真のありがとうございます 

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 天の岩戸開きには、根本に、みんなの本心が輝いてきたという意味がある。
本心が、真実の自分が、輝きを増してきたということは、自分の神体、霊体が輝いてくる。
大きい光がそこにスーッと注がれていること。あの世をさーっと流して、肉体まで持ってくる。
大きい力が加わっているという意味。押し流す力が大きくなっている。

天の岩戸を開いて、みんなの本心が出てくると、お祈りが本物になる。
溜まっているものを押し流して、消す力が万倍・億倍になる。一人ひとり見てもそういう風に、本心が輝いて降りて、
具体的に大きい働きの光が降りて、循環させる力が加わっている。
全体を見たら、みんながお祈りしていなくても、お祈りする人がパラパラとあるだけで、
全体で大きい光の柱になって動いている。一人の人でも、本当の天の岩戸が開いて、本心が輝いたら大きい働きになる。
それが大勢に増えてきたら、もっと大きい働きになる。具体的にこの天の岩戸の門が開いて、何かなっているのではない。
一人ひとりの本心の輝きの総合体が、天の岩戸開き。

だから、みんながお祈りすればするほど、本心の天照大御神がどんどん降りてくる。
大きく扉が開かれている状態。この世が本物になってきたらいい。光の吸い上げの本物の、本当の光のエレベーターが、
すーっと通ればいい。この世全体が、瞬間移動の光のエレベーターになればいい。それが光の柱。

一人ひとりの心境と別個ではない。一人ひとりの心境を束ねたのが、そういうすがたを取る。
救いのネットワークというのも、みんなの救いの働きの支え合いのすがたがネット。
そういう風に、全部自分と別個ではない。一人ひとりと密接に繋がって、一人ひとりの働きの総合のすがたがそういうすがたで見えるだけ。

みんなの本心が出ていないのに、天の岩戸が開いたなんて言えない。
みんなの心境が本心に戻ってきて、天の岩戸が開いてくる。みんなが祈れる、本物の祈りになってきたから、天の岩戸開きになる。
物理的に勝手に開いたからって、誰も心境は上がらない。みんなの思いを消してもらって、本心を拝み出してもらって、
具体的に本心が輝いて、お祈りができるようになったのが、天の岩戸開きのすがた。みんなもう扉を開けている。天の窓は開いている。

与えるというのは、大きい方から与える。無限大の外の絶対の中心から、大きい方から小さい方へ循環させる感覚。
一番末端で、例えば、人間の体で、寒さで手が霜焼けみたいになって循環が悪くなっているところをどう循環させるか?
やっぱり心臓から大きく送り込んで、体を温めて、大きく暖かい血液を送り込んで、ずーっと戻してしまえばいい。
寒いところで凍えていたら、どんどん冷たくなってダメだけど、あたたかいお風呂にでも入って、
全体を暖かくしたら、暖かい血液が流れる。そうすると、霜焼けが元に戻って治る。祈れば祈るほど、暖かいのが流れる。
それで循環を元に戻してしまったら、プラスだけ。だから、大きい方から常に小さい方へ光を送る。循環させる。
虚の世界は、一番小さい末端。

 ありがとうございますと祈ることは、真の神さまの一大循環の相象(すがた)、無限に無限に大きい光を循環させてる働き。
それに気づかないから小さく見るだけで、気付いたら真の神さまだけということがわかる。

気付く為に、自分が無色透明になる。無色透明の自分の中を循環することに気付く。
でも、自分に我があると、我の方に心が行ってしまっているから、無色透明に気付かない。
真の神さまが循環していても気づかないだけ。我があるというのは、無色透明を色眼鏡で見ているという意味。
本当は、循環しているのは、無色透明の循環。ところが、色眼鏡がちょっと邪魔すると、赤く見えて無色ではないように見る。

我があると、濁って見える。我というのが、過去を掴んだ、これが自分という我。
過去を掴んだら、自分が我になっている。だから、何も掴まない生き方がいい。
掴まないために、与え尽して、祈り続けて、循環させてしまったら、何も掴まない自分。
眺めるだけの自分になったら、無色透明になっていく。

だから、祈り続けるしかない。祈りをやめたら、ストップがかかっている。祈り続けて、送り出すほど我が消える。
祈らなかったら、止めてしまう。本心は祈るのが仕事。祈り続けて、流れを加速するのが役割。祈り続ける役目を持っている。
一回祈って終わったらダメ。祈って祈って、祈り続けるのがいい。そしたら、無色透明。祈らずにおれない自分、それが無色透明の自分。

絶対の中心から、新たに出てくる光は、無色透明。入れ子構造の天照大御様、本当の無色透明のすがた。
一大循環の相象、無色透明の光の循環。だから、止めた時から、有色の透明なすがたをとって、順番に濁っていく。
我が増えるほど、濁る。だから、掴まなかったいいだけ。元から無色透明の循環。

無色透明だから、全部見通せるようになっていて、ちゃんと姿、形が全部ある。無色透明の中に全部備わっている。
形も何もないのではない。本当の形は無色透明の中に、全部ある。完璧な金剛不壊の本物のすがたがあるのだけど、
それに波が合うのが、無色透明のすがた。無色透明でないと、融け合わないし、見通せないから、全体が一つにならない。
色が違ったら合わない。濁ったら全然遠くが見えない。だから、無色透明でないとダメ。

透明人間も一部だけ透明な人がいる。耳だけ透明とか。頭だけが透明とか。頭隠して尻隠さず。
透明人間になるために祈り続けないとダメ。みんなの応援も受けて、祈り続けたら透明人間に必ずなる。
支え合って祈るほど、速く透明人間になれる。波の違いってすごい。透明な光の強さは強烈。
どんなマイナスでも、一遍に消せる。もう、過去のことなんか関係ない。現実なんて無関係。今新たに、真の神さまだけという祈り。


(平成25年6月8日のお話 第2部A)