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 あの世に、まず虚の世界を下から上へ昇ろうとする生き方と、上から下に落ちていく生き方と二通りある。
だから、同じ世界に住んでいるのでも、上から落ちてきて同じところにいるのと、
下から上がってきて同じところにいるのと、両方ある。真実の世界から落ちたばかりの仏界・菩薩の人もある。
下から苦労して、助けてもらって、努力に努力を重ねて上まで上がってきた菩薩・仏もある。同じではない。

この世も、あの世の縮図だから、心境を落としていく人と、心境を上げていく人と、二通りある。
この世の両方のすがた、どちらもあの世のすがたを軽くするため。上から下に落ちるのは、早く落ちるのは嫌。
だから上から下に落ちるのを軽くするために、できるだけ途中で止めてくれるの。
その途中で止めたのが、この世の上から下に落ちるすがた。

下から上へ上がるのは早い方がいい。出来るだけ早く、引き上げてほしいのが、当たり前。
この世も上へ上げてもらうのでも、あの世の縮図だから、あの世で早く上げてもらうための、この世のすがた。
だから、その両方を見てないと、どれかわからなくなる。まず、この二通りあるというのを、しっかりと考えつかないとダメ。

自由自在心は、いつでもどこでも行って、どこへでも立場を変えて立てる。
だから、その人の自由意志でどんな言葉でも選び直せる。下へ落ちようとしたら落ち続ける言葉を選び続けたらいい。
途中でUターンできる。自由だから。言葉を変えたら、途中でまたUターンして、また真実の世界にも戻れる。
必ず全部が地獄まで落ちないといけないのではない。また全部が落ちてない。一部が代表で落ちる。
みんなが落ちたら大変。だから、落ちるのは一部。途中でUターンするのが多い。

真実の世界が入れ子構造で、絶対の中心に近いものが大きくUターンする。虚の世界も同じ原理。
高い世界ほど早くUターンする人が多い。末端に行くほど、Uターンが少なく小さくなっていく。
その映しだから、同じ真実の世界から虚の世界に転落しても、大きいUターンがあるから、
仏界の人は早くUターンして、真実に戻りやすい。

それでまず、地獄まで落ちた人を今度はもう、いかに救うか。救うための色んな方策が、この世を使って用意される。
あの世を救うのでも、まずあの世の高い方から、救いに立つのだけど、仏界・菩薩界から救いに立つのだけど、
上へ登っていく人は、下に巻き込まれない。でも、上から下へ救いに立とうとしたら、巻き込まれて落ちていく。
同じ救いに立つのでも二通りある。

虚の世界に落ちて新米が、経験のない人が、救いに立ったら、そこに巻き込まれて、落ちてしまう。
だから、溺れている人を救うのでも、水泳の達人だったら、同じ溺れた人を助けるのでも、上手に助ける。
自分の体の自由が奪われないように、上手に助けていく。でも、その経験のない人が、いくら自分が泳げても、
しがみつかれたらもう泳げない。そういう人はもう、一緒に溺れてしまう。同じ。だから救いに立つのでも二通りある。

でも本当の救いは、ある程度色んな体験を積んだ人でないと、本当の大きい働きは出来ない。
だから、下から順番に助け上げてもらって、本当に神さまの愛の働きを感じ取って、本当の恩返し一筋の心になった人が一番、力がある。
元から神さまの高い世界にいて、経験のない人が、力なんかない。
一回地獄まで落ちて、この世でも色んな働きをして、という人が仏界へ戻ったら、力がある人。

だから全然値打ちが違う。この世へ生まれてきて悟りを開いて、あの世へ戻った人の方が偉い。
この世に出て来てない人の方は、体験不足。経験不足。向うに行ったら歴然と差が出てくる。

例えば、猫が死んだという、一つのすがたを見ても、全部に通用する。
まず、あの世のマイナスをいかに軽く消すかというのが根本。そのために、あの世で色んな方策が練られている。
大勢が大挙して働いている。そのマイナスを消すために、全てを動員する。その消すべきマイナスをどこに持ってくるか。

どのマイナスを消すか。落ちていく人のマイナスを軽くするために消しているか、
下がってくる人の分を消すために使っているか、色々。でも、そんなこと考えてもわからない。
どこから引っ張ってこられるかわからないから、あの世でも色んな人が消すものを持ってくるわけ。
沢山混ざり合って、一つのところへ持ってきて、消そうとする。

大体、ごみの収集がそう。色んな家へ回って集めてくる。一か所から集めてくる大量のごみもあるかもしれないけど、
一軒一軒から出たごみを全部集めて一か所で燃やす。それと同じ。あの世のマイナスもいたるところから、
早く消してほしいものを集めてくるから、それを消す場所にどこを選んで消すか。


(平成25年4月20日のお話 A)