真のありがとうございます 

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 物を映す鏡もそうだけど、輝く鏡もある。輝かすという鏡。どっちがすごいかって、輝く方がもっとすごい。
同じ光でも、光で輝かす方がすごいでしょ。映す鏡の方はまだ、万華鏡でも大したことはない。
だから、虚の世界って、元々仕組みが相対の両極に分かれたものが組み合わさって、色んなものを生み出すのだけど、
常にプラスとマイナスの戦い。常に戦い、争い。どちらが勝つか。綱引きでいったら引っ張り合いだし、相撲でいうと押し合い、常にね。
神さまの世界もそう。正神界と邪神界の戦いになっている。全てがそう。
でも、本当は、それを全部、真の神さまの愛の働きという風に見て行かないとダメなの。戦いに見るのは思いの心。
本心の心は、全部プラスに見るのが本心の見方。

例えば、事故を起こしたとする。追突した加害者と、追突された被害者があるとする。どちらが悪い?
結果を見て、どっちが悪いって言ったらダメなの。これはもう、先に運命のひな形が、心の世界に出来上がっている。
その作った原因は、戦う、争う、ぶつかり合う心が一杯溜まって、それが運命のひな形になって、
大事故を起こして死ぬようになっている。その大きい運命のひな形のマイナスを消すために、どう消すか。
その当事者が選ばれる。消すための役目の人が。この時は、本当に縁の深い、助け合える、支え合える、
善因縁のものが選ばれるの。そうしないと、大きいマイナスをお互い助け合って支え合って消せない。
結果として形に現れたのは、万分の一の軽さに済んで消されたというだけの結果。

加害者が悪い、そんなこと言ってたらおかしい。加害者が悪いというのは、思いの心。
過去を掴んで、その時の過去を掴んで、現実を掴んで、勝手なことを言っている思いの心。本心の心は、そうではない。
もっと大きく眺めて、心の世界に作り上げてしまったマイナスを、いかに早く大きく軽く消そうかという。
そう考えて、消すためのパートナーを選ぶの。これは二人の時は、二人の事故だけど、
同じような人が大勢支えましょうって来たら、両方の車に大勢が乗っているの。
みんなで協力しようって、マイナスを大きく背負って消しましょうって、当事者になるの。

それで、大難が小難に、大きいマイナスが軽く消してもらえている。その消してもらった結果が現実。
全然、現実にプラスマイナスはない。軽く消してもらったの。神さまの愛で、大きいマイナスを小さく消してもらえたという
結果だけが現実に出ている。

だから、全部神さまの愛のプラスの働きばっかり。今のは、交通事故の話だったけど、殺したり、殺される側もそう。
殺し合いの姿が出たとする。殺す側の殺人鬼と、殺された側の被害者っていうけど、
これもマイナスの言葉を一杯溜めたら、マイナス言葉は、殺人と同じでしょ。無限回殺すような業が生まれる。
殺したら、また殺される側も生まれるの。だから、一回殺したら、殺されたら消えるのと違う。
殺すという業はさらに大きくなるの。一回人殺ししたら、次、平気で人殺しする。
どんどん人殺しが大きくなって出てくる。これは業が消えないの。死刑になって償いが出来るのかって、出来ない。
そんなことで業は消えるものと違う。

殺されるって、これもマイナスの借金返しで出るけど、これもどんどん大きく増える。
殺すという業も増えるの。両方が雪だるま式に増えていく。どっちも消えない。増える一方。
それをいかに消すか。神さまの光がそこに降りなかったら消えないの。

だから、被害者の方だけが、借金返しだけが消しているのと違う。両方の役割がいる。
人殺しをするという、この業を消そうと思ったら、人殺しの姿がいる。
その罪の償いの罰を受けるというのがいるのだったら、殺されるという罰を受ける姿がいる。両方いるの。
両方を消さなかったら、消えたって言えないの。

だから、悪役と被害者と両方要るの。それをどう消すか。本当に仲良しの、支え合う人でないとできないの。
両方の役は、多分できない。だから、殺す側も殺される側も仲良しだから、背負って消せるの。
そしたら、この世に出ている姿全部、マイナスではない。全部プラス。大きいマイナスを軽く消すための、神さまの愛の計らい、仕組み。

みんな勘違いする人が多い。過去を掴んで現実だけ見る人みんな、何もわからないから、反対に結び合わせて、
想像して仮説みたいな感じで立てるの。だから、病原菌がそうでしょ。病原菌が原因で病気になっているのは、大きい間違い。
反対。人の積み重ねた大きいマイナスの業想念をいかに消そうかという、病気の姿であらわして消すのだけど、
大変だろうから、応援に来るの、微生物が。細菌が一生懸命、一緒にマイナスを大きく背負って、一生懸命祈ると熱が出るよ。(笑)
微生物の方も一生懸命消そうとするから、数増えないとダメだから、数をどんどん増やして、大きく消そうと一生懸命頑張る。
ああ治ったって、後の結果を見たら、微生物がいっぱいいるという。増えていた。結果だけを見て、悪者にするの。
反対でしょ。大きいマイナスを、病気の原因の業想念を、軽く軽く消してくれた、一番の働き者を悪者にして攻めて、
薬でやっつけようなんておかしい。反対よ、やっぱり。病気の元ではないの。病気を減らす菌よ。病減菌、減らす方の減菌よ。
本当そうでしょ、可愛そうにね。

だから、マイナスではない。一緒に支えて消してくれた、大恩人。神さまの愛はそういう風に全てを通して働いてくる。
助け続けてくれる。プラスに受けてこそ、本心の生き方。全てをプラスにプラスに受けてこそ、神さまの愛を受け取れる、
本心の生き方。それを反対にマイナスに見たら、神さまの愛を拒絶して拒絶してって、業想念を一杯積み重ねて、地獄まで行く生き方。
どっちを選ぶか。正しいのは、プラスにプラスに受ける生き方。だから、全部プラスに見たらプラスになる。
同じすがたをプラスに言葉を使ってプラスに見たら、プラス。マイナスの言葉を使ったら、マイナスに見てマイナス。

地獄絵図を見ても、プラスに受けられる。みんな自分の身代わりにマイナスを背負ってくれて、
悪い方と被害者の方と罪を償う方と両方演じてくれている。殺す方も殺されて、罰を受ける側もって、
両方の役を受けて消してくれているの。すごい愛の働き。そういう風に受けたら、地獄は地獄と違う。
神さまの愛の計らいの、素晴らしいもの。プラスに受けたら、プラスの極楽。
小さい立場で小さくなって見て、自分の都合の悪いのをマイナスに見たら、マイナス。
だから、本心は常に全体を見通すから、大きい立場で大きいマイナスを消そうとするから、よくわかるはず。
自分中心ではないの。自分の小さい生き方で見ないの。いかに大きく、自分の責任を果たそうとしようとするか。

だから、心に溜めこんだ大きいマイナスをいかに軽く早く消そうとするかなの。
みんな消すための役割っていう風に見たら、もう大きいプラスばっかり。消されたら神さまが現れる。
虚の世界が消えて、真の神さまの一大循環の世界が厳然と現れてくる。全てに対してありがとうございますを捧げるしかない。
本当の全てに対して。虚の世界の全てにもありがとうございますしかない。

自分に出来ることって、ただひたすら真のありがとうございますを捧げ続けて、恩返しするだけ。
そしたら、みんなが支えてくれている。本当に助けてくれている。これに気付く。
助けてくれていることに、みんな気付かなかった。気付けばいいだけ。気付いたら、もう幸せになる。
本当の大きい愛の働きばっかり。

神さまと一体の自分は、みんなを支えようとする。だから、神さまが、みんなが支えてくれるのが当然。
元から一体だから、余計支えてくれる。ばらばらの見方で見るのではなく、元から神さまと一体の自分だから、
みんなと一体だからって。支えるのは、喜びで支えるの。支えずにおれないという愛の一体感から来るのがそう。

神さまの働きだけを感じ取る。元から神さまが働き続けてくれている。それがすべて。それに気付くだけが正しい。
働いているのに、みんな気付かないのは、拒絶したから気付かないの。マイナスの言葉で拒絶して、気付かないだけ。
マイナスの言葉を使うのをやめて、ありがとうございますに切り替えたら、気付く。神さまの愛しかないというのがよくわかる。

だから、すべてにありがとうございますを捧げ続ける。そのありがとうございますは、感謝ではない。
元のありがとうございますの祈り。本当の全ての行。

幸せよね、ありがとうございますを唱えられることが。どれだけ幸せかわからない。どんどん真の神さまと一つになっていく。
虚の世界で、どんな生き方しても、心の安らぎは絶対にない。無から生まれたものは、全部虚しい、
儚いから、心が安らぐことは永遠にないの。一時的に虚しさから逃れようとしても、そんなことダメ。

だから、本当のありがとうございますを唱えられて、本当の安らぎを与えてもらうの。


(平成25年3月23日のお話 第2部)