真のありがとうございます 

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 お祈りって、祈り言葉を本当に淡々と唱えるのが正しい。淡々というのは、何も交えないという意味。無心の心で。
それが、一番効果が大きい。神さまの中へ融け入りやすい。ありがとうございます、一言で、神さまへ融け入る。
真のプラスの中へ融け入ったらいいだけ。一大循環の中へ入るだけ。ありがとうございます、ありがとうございますってね。
そしたらもう、虚の世界がすーっと消えていく。もう真の神さまだけっていう感覚が出てくる。本当の実感になる。
だから、無心で淡々と唱えるありがとうございますが、最高の力を発揮する。言葉通り、真の神さまが出てきてくれる。

躁うつ病の、躁というのは、はしゃぎまわる躁。はしゃぎまわったら、またうつになる。虚の世界は全部そう。
うつというのは、やっぱり鬱蒼として、真っ暗な状態なの。みんな思いを溜めた暗い状態、うつの状態になって、
それが形に出たら、うつ病。でも、ある程度うつ病が続くと、今度躁になったりする人がいる。虚の世界ってみんなそう。
波の変化が両方になって繰り返される。両方消さないとダメ。

だから、お祈りでも、静かに淡々とがいい。あまり喜びすぎて、はしゃぎ過ぎて唱えるのは、まだ虚のお祈り。
静かに淡々と、無心に唱えるのがいいの。静かな喜びの中に、本物がある。
だから、祈り言葉をしっかりと選んで淡々と唱えていたら、一番早く変わる。何も考えないでするの。
これだけ回数早く唱えないとって考えないで、何も考えずに。病気を治すためとか色々考えたらダメ。無心に淡々と。
これが本物のお祈り。真の神さまだけというお祈りになるの。

色んな思いを出すと、波が違うの。虚の世界を救うためになんて言ってもダメ。これも間違う。
あの人を幸せにするためにというのも間違いなの。真の神さまが全てって、真の神さまだけって、真の神さまの中へ入ればいいだけ。
ありがとうございますって、淡々とありがとうございますって神さまの中へ入ればいいだけ。その時全てが解決されている。

本心の自分の16項目は、もう完璧に暗記しておかないとダメ。常に唱えないと。
それで、ありがとうございます、真の神さまが真の自分って、もう徹底しないと。自分が真のプラスになり、真の調和になり、
一大循環の相象になりって、神さまの全部になりきる。そしたら、肉体や魂、いのちの自分って全部突き放せる。
そんなちっぽけな偽物ではないから。本当の自分というのを実感するようになってくる。世界がガラッと正反対に変わるの。
この世があるって見ていた感覚から、この世は本当に夢・幻の錯覚だとわかる。真の神さまの世界だけが本物って実感するようになる。

やっぱり言葉の回数。どっちを多く、言葉を使って積み重ねたかによる。だから、祈り続けていないと、神さまの世界は実感できない。
まず虚の世界に、マイナスの言葉を無限に積み重ねた。これは、プラスの言葉ぐらいだったら絶対に消せないから、本心には戻れないの。
でも、真の自分という風に思い返して、真のありがとうございますを唱えたら、虚の世界は、最初から無関係。
消さないとダメと言っても、何もない。自分が選んだ通りに、自分の駆使した言葉通りになる。新しい言葉の通りになるの。
虚の世界のマイナス言葉を全部消さないと、本心の自分に戻れないのと違う。新たな言葉が、一番威力がある。力がある。
ただそれが本物かどうか。真剣に選んで、使っているかどうか。だから、本心の自分に戻って、真のありがとうございますを唱えて、
本当のプラス言葉を駆使出来たら、すぐに戻る。

一大循環の相象がこの世に映ってきたら、この世でもプラスばっかりになる。ちょっと映って来るだけでそう。
真のプラスが降り注ぐだけで、マイナスが全部消されていく。虚の世界もプラス一杯になる。そんな奇蹟は朝飯前。小さい奇蹟よね。
でも、本当の実感は、真の神さまだけ、真のプラスだけ。本当の実感が必ず湧いてくる。
真の神さまだけなんだって、真実の世界しかないんだって、本当の実感が出てくる。やっぱり真剣に祈った分だけ、その通りに出てくる。

特に、今はそういう風に神さまが大きく助けてくれている時だから、余計早く実感できるようにしてくれる。
何億年に一回のチャンスって、こういう風に、神さまが定めてきているから。
早く助けてあげたいという時期になっているから、助け方がまた違うの。本心の自覚に早く戻るように助けてくれる。
ただ、自分が選ばないと、自由意志は絶対、神さまは縛ってこないから、自分の自由意志で選ばないとダメ。
ありがとうございますを選び続けたら、本心の自分が真のありがとうございますを祈るんだって、祈り続けたらいいだけ。

でも、今のチャンス逃したら、何億年先かわからない。虚の世界を何億年彷徨うって大変なの。
もう一気に本心の自分に戻らないと。全部捨てでも、本心に戻らないとダメ。真の神さまの世界がすべてって、
本当に実感するようになるまでいかないと。もったいない、せっかくのチャンスが。
もう何があってもありがとうございますで、祈り続けないと。この祈り方も、本当に真剣に、本物かどうかって確かめられているの。
祈り方が本物だったら、早く答えもらう。真剣さがあるかないかを見ているよ、同じ助けるのでもね。
本心に戻るまでに無限のありがとうございますを捧げないとって、無限と言っても、回数はないよ。
どこで免除してもらうかでしょ。いつまでも無限、無限と言ったら、永遠に来ない。
でも、無限の回数唱えるくらいでないと、本心の自分に戻るのは難しいというのも、これも事実。
でも真剣さがあったら、これでもう大丈夫って言ったら、本心に戻してくれる。だから、真剣に祈る練習がどこまで進んだか。
絶対もうこれで変わらないという真剣さが出てきたら、本心に戻してくれる。

 寝食忘れて祈るという、これを試されるの。お祈りを忘れてね、美味しいものを食べる方がいい、これは我なの。
ああ、お祈りの方が楽しいと言うのだったら、寝食忘れて祈っている。お祈りが本当に楽しくならないと。
神さまと出会う、神さまのことを思うだけでああ幸せっていう、そういうありがとうございますになってきたらいいね。
何食べても、寝てもいいの。ただ、どっちに価値を置くかよ。お祈りの方に本当の価値を置いたら、寝食を忘れて祈っている。
 

(平成25年3月30日のお話 第2部@)