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 一番大事なのは、自分とは何かということ。一切の我のない無色透明の自由自在心という言葉を断定的に使えばいい。
その言葉を使い続けたら、その通り、すぐに自覚が戻る。自分とは、一切の我のない無色透明の自分。なりたい自分のことではない。

真の神さまだけと、全部プラスに瞬間に置き換えていく。でも、小さくではない。
全体を大きくプラス、プラス、プラスに。やっぱりみんな、言葉で肉体が自分、肉体が自分という言葉を使い続けている。
これが自分、あれが他人という風に、普段の言葉がやっぱり小さい言葉になっている。真の神さまが自分と言い続けないと。
一大循環の相象が自分と言い続けないと。真のプラス、新たに降り注ぐ真のプラスが自分と言い続けるのがいい。本当に言葉通り。

自分とは何か、本当の自分とは何か?これが一番大事な根本命題。自分の一番納得できる答えが正しい答え。
だから、これが自分と決めて納得できるかどうかを、もう一回考えたらいい。肉体が自分だったら、みんな絶対に納得しない。
必ず寿命がきたら死ぬ、消える。それで喜べる?満足できる?絶対そういうことは、ありえない。
本心の自分がそれを認めない。永遠の自分、完璧な自分、本当に真の神さまそのものでないと納得しない。
だから、とことん自分を見つめ直さないとだめ。自分とは何かって。中途半端ではだめ。

本当の自分探しは、真の神さま探し。真の神さまが自分。だから、その自分に戻るために真のプラスの言葉を探す。
言葉探し。一番大事な言葉を探す。みんな言葉で納得する。満足できる。みんな言葉通りになるから。
だから、苦しむ人はみんな、マイナスの一言で苦しむ。マイナスの一言を使わない人は、絶対苦しまない。
見るのも、聞くのも、言うのも、全部自分が選んでいることになる。マイナスの一言を選んだら、苦しむ。
プラスの言葉だけだったら、何を見ても聞いても言っても大丈夫。絶対苦しまない。
だから、自由自在に選んで、それを使いこなす自分があるから、どんな言葉を選んでも、どれだけ使ってもいい。言葉通り。
みんな私って言わないといけない。これだけが私って言ったらだめ。みんな私。掴んでいる自分を渡してしまえばいい。
そしたら、みんなも掴んでいる自分を渡してくれるから。結局みんな、全てが自分。

 真の神さまが与え続ける自分だから、全体が自分。自分の全てを与え続けているだけだから、全てが自分。
与え尽くし合いで、交流して一体化しているのではない。これが自分って掴んだのを、全部に与え尽くすだけ。
そしたら、みんなも同じように与え尽くしてくれる。それで、交流が速くなるほど、一体感が深くなる。大きくなる。
一大循環の相象が、無限のスピードで与え尽くし合うすがた。与え尽くしたら邪魔になるから、与え返してくれる。
みんなが与えてきたらどうなる?持つこともできない。そしたらもう、バーッと与えないといけない。
もう一瞬も、そこへとどめたらパンクする。だから、与え続けることで、いい加減になる。
与え続けても、次から次へと与えてくるのだから、もう大変。必ず、自分が与えた無限倍が入ってくる。これは、大変なこと。
だから、スピードを速くして与え続けるだけ。与え続けたら自分が消えてしまう、なくなる。

掴んだ分だけが自分。掴まなくなって与え続けたら、自分が消える。無色透明の自分。一切の我のない自分。
そしたら、真の神さまだけが循環する自分。


(平成25年5月18日のお話 第2部)