真のありがとうございます 

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 普段の生活の中で本当に、本心を生きているか?生きているというのは不可能だけど、生きようとしているか。
本心の自分を一瞬一瞬真剣に生きようとしているかを反省してみると、やっぱり忘れている。
まず、本心の生き方の第一項目、真のプラスの言葉を駆使しているかどうか。真のプラスの言葉を使いこなしてない。
そしたらもう、我の自分。それも遠い過去の残像としての小さい我の自分を生ききっているような感じ。
我が減っているかというと、減らない。増えるばっかり。どんどんどんどん、小さい我を増やし続けているのが普通。日常生活全部そう。

普通この世で、自分がどんな仕事、働きをして、どんな素晴らしいものを生み出しても、
これは我を消す働きにはなってない。我を増やすだけ。積み重ねるだけ。神さまから見たら、マイナスを積み重ねて、増やしているだけ。
神さまから見て、本当にこれがプラスというのは、我が消えるということ。
我が消えて、邪魔をしなくなったのが、神さまにとってのプラスになっていく。
プラスを、必要なものを、与え続ける神さまの側のプラスとは少し違うけど、
虚の世界においてはまず、我を消すのが、神さまの本当の願い、お手伝いになっていく。

どうしたら我が少なくなっていくか、減らしていけるか、消していけるか。一番心の痛みも苦しみも無しに消せる方法。
一大循環の相象(すがた)が支え合い。支え合いで、プラスばっかになっている
我を消すのも、支え合いがないと、神さまが働かないから、我が絶対消えない。
自分でというと、我が強すぎて、神さまの助けと合わない。支え合いいうのは、自分を絶対表に出さない。
全体を下から底から押し上げて支えよういうだけだから、本当の縁の下の力持ちでないとダメ。
その働きが神さまの働きと一致していくから、我を消す働きが降りてくる。

だから日常生活でいろんなことをする場合でも、支え合いの中に自分を置かなかったら、
どんな働きをしても我を増やしている。能力のある人ほどそう。いいことをしたと思っていたら、もう大きい我。
神さまにさせてもらったなんて思えない。自分がしたとなってしまって、我ばかりを大きく積み重ねていく。
だから、自分を出したら損をする。

我を消してもらう方法は、自分を一番下へ落とさないとダメ。一番最後にしないと。
そして、必要な大事なことを与えるために、支え合う。そこに神さまが降りてくる。
我を消すための大きい光がどれだけ降りるかは、みんなが支え合うすがたを取った時に、この量が決まる。
2
3人が支え合っても小さい働き。10人だったら、それなりの大きい働きに変わる。
それが百人になったら、もっと大きい神さまの助けが降りる。だから、色んな意味で、支え合いの輪が大きく広がらないとダメ。
そうすると、大きい働きが降りて、自分だけではなく、周りの縁ある人全部、大きく我を消してもらえる。

小さい我でも、1つ消すのは痛みを伴う。我を出した時に、バーンと光を与えられたらものすごいショック。
全部否定されるから。我を消すというのは、その我を全否定してもらって、全破壊してもらって消える。
こんなことしてはダメ、という程度ではない。完全に木っ端みじんに叩き潰してもらわないと、我は消えない。

一瞬一瞬、我を出し続けたのを消してもらうと言ったら、頭を叩かれるぐらいではない。モグラ叩きでは消えない。
本当に木っ端みじんに、鬼が鉄棒で叩き潰すような感じで叩いてもらわないと、我はなかなか消えにくい。地獄はそういうもの。
我が出たら叩き潰してくれる。でも、またすぐ出るから、また叩き潰してくれる。それでも追いつかない。
消えても消えても、増やし続けるから。

だから本当に、痛み無く消してもらう方法は、やっぱり自分の自由意志で、本心をしっかり生きようとすることだけ。
本心の自分が支え合いに生きようとする。その時だけ、傷つかずに心の痛みも苦しみも無しに、
一大循環の流れの中へ入っていこうという生き方をとれる。だから逆流ではダメ。
この流れの中に融け入っていくような感じだと、傷つかずにスーッと消してもらえる。

日常生活の全てが本当の本番。我を消す本番。今まで、地図作りを色々勉強してきたけど、
地図の勉強をしても本番とは違う。いくら地図で分かっても、実際に道を歩いているのではない。


(平成25年7月27日のお話 第1部A)