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 真実の世界と虚の世界の違いを区別するのに、思いの心では出来ない。自分がまず本心の本当の自分に戻らないと。
本当の自分とは何か。一切の我のない無色透明の自由自在心。少しでも過去を掴んで、これが自分、
これが自分のものって掴んだら我があるから、無色透明ではない。自由自在ではない。捉われている。
捉われた心では、真の神さまの真実の世界は掴めない。これが一番の難しいところ。

 虚の世界は、全部一度掴んで止めている。真実の世界は、全部無限のスピードで動き続けて、循環している。
水に例えたら、水は、絶対の中心から、ものすごい高圧で無限のスピードで押し流してくる。
パイプが通っていたら、どこにでも流れる。どんな流し方もしてくる。そのパイプが全部、絶対の中心から絶対の中心に戻る、
パイプになっている。人間の血液の流れも同じだけど、心臓から出て全身回って、心臓に戻って行く。
心臓もそういう仕組みの模型の模型の、もう一つ小さい模型の模型。一つの完成体になっている。

本当の真実の世界の入れ子構造というのは、最小単位が無限大の天照大御神、光源。一大光源。
その一大光源を一番末端で考えたら、それを無限に束ねる一段階上の天照大御神がある。
その天照大御神の中が、無限の天照大御神様で循環して、一つの完成体。人体のような完成体。
天照大御神様が無限のスピードで動いている。その一つの完成体が一段階上にあったとすると、
その完成体をまた無限に束ねたもう一つ大きい完成体がある。

同じ次元の同じ空間の立場では理解できない。一段階上になると、違う次元になってしまう。
そのまた二段階をまとめて、無限にまとめて、また完成体がある。過去を掴む心だと、同じ空間の世界で広げて見ようとするから、
どうしても無理がある。比較できない世界、異次元。異次元空間っていう、そういう感じになってしまう。
それでいて、一番大きいものから一番小さいものまで全部、一つに納まって重層構造。

それを止めて見て、模型的に小さく見ると、そういう説明になってくる。これが、無限のスピードで動き出したらどうなるか?
言葉で説明も何も出来ない。全部無限のスピード。連続というのは、色んな連続がある。
一つの中でも、循環が滞りなく行われているというのは、連続。
それでも、異次元空間全部が、絶対の中心と繋がって、全部が同じに動いていたら、連続。幾通りもの連続がある。
一通りではない。幾通りもの色んな種類の連続がある。

それで虚の世界に出てきたら、二通りの見方がある。色眼鏡を通して見る見方と、鏡に写す見方の二通りがある。
真実の世界は、鏡がない。時間・空間って分かれないから、時間も空間もない。
真実の世界は、そういう、時間で止めて空間で広げて見る世界ではない。無限のスピードだから見られない。
そういう捉え方は絶対できないから。時間・空間のある世界は、虚の世界。
虚の世界も、やっぱり入れ子構造だから、異次元構造で繋がっている。本当に、空間が伸び縮みする、自由自在性がある。

だから、この世の人が過去を掴んで、思いの心を溜めて、思いの心で掴む感覚と全然違う。
やっぱり、掴みを全部放していかないと、自由な発想が出てこない。
前にウサギとカメの話、お饅頭食べる話、それから物を持つ話をした。あれは、単なる物のたとえではない。
本当の自分とは何かを掴むためのもの。真の自分は何かを掴めるかどうか。

ウサギがカメに追いつく。その間に時間が少しかかるから、カメは必ず前に行く。次に、また追いつく。
その間に必ず前に出る。だから、永遠に追いつけないという風に考える。
これは、カメが過去の古い自分、ウサギが新しい自分という風にとらえると、古い自分が新しいものに置き換わるかどうか。
繋がるかどうか。今、自分がこれって掴んでいて、新しい本心が出て来て、一つになれるか。
なろうとしても本当は近づけない。虚の世界だから近づけない。

お饅頭を食べるのも同じ。過去・現在・未来とあって、過去は過ぎ去って食べられない。
未来はまだ来てないから食べられない。今の現在を捉えないとダメ。
現在に限りなく両方から近づいて、無限分の一秒のわずかな時間で食べられるかと考えたら、食べられない。
これも過去の自分、未来の自分。どこに自分を今持っていくか。接点があるかないか。
過去の自分と未来の自分、今の自分、全部繋がりが全然ない。

空間で物を持てるか?原子があったら、原子核、陽子の周りを電子が回っている。
陽子の原子核をピンポン玉に例えたら、細かい電子が2キロ先ぐらいを回る。もっと広くも回っているけど。
例えば水素原子と水素原子をいくら合わせても、まず原子核同士は絶対に当たらない。電子同士も当らない。全部すれ違うだけ。
一つですらそう。そしたら、無限に原子があったもの同士、全部ピタッと合わせられるかというと、絶対に合わない。
一つや二つ合う可能性があっても、他が全部、すれ違うから。
例えば、右手で野球のボール握ろうとしても、無限分の一当たって持てる?持てない。全部すり抜ける。
もう1つ確率が低くなる。そしたら、みんなが何かを持っているというのも、持っていないのに持っていると言っているだけ。
ウサギがカメを追い抜いたって、これも言っているだけ。ご飯を食べたというのも、これも言葉だけ。
実際ありえないことを言葉で定めて、言葉通りに感じているだけ。虚の世界は、みんなそう。

これが自分というのでも、本当にこれが自分なのか?今掴んでいる自分と、次に掴んだ自分と、どこに接点がある?
必ず変化している。ものすごい変化。気付かないくらいの無限の変化。この世の光の流れでもそう。一秒間に30万キロ走る。
そしたら、最初から終わりまで見てごらん。光の粒子をずっと追っているとして、今受けた光の粒子と一秒後の光の粒子、どれだけ差があるか?
30万キロ離れたものを掴んでいる。その間の30万キロの中の粒子は、全然捉えてない。

だから今、光を受け続けているというのだけど、それは違う。全然受けてない。一瞬掴む心では不可能。全然掴めない。
掴んだと思ったら、それだけ。次掴んだと思ったら、それだけ。繋ぎ合わすことは絶対に不可能。
その間全部受けてないから、掴んでないから、連続性が全然ない。

無限のスピードで全部動いているのだけど、それを感じ取る心が自由自在心。真の自分に戻らないと出来ない。
真の神さまの一大循環の世界、一大循環の相象は、ものすごい。本当は、言葉では絶対表現できない。
末端の天照大御神様の完成体ですら、虚の世界の無限倍素晴らしい。本当の無限のスピードで動く完璧な流動体。
これが最小単位だから、それを本当に自分として感じるというのは、自分が本当に無色透明の自由自在心でないと不可能。

元の一大循環の相象を少しでも掴んだと錯覚を起こした。本当は掴めないのに。
絶対掴めないけど、一瞬掴んだと思って錯覚を起こしたのが、虚の世界の自分。最初は、大きく宇宙が自分という風に掴んでいると思う。
でも残像の虚のすがただから、本物の受け直しではないから、すぐに光が乏しくなる。どんどん小さくなる、光が少なくなる。
それで小さく掴み、マイナスに掴み、思いを溜め続けた。

思いというのは、ある意味では色眼鏡の汚れ。例えば、太陽を見る時に、みんな太陽を見て、本物の太陽を見ていると思う?違う。
みんなの肉眼で見ている太陽は、擬似光体。本当の太陽は、地球から大分離れている。真空の中をずっと通り抜けて、遠いところにある。
その真空の中を通り抜けた太陽なんか見てない。本物の太陽から、地球の大気圏に入ってきたら、色んな乱反射を起こして、
擬似光体として生まれた太陽を見ているだけ。偽物を見ている。

だから、地球の色んな細かい粒子が合わさったものが、ある意味では色眼鏡。思いの色んな集積。
その厚い色眼鏡を通して見るから、擬似光体しか見えない。色んな粒子で乱反射させている姿。
虚の世界は、本物を見ても、そういう色眼鏡を通してしか見えない。
過去の我の思いが一杯溜まっているから、それがやっぱり色んな風に、色眼鏡のすがたを取る。
赤い粒子が入ったら赤く見える。汚れがあったら、そこが汚れて見えるという風に。

それでもまだ、神さまの方を向いている時は、そういう風に色眼鏡を通して見える。
でも、反対に見たらどうなる?背を向けたら。例えば、電気の方を向いていると明るい。光を感じる。色眼鏡をかけても感じる。
でも、窓の外を見ると、闇だから必ず、ガラス戸が鏡になる。外の明るい時は、外が見える。
でも、自分が光に背を向けて闇の方に向いたら、本当は見えないとダメだけど、ガラスが鏡に変化する。
虚の世界は、神さまに背を向けたら鏡になる。神さまの方に向いた時は、神さまの本物の光を、色眼鏡を通して見る光。

だから、色眼鏡が真っ黒だったらあまり見えない。薄い色眼鏡だったら、光が大きく入って来る。それでも本物と違う。
それは虚の光。色眼鏡を通した光だから、本物ではない虚の光だけど、でも本物に近いところはある。
虚の世界のいいところは、全部本物の映し。一部映ってきている、見えてきている。

だから、いかに本物を見逃しているか。ダイヤモンドの宝石の鑑定でもそうだけど、
本物を知っている人にしか、本物・偽物の区別はできない。偽物だけしか知らない人は、本物はわからない。
本物を知るには、自分がしっかりと本当の自分、本心の自分、真実の自分に戻らないとダメ。どうしたら戻れるかが一番大事な問題。

我を捨てないとダメ。我というのは、これが自分っていう思い。思いを捨てる、消さないとダメ。
思いをどこへ捨てるか?どこに捨てたらいいか。どこへ捨てても消えない。増えるばっかり。
思いを投げ合っても、増えて戻って来る。消す場所は、真の神さまに向けて消してもらうしかない。


(平成25年6月22日のお話 第1部@)