真のありがとうございます 

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 全方向に与え尽すほど無限倍に大きくなる。小さく与えると小さくなる。真の神さまに与え尽くすというのは、全方向に向かって。
この気持ちがいる。お祈りが全体に与え尽くすお祈りに変わらないと、本当の循環にならない。
一方向に与えても、小さくなるだけ。だから、大きい祈り方がいい。全体に与え尽くす。
それも真の神さまを与え続けるというのがいい。それが真祈りのありがとうございます。それを一瞬一瞬新たに、命懸けでする。

真祈りのありがとうございますと普通のありがとうございますは、全然違う。真祈りにならないと。
真祈りで祈ったら、本心の自分に戻る。本心の自分を忘れたら、真祈りが出来ていない。
本心の自分は、真祈りを祈るのが役目。祈らずにおられないのが本心の自分。祈るのを忘れたら、虚の世界に転落する。
だから、祈り続けることが必要なだけ。祈り続けたら、本心の自覚、本当の真の神さまの自覚に戻る。
ありがとうございますの一言。蘇る。元からそう。忘れたから、虚の我の心になるだけ、祈っていたら、絶対我にはならないし、
虚にはならない。だから、祈る。先に、祈るというのがいい。

ありがとうございますの一言。真のありがとうございます、真をつけたから、真のありがとうございますになるのではない。
祈り言葉には、真を本当はつけない。ありがとうございますの一言が、本心の自分の祈りになったら、真のありがとうございます。
真祈りになる。思いの心で真をつけて、真のありがとうございますを唱えたから、真の真祈りになるかというと、違う。
祈り言葉は、ありがとうございます一言だけ。何もつけない。ありがとうございますだけでいい。それが本心の自分の祈りになったら、本物になる。

本心は、与え尽くす自分だから、真の神さまを与えるという気持ちになれたら、本物になっていく。
ありがとうございますは祈り言葉と違う。真の神さまそのもの。祈るというのは、与えるという意味。
言葉を唱えるという祈りと違う。本当の祈りというのは、与えること。
だから、真の神さまを与えるのがありがとうございます。これが本心のするお祈り。
これが出来たら、幸せ、無条件の幸せが湧き上がる。唱えずにおられなくなるのが本当。

本当に奥が深い。でもだんだんと、それに気付く。ピタッと合ってきている。単なる波が合ったという意味ではない。
本心の自分が拝み出されてきて、本心の自分が祈れるように、変わってきている。虚の世界の波の変化と違う。
本心の自分が出て来て、真祈りになってきている。それはもう、拝み続けてもらっている。
真の神さまを与え続けてもらっているから、自分も変えてもらっている。
だから、自分も与え続ける。与え続けたらよくわかる。どれだけ祈ってもらったか、与え続けてもらったか、気付き始める。
元から本当の支え合い。さざれ石の巌となって、完璧な一つになっている。ばらばらではない。本当の完璧な一つの支え合い。



(平成25年7月13日のお話 第3部)