真のありがとうございます 

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Q:「以前先生が、仏様も一つの大きな宇宙を持っていると言われたことがあったんですが、
そうすると仏界でも一つの立場を持っている、つまり仏様も自由自在心ではないということになりますか」
 

A:虚の世界は、虚の仏さまが一杯いる。それぞれ阿弥陀如来、西方(さいほう)楽浄土って持ってる。
色んな仏様無限にいる。全部自分の宇宙を持っている。自分の世界を持っている。虚の世界は全部そう。

でも真実の世界は、それよりもっと大きい。小さい末端でも、天照大御神一個でもそう。それも大きい全大宇宙。
虚の世界なんか比較にならない。全部束ねても足元にもよらない。それが入れ子構造で大きく大きく、真実の世界になっているから、
そのどの部分を自分として受けるか?

 これが自分って、大きい自分だったら、もう言葉で表現できないくらい大きい宇宙。
ただ、その言葉通りに何でも受け取れるから、掴んだ時が、それが自分の宇宙。自分の世界になっている。
 

Q:「必要な時に、必要なだけを、必要な人にという言い方をされますが、本心の人にとってもその必要なものに変わるのですか?」

A:本心がどこに立っているかによる。全部立つ場所が違う。みんな、どこに立っていても、本心の自分が立っている。
意識ある自分が立っている。真実の世界に立とうが、虚の世界に立とうが、みんなそう。地獄にも立てる。本心の自分が。

だから、言葉の通りに自分がなっている。真のありがとうございますが必要。真の神さまという意味の、
ありがとうございますがないと、自分が真の神さまになれない。だから、一瞬も忘れたらダメ。
ありがとうございます、真のありがとうございますを忘れたら、真の神さまから離れてしまう。その時の言葉通りの自分になっている。

 自分はどこにいても、言葉通りになる。どこにでも立てる。だから今、自分が肉体と思って、肉体の中に立っていたら、
それ以外に自分はない。神さまの世界にいる自分は別個にない。今の自分は、言葉通りに肉体に立っている。
ありがとうございます、真のありがとうございますを唱えたら、神さまの世界に立つ自分になる。

自分が沢山あるのと違う。自分の意識は一つ。その一つの意識をどこに置くか。自由自在に置かないとダメ。
最高の言葉の中へ自分を置かないと。自分の意識は一つだけ。分裂しているのと違う。あちこちにあるのと違う。
形を見て、そういう風に言っているだけ。自分の自由自在な意識一つ。大事なのはその意識をどこへ置くか。
だから、地獄なんかに置いたらダメ。
 

Q:「本心はどこにでも同時に立っているという風に言われますが、その意味は?」

 A:自分の意識が大きくなったらそう。今の自分が大きくなっていたらそう。真実の世界が全部自分と言えば、そう。
だから、真のありがとうございますって、真の神さまになったらそうなる。でも、それがまだ徹底していない。
まだ、ありがとうございますを唱えて、真の神さまに会ってない。単に虚の世界の言葉のありがとうございますかもしれない。
それを真の神さまという、ありがとうございますに変えていかないと。それを徹底して繰り返して唱えていたら、
真の神さまが自分になって、神さまが循環するすがたがわかる。だから、全部言葉だけ。

言葉のところに自分がいる。だから、色んな勉強も必要な時はあっても、勉強が必要なのではない。祈りが必要。
最高の祈りが必要。一つの言葉に絞り切って、本当の祈りが必要。だから、ありがとうございます一言でいい。
あと唱えたらダメ。本当に真の神さまと一つになりたかったら、ありがとうございます一言だけでいい。
そしたら、真の神さまが全てになる。真の神さまだけになる。完璧な自分、永遠の自分、本当の心の安らいだ自分。
本当に一つに絞り込みがいる。時間がもったいない。一分一秒、本当に大事。無駄に使っいたらダメ。
ありがとうございますだけになりきらないと。寝ても覚めても。24時間+α。

 どれだけありがとうございますを唱え続けているか。唱え続けている人は、真の神さまの中にいてる。
虚の世界なんか見てない。真の神さまだけを感じ取って生きている。だから、自由意志で何を選ぶか。
一言選び続けないと。ありがとうございます。根本に、真のありがとうございます、一言置かないと。
根本に一つ置いておいたら、あと枝葉は自由自在。


(平成25年4月13日のお話 A)