真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

 

 嫌いと言ったら、嫌いになっている。好きと言ったら、好きになっている。あの人、いい人と言ったら、いい人に感じる。
あの人、悪い人と言ったら、すぐに悪い人に感じる。全部言葉通りに感じる。ああ気持ちいいと言ったら、気持ちいい。
気分が悪いと言ったら、気分が悪い。言葉で一瞬に変わる。だから、プラスの言葉だけ使っていたら、虚の世界も幸せ一杯。
虚の世界でも幸せ一杯。真実の世界に、言葉が、波が合えば、その幸せが無限倍に変わる。
まず、虚の世界で、プラスの言葉だけをしっかりと使いこなして、虚の世界の幸せを満喫すればいい。
言葉通りに幸せになれる。一瞬に変わる。

まず、言葉を最初に定めること。言葉通りになっていく。もう全てがそう。
新たな今の言葉で全部未来を縛ってしまう。決めてしまう。言葉通りになっていないという人、いる?
必ず、言葉通り。だから、もう絶対マイナスの一言を使わないこと。選ばないこと。
どんな事情があっても、過去の一切を相手にしないこと。マイナスの一言を絶対相手にしたらダメ。
その言葉に縛られた自分になったら、その言葉通りになってしまうから。

まず、自分が言葉に縛られる。言葉通りの自分になるのだから。肉体が自分と思ったら、小さい肉体になって縛られている。
いつも宇宙が自分と言い続けている人は、大きい宇宙が自分という実感が出てくる。宇宙大に心が広がる。
いつも使っていたらそうなる。絶対に肉体が自分なんて思わない。普段の言葉、どういう言葉を使い続けているかで、決まっている。
真実の世界に気付いたら、虚は無いことがよくわかる。真の神さまだけって祈り続けること。
ありがとうございますを祈り続けたら、虚は無いってわかる。

真実の幸せと錯覚の楽しみと比較したらどうかを考える。無限の無限とゼロ。
虚の世界で錯覚を楽しんでいると言うと、そこから抜けられなくなる。真実の世界の、本当の無条件の幸せとか喜びって、どれだけ大きいか。
少しでも気づいたら、虚の世界なんか相手にしない。喜びが大きすぎるの。やっぱり大きい方がいい。
だから、真祈りを祈り続ける自分が一番幸せになれる。ありがとうございます、ありがとうございますが、真の神さまを与え続ける真祈り。
真の神さまを与える真祈り。これさえ実行したら、本心の自覚が深くなる。

だから、一番に何を選ぶか。真祈りの実行を選んだ方がいい。そしたら、虚の世界が全部、プラスの言葉で置き換わってしまう。
自由自在になる。虚の世界で何かしなければではない。真祈りを祈り続けたら、虚の世界は自由自在に支配できる。困ることは何一つ起こらない。

八熱地獄で何千度という茹で釜に入っても、ああいい湯だなって言うわけ。
マイナス273度の、絶対零度の八寒地獄でも、ああいい気持ちって言うわけ。
でも、大きい自分はそう。大きい自分だったら、冷たいと言っても、アイスクリーム食べているような感覚。
宇宙大の大きい自分は、そんな小さいことで捉われない。八熱地獄は、熱いお茶を一杯飲んだという感覚。
本心の自分は一番大きい。無限に無限に大きい。

だから、大きくなること。虚の世界でも、過去を掴むと小さくなっていく。掴みを放すと、どんどん大きくなっていく。
無限大に拡散して大きくなったら、我が消えていく。本心の世界に戻ったら、もうひとつ大きくなってくる。
大きくなるほど、幸せが大きくなる。何も捉われない。掴まない。

だから、絶対止めて見たらダメ。無限のスピードで循環しているというふうに、眺めるだけ。
止めて見るのが虚の世界。空間は、止めて見る世界のこと。止めて見たら、虚の世界のつまらない見方。
これが無限のスピードで動き回ったら、空間は消える。無い。
神さまの大きい光の循環だったら、全方向から螺旋状に降り注ぐ光の循環だったら、何一つ掴めない。
それでも、一筋の光でも、虚の世界全体の幸せよりも大きい。それが全方向から無限に降り注ぐのだから、
無限の無限の幸せでいつも一杯。これが一瞬一瞬、連続する。繋ぎ合わせるのと違う。幸せが連続している。
虚の世界は、繋ぎ合わせないと、錯覚でも感じないけど、本物は、連続している。だから、言葉通り。
言葉だけ。最初の一言。新たな一言、これだけ。
 

ご飯を食べても、おいしいと言う時は、気分のいい時。悩み事が無い時。気持ちが明るい、楽しい時。
何か問題で悩んだ時、何を食べてもまずい。ご飯に味があるのではない。自分で決める。
言葉がプラスだったらおいしい。言葉がマイナスになったら、まずい。もう全てがそう。人間関係も同じ。
言葉がプラスだったら、楽しい。マイナスの一言を使ったら、一言でもう悪くなる。マイナスの一言で、人間関係が悪くなる。

人は、言葉通りに感じるだけだから、言葉が一番大切。例えば年齢って、言葉で定めるだけで。
本当に時間がないのだから。自分の年齢、いくつでも、言葉通りに定められる。暦の時間なんか、本当は無い。仮説。
言葉で縛っただけの話。誰がそんなことを決めている?決めていない。

太陽が昇って沈んだら、1日?一回も見なかったらどうなるの?それも言葉。
真っ暗闇に住んでいる人、洞窟なんかに住んでいる人は、太陽が昇って沈むのを見ていない。
そういう人だったら、一日なんか感じない。世界が違う。太陽が昇って沈んだら一日という感覚はない。
時間の感覚が、別な感覚になる。だから、時間の感覚も、空間の感覚もみんな一人一人座標軸を定めて、みんな違う。
一人一人が自由に定める。

虚の世界でも、プラスの多い世界は、空間が大きく広がって、時間が短縮されて感じなくなるくらいまで、
時間が絞り込まれる。反対もある。そしたら、時間・空間なんて、言葉通りになるだけ。プラスの言葉を使うほど、空間が広がる。
幸せが広がる。時間が消えるというところまでいく。

だから、時間が消えるまで楽しくなればいい。歳をとらない。新たに新たに、生まれたて。
本当は、新たに生まれたというのがいい。神さまの世界は、新たに生まれた赤ん坊が、一番力がある。赤ん坊が一番大きい。
歳をとるごとに、しぼんでいく。小さくなっていく。虚の世界は、反対。赤ん坊は小さくて、大人になると、大きくなっていくというけど、
正反対になる。

真実の世界にないことを言葉にして感じるのが、虚の世界。本当に虚の世界は、正反対。
幸せですかって聞かれても、はい、と言ったらダメ。無限の無限の幸せで一杯ですと言わないといけない。
新たな無限の無限の幸せが、無限に無限に一杯ですって答えないとダメ。幸せですと言ったら、虚の言葉になる。
とっさに出てこないと。一瞬一瞬、とっさに出てこないとダメ。そしたら、いつも無条件の幸せで一杯。



(平成25年7月6日のお話 第2部)