真のありがとうございます 

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 真の神さまは、一大循環の相象(すがた)で循環している働いている。
でも、ありがとうございますの神さまは、祈りの神さまは、祈りを実行させるために、
それを目的だけにしてみんなに働きかけている真のありがとうございますを祈れるように助けている。
それが祈りの神さま。

やっぱり、祈れる自分にならなかったら、真の神さまを感じるわけにはいかない。
一番大事なことを一つに絞り切って与えようとしている。他のことはどっちでもいい。祈れる自分になることが一番大事なこと。
同じ幸せを与えるのでも、祈る幸せを与えたい。それだけをたくさんの中から1つに絞り切っているのが、祈りの神さまの働き。
だから、何か他の幸せを与えようとしているのと違う。祈れる幸せ、祈る幸せを最優先にして与えようとしているだけ。
 

Q:「作業もお祈りになっていると思うのですが、お祈りの部屋でお祈りをするのと、
作業を通してお祈りになっているというのとは一緒ではないのですか?」

A:積み重ねたカルマ、業というのは、ほっといたら大きくなって、どんどんどんどん出てくるだけ。それを消さないとダメ。
消す場として、与える奉仕の場を作らないとダメ。与える、奉仕する場を作ったら、そこへ波が合うから、
神さまの与え尽くす愛の働きが加わって、マイナスを軽く済ますことができる。
でも、自分が求める心で生きている限り、波が合わなかったら、神さまの愛の光がいくら降り注いでも、離れてしまう。
軽くしてもらうどころではない。離されて飛ばされてしまうだけではなくて、消えない。

だから、神さまの愛によってマイナスを消してもらうための受け場が必要になる。それがお祈りとか奉仕の生き方。
そしたら、万分の一、億分の一に済ましてもらえるチャンスを与えてもらう。
だから、そういう場を自分が選ぶか選ばないかで、大きい違いになる。

だから、本心の自分に戻るまでは、安心したらだめ。祈れる自分になるまでは、安心できるものではない。
祈れる自分になったら、何の心配もない。無限の借金を積み重ねた人は、借金に借金を積み重ねて、高利の借金になっている。
一日で倍以上になる借金は、一気に消さないと。半分消してもらったからって安心したら、翌日、倍になっている。
そんな借金は永遠に消えない。だから、自分が本当に真剣に祈り続けたら、元本を一気に消してもらう。
借金のない自分に肩代わりしてもらえるから、その時から自分が祈れるようになる。
それで、恩返しに生きたら、自分の積んだ借金は自分で消したことになる。そうでないと、本当の借金返しにはならない。

祈れる自分になるまで安心したらだめ。思いに負けて祈れない自分は、まだ借金が多い。
消し続けてもらっても、まだ全部消えてないから。だから、ありがとうございますが湧き続けて、
連続してずっと祈れる自分になるまで、真剣に祈らないとだめ。

現実を掴んで、マイナスの言葉を使うのは、生き方が甘い。本当に、全ての思いを消そうとしていない。負けたらだめ。
本当に真の神さまだけって断定しないとだめ。本当のプラスだけって、祈り続けたらできる。本当は真のプラスだけ。
厳然と一大循環の相象があるだけ。あるのに気付かないって、おかしい。それはなぜか?祈ってないから。
祈りを忘れているから。忘れる時間が多い。ありがとうございます、ありがとうございます、真の神さまだけ、真の神さまだけって、
断定的に感じないといけない。真の神さましかない、それ以外何もないというふうに。実際そうなの。それを感じない方がおかしい。

感じないのは、マイナスの言葉を使っているから。真のありがとうございますを忘れて、マイナスの言葉を使っているから、
そうなっているだけの話。どれだけ真のありがとうございますが連続して、祈り続けられているか、それだけ。
言葉通りなのに、言葉通りに感じ取れるのに。早く思い出して、祈りに戻りなさいと神さまは言っているのに、
気づかなかったら、地獄の体験をしてみるかってなる。色んなマイナスのすがたを勉強するのも、
お祈りの必要性を感じ取るためにしている。お祈りを忘れないように、命がけでできるように。
祈り続けないと解決しないから、それで祈りを忘れずに済む。

だから、この世だけでマイナスがあるって言ったら笑われる。あの世のマイナスは、万倍億倍。
それを全部消しきろうとしたら、祈るしかない。本当の祈りになってくる。

ただ、この世の奉仕作業は、何かをしているのとは違う。大きいマイナスを消し続けている、消し続けてもらっている場。
人殺しを、少し良いことをするすがたに変えてもらったと言ったら、どう?何億人、大量虐殺する業を、
人を少しプラスに幸せにする働きに変えてもらったと言ったら、大きい修正作用が加わっている。
少なくともそういう大きいマイナスを、無限のマイナスを無限分の一に軽減して、
神さまの愛で消してもらっていると受けるのが絶対必要。お祈りの最初の出発点。
奉仕作業して何かして、そんなのとは違う。大きい無限のマイナスをプラスに変えて消してもらったという確認。

どれだけ大きく喜べるか、大きく神さまの愛を感じ取れるか。これだけ。
だからこそ、ありがとうございますって祈り続けないと。真の神さまの愛だけって言わないとダメ。
この世のすがたではない。過去の消えていくすがたと違う。神さまの愛が新たに新たに、常に降り注いでいる。
一大循環の相象というのは、神さまの愛の降り注ぐすがた。それをいつも実感しないと。そのためのお祈り。

だから、与え尽くす恩返しの奉仕作業というのは、みんな、お祈りをしやすくするためのもの。
与え続けるお祈りは、与え尽くす自分でないとできない。だから、奉仕作業をしている自分が、与え尽くすお祈りが一番しやすい、
しやすくなるの。真のありがとうございますって、与え尽くすお祈り。求める心だと、受けるお祈りしかできない。
受けるお祈りでは、神さまの助けは一瞬小さく受け取るだけで終わる。それでは、本当の助けを受けられないから。

与え尽くすお祈りに変わらないと、神さまは自分の中を循環しない、流れない。だから、奉仕作業をしながら祈る。
祈りながら奉仕作業するといい。与え尽くす心で、神さまのために、みんなの幸せのためにって、
そういう気持ちで祈り続けるためにする。そしたら何しても、お祈りになっていく。

例えば、猫もお祈りしている。何していても。寝ても覚めても。横になっていても、座っていても。
形にとらわれたらだめ。神さまの愛だけを、新たに新たに、しっかりと受け直すだけ。
縦線だけのプラスと言うけど、これは、本当の縦線だけの愛の光。神さまの愛の光だけが降り注いでいるというふうに受ける。
無限の無限の愛が無限に無限に一杯って、これも新たに新たに。それを受け続けるために与え続けないと。
与え続けないと受け続けるわけにはいかないから。それで、与え続けるありがとうございますになる。
神さまの愛を与え続けるの。ありがとうございます、ありがとうございます、それも全ての全てに対して、与え続ける。

 そうすると絶対の中心から、循環してくるものが、自分の中を通り抜ける。与えたところからも循環して与え返されてくる。
無限の無限の愛が、無限に無限に一杯って、常に実感できるようになる。
そしたら、神さまの愛だけということをいやというほど感じる。形ではない。形ではなく、本当の神さまの愛を直接感じる。
それが一番幸せな自分。


(平成25年5月11日のお話 第2部@)