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 お祈りできる自分に戻るために必要なことは何か。全部捨てること。逆に言ったら、邪魔するものを全部捨てること。
虚の世界の全部を捨てること。自分っていうのを全部捨てること。自分のものも全部捨て去ること。
自分も、自分のものも何もないって、捨てきったら、元から縛られていない本心の自由自在心。自由自在に祈れる。
一大循環の相象(すがた)を眺める自分だけに戻れる。

虚の偽物をあると錯覚して掴むのと、本物を眺めてしっかり体で感じるのとは違う。本物は、本物。幸せそのもの。
自分の中を通り抜けるだけで、幸せを実感する。でも、虚の方は違う。虚の方は、残像だけ、錯覚だけ。
どんなものを掴んでも中身はない。掴んで、そう思い込んでいるというだけの感覚。だから、掴みを放さないと損をする。
お祈りを邪魔するもの全部、捨てないとダメ。お祈りの邪魔をしているのは何かって考えたら、沢山出てくる。

お祈りするのに何が必要かを考えたら、何もいらない。家なんかいらないし、着るものもいらないし、食べ物はなくても大丈夫。
本当はそのぐらい徹底して、全部捨てても、必要なものだけが循環する。水を飲まなかったら、水が必ず口に入って来る。空気も同じ。
必要だったら、空気が自然に吸い込める。家もいらないと言っても、雨が降ったら雨の無い所へ入れる。
星空のシャンデリアの元でも休める。本当に必要なだけと言ったら、ごく僅か。今の世の中は、10倍以上贅沢。
十分の一でもまだ多い。百分の一でも大丈夫。お祈りするためだったら、百分の一でも必要以上。

この選び方が大事。どちらを選ぶか。真実の世界を選ぶか、虚の世界に堕ちてそのままで満足するか。
虚の世界に、自分を置いても幸せと違う、迷うだけ。迷い続けているだけ。本当に幸せなんか掴めない。

 だから、執着を断って、本心の自由自在心に戻って、神さまの一大循環の相象を感じ取らないと。
与え続けて、自分の中を通り抜ける神さまを感じ取らないと実感できないから、
だから、邪魔する流れを全部、本当に捨てて、捨てて、捨てきらないと。

そしたら、お祈りできる自分に早く戻れる。それで、一番大事な執着しているものを捨てる練習。何が自分にとって一番大事か。一杯ある。色んなものが一杯ある。大体、過去世の中で色んな自分の願いが一杯積み重なっているから、あれもしたい、これもしたい、これも大きい執着。あれが欲しい、これが欲しいも執着。色んな執着が一杯ある。それがいつ出てくるかわからない。出てきた時に負けたら、お祈りが出来てない。お祈りよりも他を選んでいる。

お祈りだけに絞り込めたら、すぐに本心の自分に戻る。だから、余計なことをしたら間違う。余計なことをしたらダメ。
つまらない時間を潰したら損をする。お祈りに必要なものは何か、だけ。肉体人間として、この世で贅沢して幸せとは違う。
何にもない方がいい。文明国ほどお祈りできない。未開の国ほどお祈りしやすい。余計な物がないから。
余計な物が一杯あるのが幸せと違う。反対になっている。霊的な幸せ、精神的な幸せを全部奪われてしまう。

生活のためにというのだけど、違う。生活のために時間をかけて働いても、得たものは本物ではない。みんな偽物。
お祈りを邪魔するものばかりを手に入れている。それなら働かない方がいい。お金儲けをしない方が正しい。
本当はタダ働きで、必要なことだけを選んでするのがいい。そしたら、お祈りがしやすくなる。
必要なものは、少しだけあったらいい。あとは贅沢品。贅沢な者ほど、お祈りしにくくなっている。全部捨てて正しい。

 (みそぎ)いうのは、自分の身体を削ぐいう。身体いうのは肉体だけではない。自分の世界が自分の身体。
無駄なも全部削ぎ落として消してしまうこと。お祈りするために、身削ぎをする。邪魔するもの全部捨ててしまう。
循環の中に入れてしまって、消してもらう。邪魔するもの何もない。本当の循環だけの自分に戻ったら幸せそのもの。

だから、元から循環だけが正しい。神さまの一大循環の愛の働き、それだけが正しい。その中に入っていたらいいだけ。難しくない。
ありがとうございますって、真の神さまを全てに対して与え続けるだけが正しい。それだけを出来るように心がける。
邪魔するものを全部捨てるだけ。だから、一番易しい生き方。


(平成25年6月15日のお話 第1部B)