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 今度誰か、食欲に負けない断食の行をする?断食の行でも、何も食べない行もあるけど、色々ある。
糞尿を食べるとか。どっちが楽?何も食べない方が楽でしょ?汚い方を食べるのがもっと大変でしょ?
色々あるよ。毒入りの何か、毒まんじゅうを食べるとか。何も食べない方が楽。毒まんじゅうでも食べたら、もう、もがいて苦しむ。
これも断食の行の一つ。

だから、色んな欲望に負けないための苦行の行って、色んな種類がたくさんある。
みんな、求める欲の心に負けないために一生懸命戦うのだけど、本当は、戦ったからいいのと違う。
戦うことによって力も付くけど、本当は、その力で乗り切るのと違う。心の向きが変わるから。
ある程度格闘すると、心がそこに留まるということがなくなる。もう体験済んだという感じ。
あまり体験してないことには、心が向く。もう十分体験し尽くしたとなると、心が離れる。
心の向きが変わったら、そこからすっと離れる。卒業していく。食べ物でもそう。
もう、満腹するくらい、もう何回も何回も満腹させてごらん。もう嫌気がさす。嫌気がさしたら、食欲から絶対離れる。
あんころもちでも、もう嫌と言うほど食べ続けたら嫌になる。
お酒飲みもそう。もう浴びるほど、一杯飲ませ続けて、何回も苦しい思いをさせてごらん。もう中途半端で止めたらダメ。

麻雀が楽しくて遊んでいる時、中途半端で止めたら、やまない。もう疲れ果てるまでさせたらいい。
子どものゲームも同じ。止めるから、余裕綽々(しゃくしゃく)。1週間くらい徹夜でやらせてごらん。
もう疲れ果てて、見たくもなくなるかもしれない。すぐ卒業する。

とことん甘えるのでも、とことん甘えさせてもらわないといけない。そうすると、嫌になってくる。
子どもでも、甘えて飴がほしい、おもちゃがほしいと言う。誰かがとことん飴でも何でも一杯与え続ける。
中途半端だったらダメ。とことん甘えさせる。もういいと言う時でも甘えさせる、与え続けないといけない。
頭でも優しくなでてほしいとなったら、頭ばっかり撫でないといけない。
寝ていても頭を撫でて、ご飯を食べていても頭を撫でて、何をしていても頭を撫でに行くの。徹底するの。
そしたら、甘えたいと思わなくなる。

大人でもそう。中途半端が一番いけない。ヤマタノオロチの話がそう。
お酒を樽に一杯飲ませて、欲しいものを一杯与え続けた。ヤマタノオロチは欲の心の象徴。
飲み込む心、求める心の象徴だけど、少しだけ飲ましたら、ちょびちょび飲ませたら、元気になって暴れまわる。
もう飲みきれないだけの樽を、酒を飲ませ続けた。そしたらもう、お酒なんか、もう2度と飲みたくなくなるという感覚になったらいい。
欲の心が消える。欲という言葉が「谷」に「欠ける」心と書いてある。
谷と言うのは、(こく)(しん)の宇宙の大神様のプラスという意味。プラスの無い状態が欲。
プラスが欲しい欲しいと言うのが欲。だからある程度欲しいものワアーッと与え続ける。

真の神さまは、相手に必要なものを与え続けてくれる。祈り続けて、真の神さまを派遣すればいい。
そうすると、相手に応じて一人一人に合わして、必要なものを与え続けてくれたら、みんな欲の心が消えていく。
みんな求めているもの、内容が違う。みんな一人一人、願うことが違うから、願っていることを与え続けたら、みんな欲の心から解放されていく。

だから、虚を消すのも、真実を与え続けて消す。虚の色んな姿を消す。
真の神さまだけ与え続けたら、ちゃんと消していってくれる。自分が消そうというのは、巻き込まれるからダメ。
ありがとうございますだけを唱えて、全部神さまに任せる。そしたら、地獄絵図を見なくて済むようになる。
みんなが与える心の自分になって出てきてくれたら、いいだけ。


(平成25年5月25日のお話 第2部@)