ている人もある。大きく考えている人は、神さまの模型だと見ている人もいる。
でも、もっと上がある。本当の自分のすがたなんだっていう風に。
本当の自分の生き方を忘れないように、いつも目の前に模型を置く、という意味の鏡餅。

まず、鏡餅のふた重ねのお餅、お餅っていうのはバラバラのものを一つにしている。
バラバラに見えない完璧な一つ。これは一大循環の世界の相象を象徴している。
本当にバラバラに切り分けが出来ない。無限のスピードで、全てが与え尽し合って、
縦横無尽に交差している。だから部分が分けられない、全部完璧な一つになっている、
完璧な流動体としてのすがたが、真実の世界のすがた。鏡餅は、その模型。

ふた重ねは何かというと、入れ子構造を現わす。一番絶対の中心の底から入れ子構造で順番に出てくる、
その入れ子構造の模型。無限に無限に輝いている、というすがたをとる。
鏡餅の「かがみ」っていうのは、輝く身っていう意味。それで鏡(輝身)餅になっている。
無限に無限に大きく輝いているのが、鏡餅のすがた。真の神さまのすがたでもあり、
本心の自分のすがたでもある。その上に、裏白(うらじろ)を載せている。
裏というのは、心という意味。それが白いから、心が純白という意味になる。
無色透明の、純白な、本心の自分の心。本心を無限に無限に輝かせて、その上に昆布を垂らしている。
昆布は「喜ぶ」という。だから常に、喜び勇んで、喜びの心で。

そしてその上に串柿がある。柿も、昔は「輝き」と呼んでいた。欠ける柿ではない、輝き。
輝きが、更に串柿になるというのは、甘みが増して、「奇しき」というのは、神通自在の働きを現わす。
全知全能無限力の神さまの働きを奇しき働きという。魂で言うと、奇魂(くしみたま)って
一番上の魂の働きで、神通自在の働きになる。そういう意味の「くし」になる。
また10の柿を貫いている串は、全てを一つの力に合わせているという意味。
全ての力を一つにまとめている、支え合うすがた。
その上に橙が載せてある。みかんではなくて、橙。これは一瞬一瞬新たに、を永遠に続けるということ。
常に新たに新たに大きい変化を続けるというのが、橙ということ。置き換わるという意味。

この鏡餅のすがたは、真の本心の自分の生き方をそのまま現わしている。
このように生きましょうという意味。年の初めに、一大決意、一大勇猛心を起こす。
「はじめ」という言葉も、端が見える、という意味。端が見える、端見え、はじめ。
端が見えるということは、全体像を掴むということ。全体像がわかったら、端が見えたということ。
全体像が見えていなかったら端が見えていない。部分しか見えていなかったら、そう。

だから象のすがたでも、群盲象を評す、というけれど、象のお腹だけ触っていたら、
部分だけが見えている。端が見えていない。象の全体像を見たら、端が見えている。
そうすると、象の全体の本当のすがたがわかる。この端見え、はじめというのは、常に全体を見ること。
年の初めには、一年間全体を見ないとダメ。月の初め、日の初めも同じ。
月全体を見る、一日の全体を見る。人の初め、誕生も同じ。人の一生を見る。
全体を見なければ、初めではない。

常に初めを見ることによって、全体像を見ることによって、全体を自由自在に心行くまで味わえる。
部分だけだと落とし穴にはまって、迷う、味わえない。
天照大御神様は必要なものを的確に与え尽すすがたで出て来てくれている。必要なものを与えてくる。
それが虚の世界に残像の光になって現れて、虚の世界でも必要なものを与えようというすがたで出てくる。
それがどういうすがたで出てくるか。

しめ縄というのがあるでしょう。これも天照大御神様の模型、象徴。
しめ縄は、縄を螺旋に編んでいる。右からねじれて、左からねじれたのが合わさっている。
しめ縄というのは一番末端が、結び合っている。尻組め縄(しりくめなわ)って、
尻が組み合わさった縄という意味。本当は全部が一つの輪になっている。単なる縄ではない。
尻組め縄がしめ縄で、一巡して輪になって、円環になっている。
一日だったら、一日の全部がある。一年だったら、一年の全部がある。

例えば一日だったら、十二支でいうと、子丑寅卯辰巳…とずっと続く。今年は午年。
一日でいうと、午というのは、正午から二時まで。一番明るく輝く時刻。
年回りで言ってもそう。大きく無限に明るく輝く年と見ることが出来る。
前に進むだけでいい。ただ、一巡する変化というのを、どう味わうか。
最初に、一巡するものを与えてもらった、この味わい方が、色々ある。
ご飯を食べる時でも、腹八文目が一番いいと言う。満腹だと一番頂点を味わっているけど、味気ない。
だからお腹の一番空いた時があって、満腹の時もあって、腹八文目というのは、
全体を味わい尽くす生き方。

季節でいっても、四季の変化というものがある。地球の地軸は23.5度に傾いている。
傾かなかったら、味気ない。暑い所は暑いまま、寒い所は寒いまま。
傾くことによって変化が起こる、四季の変化が起こる。その四季の変化の全体を一年としてとらえた時に、
全ての季節を最高の状態で味わえる。夏は夏で最高。冬は冬で最高。
この受け方が、全体を捉えた時に出来る。常に全体を把握しながら、部分を、余裕をもって味わう。

そういう意味で天照大御神様が、虚の世界に残像として出てきた時は、円環になって降りてくる。
真実の世界は、もっとすごい。虚の世界でも、今の地球のこのすがたは、太陽一つだけれど、
他の星では、太陽が10あるところもある、100あるところもある。
真実の世界は、一つのものに対して、太陽のような天照大御神が無限にある。
無限というのは、絶対闇がない、マイナスがない。常に最高のプラスだけが全体から降り注いでいる
すがただけれど、虚の世界はそこまで行かない。残像の世界だと、どんどんどんどん光源が小さくなって
落ちてくる。それで今は一つの太陽が地球を照らすというすがたをとっている。
他の星で、もっと太陽が身近にない、太陽が消えていく星もある。
虚の世界は残像の光だから、そういう風になっている。

(平成26年1月1日のお話①)