真のありがとうございます 

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 全て言葉通り。その人がどういう言葉を使って、どういう信念を持っているか。全部思い通りになっているはず。
プラスだったらプラスになるはずだし、マイナスだったらマイナスになる。
虚の世界は、真実の世界と違うけど、本心の自分は真実の世界の記憶は持っている。
だから、その記憶を元にして、色んな言葉を使って、想像力逞しく、言葉通りに何でも作り上げて感じる能力がある。

だから、真実の世界の記憶が多いほどプラスの言葉を多く使うから、虚の世界もプラスの言葉でいいもの一杯の世界が作れる。
でも、あくまでも、それは真実の世界と比較したら無限分の一以下のつまらない世界。単なる言葉だけの錯覚の世界。
これが本当に分からないと、虚の世界に溺れてしまう。虚の世界が素晴らしいと思い込んだら、そこから抜けられない。
本当は無の世界、何もない世界、真実の世界と比較にならないつまらない世界ってわからないと、
真実の世界に戻りたいという願いも起こらない。ここが大事なこと。

真実の世界に戻るためには、虚の世界が本当の無の世界だというのに気付くこと。
気付いたら、無限に無限に素晴らしい真実に戻らないとダメ。それをまず、いつするか。
やっぱり、真剣な気持ちがないと、真実の世界はわからない。
本当の悟りを開くのはいつか、どうして悟りが自分のものになるかって、色んな例え話が必要になってくる。

いつ悟るか?虚の世界ではいつ悟るかって、無いところでいくら言葉を使っても、無いものは無い。
虚の世界では悟れない。過去・現在・未来、どう捉えてもダメだし、空間もどういう捉え方しても無理。
虚の世界には、本当の悟りはないから、虚の世界の言葉では無理。
本当の悟りは、真実の世界の真のプラスの言葉を駆使して初めて感じ取れる世界。

ありがとうございますという、神さまの名前という意味でも、本当の意味が分かって唱えたら、真実の真のプラス言葉。
その言葉を繰り返したら、言葉通り真実の世界を感じ取ることは、必ず可能になる。出来るようになる。
でも、それが虚の世界の言葉だったら、単なる感謝・お礼というありがとうございますだったら、それは永遠に不可能。
いくら無限億万回唱えても不可能。悟りとは無縁。それは虚の世界の話。

虚の世界の言葉を、虚の世界を相手にするようだったら、真実の悟りとは無縁になる。
だから、常に真の神さまを相手にしないとダメ。虚の世界の自分が悟るのではない。反対。
虚の世界の自分というのは、本当は元から無い。虚は無い。
でも、真実の世界を、真の神さまを、真の自分を自覚しなかったら、それを忘れたら、虚の世界。

だから、真の自分を生きること。本心の自分をしっかり生きること。しっかりと真祈りを祈ること。
そしたら、自覚が失われない。真の神さまといつも出会う。一大循環の相象をいつも感じる。
本当の無条件の幸せがいつも湧き上がる。まず本心を生きること。プラスの自分を積極的に生きること。光の自分を生きたらいいだけ。

根本は言葉選び。真のプラスの言葉を選ぶか、虚の言葉を選ぶか、どちらか。
真のプラスの言葉だけを選び続けたら、本心の自覚が蘇る。ありがとうございますを唱えたら、本心の自覚が必ず湧き上がる。蘇る。
でも、それを忘れたら、祈らなかったら無い。虚の世界になってしまうから。


(平成25年7月6日のお話A)