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 仏教でお坊さんになるために、小僧さんがお寺へ入門する。その時の最初の修行が、見ざる聞かざる言わざるの修行。
言わざるの修行、無言の行、これをしっかりと身につけようとする。それも何年もさせる。
人によっては、生まれてくる時に、見ざる聞かざる言わざるの修行のために、三重苦になって生まれる人もある。
だから、本当の無言の行でも、お寺へ入って悟り求めて生きる人は、何十年願掛けをする。絶対に口を開かないって。
本当の無言の行に入る人がある。本当に厳しい。

それは何のためかと言うと、マイナスに対して、もう心を向けないと言うため。
過去を掴んで、マイナスの言葉を使って、それを溜め続けて、下へ落ちないための方法。欲の心、求める心に負けないためにするわけ。
どうしてもマイナスの言葉を使いすぎるという時は、下へ落ちていくから、絶対言わない練習をしている。欲に負けない練習。
業想念に負けない練習。

食欲でもそう。食欲に負けないために、断食の修行をする。あれ食べたい、これ食べたいって出てきた時に、やっぱり負けたらダメ。
だから、断食をしてその欲望に打ち勝とうとする。これもある意味必要。
ある程度打ち勝てたら、今度は神さまからの恵みの何を食べても、断食になる。自分の求める欲の心で、何も食べてない。
自分が何も求めてないから、神さまが必要あって循環させてくる、必要なものは自分が食べているとは言わない。
神さまの恵みを循環させていただいているだけだから。

だから、負けているのと違う。マイナスには絶対負けない。求める心、欲の心に負けていない。
すでに神さまの働きそのもののプラスの働きだけ。無言の行でも、マイナスの言葉を一言使わないための訓練をしている。
今度は、神さまのプラスの言葉だけが出てくるようになったら、もう負けていない。
神さまの言葉を発している限りは、本当の無言の行をしている。マイナスの一言を絶対に使ってないし、本当の無言の行。
マイナスの言葉を使わないという意味でも、無言の行。これはもう、全てがそう。神さまの働きと一つになっていたらいいだけ。
そしたら、全てがプラスの行。


(平成25年5月25日のお話 第1部@)