真のありがとうございます 

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 真の神さまだけという言葉の中心に、立ち続けないとダメ。
ありがとうございますを与え続けてないと、真の神さまの中心に立てない。
自分だけがありがとうございますを唱えているのだったら途切れる。
ありがとうございますと次のありがとうございますの間が、途切れている。これだったら、隙間ができる。まだ立ち続けていない。

だから、その隙間を埋めてもらうために、みんなに、ありがとうございますを与え続けてもらわないと。
そのために、自分はありがとうございますをみんなに与え続ける。みんなに与え続けるありがとうございますだから、
みんなから無限倍になって、ありがとうございますが与え返されてくる。

与え続けてもらえるから、ありがとうございますは、1回のありがとうございますが無限の無限のありがとうございますに変化する。
それで、連続したありがとうございますになる。隙間のないありがとうございますになる。
常に、ありがとうございますの真の神さまだけになる。自分も他人も出てこない。全部消えて、無い。真の神さまだけが連続する。

だから、悟りへの道、自力、他力、絶対他力って、大きく分けて3つに分ける。
自力は自分があるから、本当の悟りへは絶対到達できない。他力も自分と他、他力って分けている限りは、これも虚の悟りで終わってしまう。
絶対他力は、なぜ悟れるか?絶対と言うのは、自と他がない。自他がないから、自他のない助けの力、これは真の神さま。
絶対他力は、真の神さまのこと。だから、ありがとうございますは、絶対他力の言葉。真の神さまだから悟れる。
自も他もないから悟れる。その辺の区別は大事。

自力は、どれだけ修行しても、自分があるかぎり、難行苦行、何をしようが悟れない。自分が消えていかないから。
それで、虚の世界の他力で、どれだけ助けてもらっても、全て消しきる力はない。
真の神さまが出てこない限り、虚の世界を消してもらえない。本当の悟りにはならない。

それで、絶対他力の真の神さま、ありがとうございますに縋(すが)るだけ。縋り続ける。ありがとうございますで。
それで、縋るのをちょっと忘れたらダメだから、みんなと一緒に縋る。支え合って縋る。

支え合いというのは、本当は必要。みんなと力を合わせて、支え合って、神さまに縋ったら、落ちこぼれがない。
みんな、神さまに一本の糸で縋る。一本の糸は離したら終わり。みんなが一本の糸を神さまに繋げたら、網になる。
入れ子構造になると、網が何重にもなる。そしたら、一本糸が切れたって、網から落ちることは絶対にない。網で押し上げてもらう。
だから、クモの糸か、蚕の糸か、何かわからないけど、糸が無限にあったら大丈夫。どこかに引っかかる。

神さまが救いの網を降ろしてくれるというのも、みんながこの救いの網になっている。みんなを使っているから。
お祈りする人、全部がネット。何重にもなったネットが、粗い目のネット、細かい目のネット、一杯ある。
それを全部組み合わせたら、最高の救いの網。それで、落ちこぼれないように、みんなを引き上げてくれる。
だから、支え合いが正しい。先にみんなを渡そうというのが正しい。自分のことは、1番最後でいい。
一番最後にした方が、一番謙虚で一番助けを大きく受ける。

与える心を生きる人は、網になってみんなを救っている。だから、神さまのお手伝い。みんなが、神さまの網になっている。
お祈りする人は、神さまの網、救いの網になっているから、ピタッと神さまの働きと1つになる。だから、一体感も深くなる。

難しくない。与える心で、ありがとうございますを唱え続けるだけでいい。絶対他力、これが最高の易行道。
ありがとうございますをただ唱えるだけの絶対他力の行が、最高の悟りへの易行道。易しい行。最短コース。これ以外何もない。
一番優しい方法、一番早い方法。それを自分一人では時間かかるから、支え合ったら、またスピードが無限倍になってくる。
だから、スピードが加速する。不可能が可能になってくる。

残っている虚栄心は、取るに足らない。元から無い。元から無いのにあると錯覚しているだけ。
それが、意識がはっきりしてきただけで、無かったと気づくだけ。あるのを消すのではない。
無かったと気づくだけが虚を消している。一大循環の相象(すがた)に気付くだけ。
支え合いの中に一大循環の相象があるから、支え合いのすがたの中から感じ取る。どんどん感じ取っていく。
そしたら、元に戻るだけ。真の神さまだけ戻るだけ。その確認がありがとうございます。

無限の無限の虚栄心があっても、真の一大循環の相象と比較したら、何も無いということになる。
そしたら、少々の虚栄心なんか、元から無いと言える。全ての虚栄心をまとめても、何も無い。
それに気づいたら、虚栄心なんか探してもない。だから、どちらを先に認めるか。
ありがとうございます、真の神さまだけと言ったら、元から虚栄心とか虚の世界は無い。
無いから、虚栄心なんか相手にしようと思っても出てこない。自分の前には出てこられない。
一瞬の夢の中の世界。目覚めたら無い。

だから、早く、ありがとうございますになりきればいいだけ。
ありがとうございますを唱えて、真の神さまだけと実感できるようになればいいだけ。難しくない。
他の言葉を使わなかったら、すぐに戻る。だから、言葉選び。ありがとうございますを選び続けただけで、虚は全部消える。

どちらを選ぶか。ありがとうございますを選ぶか、他のマイナスのつまらない言葉を選ぶか。
まだちょっと眠たいから、夢を見ていようというのだったら、他の言葉を選んだらいい。
もう夢から覚めたいというのだったら、ありがとうございますを選べばいいだけ。
ありがとうございますは、睡眠薬ではなくて、目覚め薬。他の言葉は睡眠薬。

だから、易しい。一番の易行道。誰にでもできること。難しくない。大体呼吸って、自分が努力しないでさせてもらっている。
自然にできている。でも、呼吸を止めるのは、努力している。呼吸を止めて苦しがるのは、努力がいるけど、
何も努力しなかったら、呼吸できている。だから、自分がという努力は、間違っている。
ありがとうございます、これは全托の祈り。お任せ。寝ても覚めても寝言でも、ありがとうございます。
みんなと一緒に祈っている。全身の細胞が祈っている。みんなが一緒に祈ってくれている。真の神さまと共に祈っている。


(平成25年6月1日のお話 第2部)