真のありがとうございます 

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 真祈りというのは、真の神さまを与え続けるから本心。祈り続けるから本心。
与えることを忘れて、祈ることを忘れたら、虚の自分に転落する。だから、自分を忘れてしまう。我を忘れてしまう。
永遠に祈り続けないとダメ。常に、祈り続けるという自分が本心。与え続けないと本心ではない。真のプラスの言葉を使いこなせないと本心ではない。

だから、真の神さまが真の自分という16項目を、やっぱりしっかりと自分が納得できるまで言葉にして、繰り返して、
自覚をしっかりと蘇らせないと忘れてしまう。

まず、真のプラスの言葉を駆使する自分。常に、そうでないとダメ。虚の言葉を使ったらダメ。
ましてやマイナスの言葉なんか、一言も使わない方がいい。一切の我のない自分。
我のないというのは、これが自分って掴んで溜めたら、我がどんどん積み重なる。
だから、真の神さまの一大循環の相象(すがた)を何も掴まない自分。一切の我のない自分って、過去を掴まない自分。
掴んでこれを自分って思わない自分。真の神さまだけいう認め方をする自分。これも過去とは無関係。
今新たな自分をどう受けるか。過去無限の我があっても無関係。
今新たな自分が、真の神さまだけいう風に、ありがとうございます唱えたら、過去は全部消えて無い
大きい光が現れたら、闇なんかどこにも存在できない。マイナスもどこにもない。
だから今の一瞬。今の一瞬、今、真の自分をしっかりと生きるかどうか。

やっぱり言葉通り。真の自分、本心の自分を言葉で表してこそ、本心の自分。
それを忘れたら、虚の世界を言葉にしている。虚の世界の言葉も色んな言葉が無限に無限に一杯あっていい。
でも虚の言葉は、虚の自分になってしまうし、騙される。虚の言葉で錯覚を起こす。

一瞬一瞬、どういう言葉を選んだか。一言で変わる。新たな一言で大きく変わる。
だから、真祈りのありがとうございますを、新たに新たに唱えられたら、本心の自分に戻る。本心の自覚が蘇る。
一大循環の相象と一つになれるはず。虚の世界なんか無いって断定できる。真の神さまだけ。真のプラスだけ。
一大循環の相象だけっていう風に断定できるようになる。それが実感として湧き上がるようになる。

だから、虚の世界があると錯覚しているのは、虚の言葉を使っているから。
真のプラスの言葉をしっかりと駆使出来たら、真実の世界だけって、本当に実感が湧く。断定できるように必ず変わる。
正反対になるはず。本心と業想念は全部正反対。真のプラスの言葉と虚の言葉は、全部正反対。

だから、一瞬一瞬の言葉選び。言葉選びで言葉通りに全部なっている。特に、虚の世界は言葉通りに錯覚している。
虚の世界は無いものをあるかのごとく、言葉通りに思っている錯覚。でも、真実の世界は、言葉通りにあるものを実感する。
錯覚ではない。実感する。真実に感じる。真実の世界と虚の世界の違いって、この違いだけ。
でも、どちらも言葉通り。全部言葉だけ。言葉通り出来るのは、虚の世界は無いものをあるように錯覚するから。
全部仮説。仮定、錯覚。真実の世界だけが本物を感じる、実感する。過去の言葉は関係ない。



(平成25年7月6日のお話B)