真のありがとうございます 

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 みんな別人ばかり。自分もそうだけど、他人もそう。同じ人ではない。奥からの順番の投影だったら、もう一つそう。
この世だけ見ていても、一瞬一瞬移り変わるから。今の自分と1秒後の自分は、全然別人。
そしたら、人も同じだから、人の名前は呼べない。別人に対して、別の名前を使わないとダメ。
そしたらもう、この世を掴んでどうのこうの言えない。あの人がどうのこうのと言うほうが、おかしい。

真の神さまだけと言うしかない。真のプラスだけって。あの人がいい人、悪い人だと言うのでも、みんな自分の言葉だけ。
どこにも根拠はない。あの人が悪いことをしたと言ったら、違う。何も悪いことはしていない。
その時、自分が色眼鏡を通して、悪いことしたと言っただけ。一瞬後は、別人。その時は、あの人がなんて言えない。
一瞬後は、別人がいるのだから。だから、絶対人のことをとやかく言えない。
あの人がどうのこうのって批判なんか、絶対にできない。もし、マイナスに見たら、みんな自分のマイナス。
色眼鏡のマイナスか、神さまに背を向けて、自分のすがたを自分のマイナスを鏡に映して見ているかだけ。本当は恥ずかしくなる。

 だから、真の神さまだけ、プラスだけって、言葉をプラスに変えるしか方法はない。言葉通りにプラスを感じるだけが正しい。
ここでもやっぱり、思いの惰性に流れたらすぐ忘れるけど、本心の自分を生きようとしたら、それに気づく。
本心は、新たな新たな生き方をとるから。過去を掴まないからできる。

みんな真の神さま。真の神さまだけって言い続けるのが正しい。元から真の神さまだけ。それしかない。元から虚は無い。
だから、言葉だけの違い。ありがとうございますは、真の神さまだけを与え続けるだけだから、もうそれしかない。
本当のプラスだけという風に、もう断定的に決めないとダメ。そしたら、全体が真の神さまの姿で出てきてくれる。
自分はそれしか感じないという風になったらいい。  

だから、自分の言葉。虚の世界は、特に、何でも言葉通りに感じる。真実の世界は、言葉通りに神さまを実感する。
真実の世界は、最高の言葉を使い続けて、神さまを感じ取る、実感できる。だから、惰性に流れないこと。
一瞬一瞬切り分けないと。それで、いつも全体から祈ってもらっている、与え続けてもらっているということが大事。
本当に支え合って、助け続けてもらっている。


(平成25年6月22日のお話 第2部@)