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 真の神さまだけが本物。虚の方は、実体がない。残像だから。その虚の世界は、無から生まれて無に戻るすがた。
無から生まれるものは、全部相対の両極に分かれて、組み合わさって、色んなものが生みだされて消えていくの。
だから、プラスマイナス、必ず揃う。真の神さまの世界は、プラスだけ。
そのプラスも、新たなる無限の無限のプラスが、無限に無限に一杯って、無限のスピードで降り注ぐプラスだから、横線のないプラス。

 虚の世界は、受けて止めるから、横線が入る。虚の世界は、横線ばっかりのプラス。
それをもうプラスで受けられなくなったら、マイナスになるの。横線ばっかりというマイナスになってしまう。

だから、プラスという時は、まだいいって感じる時は、虚のプラス。それがいいって感じられなくなったら、みんなマイナス。
落ち葉でも、舞い落ちるような、例えば、モミジの葉っぱが落ちてるって、きれいよね。その時はプラス。
でも、積み重なって腐って、ヘドロのようになったのだったら、汚い。プラスには見えない。

虚のすがたは、全部相対の両極に分かれて、全部振り分けられるから、その組み合わせによって色んな表現をとって、
現れては消えていくという、この虚の法則がある。古事記の本に書かれているのなんか、虚の世界の創造の法則を
わかりやすく説いてくれている。でも、真実の世界とは、全然別個。虚の世界は、もう古い落ち葉が一杯溜まって、
無限に積み重なった世界。だから、過去を掴まなかったら、虚の世界は生まれない。
真実の世界に生きている本心の自分は、元から一大循環の無限のスピードの世界の中に生きていて、
必要なものを的確に与えてもらっているの。与える心を生きている限りは、受けて止めるいうことはないの。

ところが、受けて止めた時が問題になる。止めて受けたら、それを自分、自分のものって掴んでしまう。
そうすると、残像の世界に押しやられる。流れでもそう。流れの中に立って、流れるままに、
掴まなかったら押し流されないけど、掴んだ途端に、流れと一緒に押し流される。だから、自分が無色透明だったらいいの。
透明人間だったら、どんな流れにも押し流されない。そこに立っている。でも、流れを掴んだら途端に、流れと一緒に押し流される。
末端まで押し流されたら、どんどんどんどん遠ざかっていく。
その掴んだものをさらに、残像の世界を掴んで掴んで掴んでってなると、小さく小さくなって、さらにスピードが遅くなって止めていくの。

 そういう世界が虚の世界だから、まず虚の世界は、過去の無限の言葉で一杯積み重なった世界になっている。それがいつ消えるか。
消えない。積み重ねたものは、消えない。形に現れたから消えるかって、そうではないの。積み重なる一方でしょ、虚の世界は。
消す場所がないの。落ち葉がどんどん積み重なったらどうなる?消えていかないでしょ。堆積するばっかり。それで消す場所がいる。

循環していたら、神さまの世界に戻って消してもらえる。きれいになって元に戻って行くから、全部消えていく。
循環していなかったら溜まる一方。

だから、この世が何のためにあるか。この肉体を光のパイプと例えているけど、ある意味では焼却炉。
あの世の虚の世界に溜まったごみを一杯、どう焼却するか。肉体に持ってきて、焼いて消してしまう。
焼くというのも、光の循環で焼かないとダメ。本心の自分に戻って、肉体の光を通して、溜まったごみを全部中へ入れて、
焼いて消し去る。循環の中に入れるから消えるの。そうじゃないと消す場所がない。

あの世で、悪いことをしたとする。その業がどんどん大きくなる。人を殺したら、殺す方がどんどん大きくなる。
殺したら殺されるって、殺される、罰を受けるのも大きくなる。どんどん殺す業も罰を受ける業も雪だるま式に大きくなる。
それで、どんどんたまっていくと地獄絵図。だから、地獄の世界の描写をちょっと見たらそう。一番下は無間地獄。
八熱地獄でも、まだそこは殺し合いではない。無間地獄では、爪を磨いて、人の目を抉り取ったりして、八つ裂きにして、
お互い殺し合う。勝った方は、もっと強いのにやられる。それよりももっと強いのがなかったら、牢番が、力があるから、
その人をやっつける。殺されたら、また蘇って、また殺し合いして、また殺されて、蘇ってって。
殺し合いの世界は、もう一瞬の間もないぐらい。殺される世界に堕ちていく。それが無間地獄。

その業をどこで消すか。消えていかない。どんどん大きく積み重なる。これも神さまの世界に戻したら消える。
神さまの世界に戻すために、この世が用意された。光のパイプとして、焼却炉として、あの世のごみを、積み重なったマイナスを全部、
この世を通して神さまの世界に戻して消そうとしている。それ以外、消える方法がないの。
だから、この世はあの世の万分の一のすがたで、思いを消してもらっているというのだけど、この世だから消してもらうの。
この世に持ってくるから、消しきってもらえる。あの世にしても、救われたい人は、またこの世に縋ってこないとダメなの。
憑依というのはそういう意味。光のパイプへ縋ってくるの。思いを消してもらいたいから縋るの。縋った分だけ取ってもらうの。
ただこの光のパイプが、マイナスの言葉、業想念で一杯だったら、あまり役に立たない。
光を送り込むわけにいかないし、焼くほどの力は全然ない。溜めるだけのごみ箱にはなるけど、すぐ溢れるからダメ。

元々肉体をもって生まれてくる時は、あの世から代表で生まれて、光のパイプとしての焼却炉としての役割を果たします、
という気持ちで出てきてるはず、みんなね。心を大掃除して、お祈りして、光を一杯降ろして、
あの世の人を救うために代表で生まれている。あの世に行ったら、それを期待しているの。
だから、ごみをどんどん送り込んでくる。待ったなしよ、本当は。早くあの世を救わないといけないから。
特に、地獄のどん底というのは、無限の落ち葉で押し潰されているの。上からいくら神さまの光を注いでも、
下まで光を届けるのは大変。神さまの光は上からだったら、ちょっとずつ光で消していける。
マイナスを打ち消せるけど、でもそれ以上に逃げて逃げて、マイナスの言葉を積み重ねて、下が一杯なの。
そしたら、下の人を救えない。下ほど早く救ってあげないといけない。上の方は放っといても、まだいい。
軽い落ち葉に覆われているぐらいは、まだいいの。でも、下が一番大変だから、早く救わないといけない。

この世というのは、神さまの世界から見たら、縦穴。大きい縦穴を掘って、横からまた横穴を掘って、
みんなを救おうとしている。これもすごい仕組み。
だから、お祈りをすることによって、本当の焼却炉の働きをさせてもらうの。
焼却炉でも、上から火をつけただけでは燃えない。下から燃やさないとダメなの。どんな焼却炉もそうでしょ。
上から火をつけても下は燃えない。効率がものすごく悪い。下から燃やして、上へ上げて行かないとダメ。
だから、みんなが早く焼却炉、高性能の焼却炉にならないと。それをあの世の人がみんな待ち望んでいる。

憑依も色んな憑依ある。単なる憑依っていうけど、単なる憑依ではないの。助けてほしいと言って、すがって来るのでも、
引っ付き方も色んな引っ付き方がある。神がかりも色々の神がかりの仕方がある。
大体みんなが無色透明になったら、すがたが見えないから、すがれると思う?まず、すがれない。
無色透明でも明るさだけがあったら、どこにすがる?すがりようがない。
だから、本当のお祈りが出来たら、無色透明。まずすがれない。憑依も何もない。神がかりもできない。
そこまでみんな行かないとダメなの。本当の無色透明の光の自分にならないと。

 肉体を持った人にすがるのでも、心境が高くなったら、あの世の低いところからは、すがたは消えるの。
だから憑依は出来ない。波の違いがあったら出来ないの。波が合わないと、肉体にも憑依してすがれない。
だから、みんなに、この色んな波を残している一面もあるの。でも、残すだけではだめだからね。
本当のお祈りをさせて、なおかつ、必要な波は用意するけども、無くなったら消えたら、あの世の波をちゃんと用意する。
順番に引き寄せて。だから、どういう波を引き寄せて、どういう人を救うかって、
全部あの世でちゃんと、救済の神さま、守護霊さま、守護神さまが、全部相談して決めるの。
これは、ものすごく複雑。一人の人を救うだけでも、大変な働きだから、計画してちゃんとするの。順番がちゃんとあるの。

 神さまでも、救済の神さまが大勢いる。どういう風に働くかって、もう大きい計画のもと、一糸乱れず働かないとダメなの。
一人お祈りできる焼却炉になったと言ったら、そこを大挙して護る。何でも焼却炉に放り込むのと違う。
そんな効率の悪いことはしない。本当に必要なだけを燃やすように護ってくれる。それでも、燃えカスの灰が一杯出てくる。
大量に燃やしたらそう。だから、大量に沢山燃やして消すためには、ごみまで選択して選んでくる。
燃えにくい濡れたものなんか入れたら、十倍効率が悪い。そういうのは焼却炉に入れる前に、ちゃんと乾かさないとダメなの。

だから、焼却炉に入れる前に、ちゃんとごみの選別までちゃんとしてくれて、放り込んで消すための働きを応援してくれるの。
お祈りする人の周りを大勢の神さまが包み込んでいる。それで、あの世の色んなごみを集めてきて、焼却するのでも、
ちゃんと計画的に順番にちゃんとする。だから、大勢の神さまが大挙して一緒に働いている。
それでないと、ごみを減らせないの。全員がお祈りするようになったらもう、そこまでしなくてもいいけど。
本当にお祈りできる人は、まだ僅か。それも、本当にお祈りをして、焼却炉として働いているのは、ほんの僅か。
だから、それを壊すわけにはいかない。いくら性能がいいからって、高温にしておいたところに、
水っぽいものばっかりバンバン入れたら、焼却炉が壊れてしまう。灰でも、溜めたままにしておいたら、すぐに焼却炉がダメになる。
だから、灰も早く出さないとダメだし、変な物を入れないようにしないと、性能が落ちてしまうから。
その辺まで加減して、ちゃんとするといったら、すごいことなの。

これは、あの世のごみを早く全部焼却したいから。特に、低いところを早く救いたいの。
本当に落ち葉の腐った中に閉じ込められて、押し潰されて苦しんでいる人を一人、救おうと思ったら、どれだけ大変か。
雪に埋もれた人を救うだけでも大変でしょ?厚い無限の厚い落ち葉の層に押し潰された人を救うって、ものすごく大変。
横に穴を掘って、引っ張り出しても、大変なこと。ただ、みんなこれ、本心の自分が、自分の選んで使った言葉の中へ、
自分を閉じ込めているの。本心と別個ではないの。自由自在の本心の意識が、言葉通りの世界に、閉じこもっているの。
業想念の心だけが苦しんでいるのではないの。単に業想念だけが苦しんでいると言うのだったら、
もう強い光でぶっ飛ばしたらしまいでしょ。本心の自分が言葉を選んで、その言葉の中に閉じこもっているの。

だから、その消し方も工夫しないとダメ。ただ本心の自分は、焼却炉の中に入れてもらって焼かれても、
消えてなくなることはない。ちょうどフェニックス、不死鳥のように蘇る。周りのごみを全部焼いてもらって、
きれいになっても、本心は不死鳥に蘇って、本心の自分に戻って行く。
だから、焼いてもらうのを喜ばないといけないのだけど、表面の業想念は焼かれると困ると言って、逃げ回る。
炎の洗礼から逃げ惑う。これはもう、仕方がない。それでも無理矢理にでも、ごみをどんどん集めては消さないとダメなの。
消す場所がないから、この世に引っ張り出して、どんどんどんどん、ごみを処理していく中で、本心の一人一人が救われていくの。
 

(平成25年3月30日のお話 第1部@)