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 今というのは、真の神さまの別名。今を生きるというのも、真の神さまを生きるという意味。
虚の世界は全部、神さまのすがたの一部を残像の世界において、それを引き延ばして、
一瞬に全部把握できないから引き伸ばして、無限の年月に引き延ばして見ようという世界、感じようという世界。

だから、時間と空間の両極が現れて、時空一如の原理から、空間が素晴らしい状態だったら、時間が短縮される。
感じる空間が大きかったら、時間が短くなる。それを一瞬に感じ取れなかったら、少しずつ味わうから時間が長くなっていく。
だから、空間が狭まると時間が長くなる。

極楽世界は、時間を感じないぐらい、竜宮城の玉手箱と同じ。竜宮城はプラスの多い世界だから、そこは時間を経つのを感じない。
時間がわからないくらい、時間が消えるぐらいの感覚になる。でも、地獄は長く感じる。
地獄は空間が狭まって、穴があったら入りたいという世界だから、時間が無限に長くなる。伸びる。

過去・現在・未来の現在という感覚では、全部を把握できない。無限の年月かけて、一つのプラスを感じる世界。
それでは、本当の今はない。永遠の、(なか)(いま)。中今いうのが、真の神さまの世界の今、神さまの本当の働きいう意味。
それは、過去現在未来の永遠と違う。最高のすがたが、一瞬一瞬連続するいう意味。常に最高状態が連続する。
だから一大循環の相象が、流動体が、完璧で、その完璧なすがたが常に永遠に連続していいう意味。
これを永遠の中今の今、といふうに表現する。

だから、真の祈りができるようになったら、今を生きている。真の神さまを生きている。一大循環の世界に生きている。
一瞬一瞬が、その一瞬も無限分の一秒の一瞬一瞬が、最高の幸せな状態が続いている状態。


(平成25年5月25日のお話 第1部A)