真のありがとうございます 

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 真の神さまは、新たなる無限の無限の天照大御神。それも入れ子構造の無限の無限の天照大御神として出てくる。
一個の天照大御神というのは、小さい。でも、この虚の世界から眺めるときは、一人ひとりを天照大御神という風に
眺めた方がわかりやすい。まず、自分が真の神さまを相手にしてみようとしたら、本当は虚の世界のこのばらばらのすがたの全部が、
消えた方がいい。自分の周りに無限の天照大御神様が、一番末端に現れているって見る方がいい。
虚の世界は、無限の天照大御神様が一つになっているすがたが見えないから、
この格子状の枠が出来てしまって、ばらばらに見て、それも奥の方で、みんな無限に輝いた姿で眺めたらいいのだけど、
そこまで見えないから、どんどんどんどん末端に来ると、肉体人間ぐらいにしか見えない。

まず最初、この世のみんなをどう見たらいいのか。肉体だけを見るのではなく、奥のいのちの霊の自分を
お互いが眺め合ったらいいの。みんな無限に輝いた素晴らしい、という風に。そして、それをさらに大きくしていって、
無限大に拡大したすがただったら、一人一人が天照大御神。無限の輝きを持っているという風に。それもまだばらばらに見ている。

だから、みんなをどう見るか。みんなを天照大御神様と見て、次は、もう一つ真の神さまと一体の一人ひとりって見た方がいい。
だから、みんなを入れ子構造的に大きい天照大御神様って見てもいいの。
最後は、真の神さまそのものになったら、みんなが消える。真の神さまだけ。真の神さままで本当に近づいたら、そう。
真の神さまそのものになり切ったら、もうみんなは必要ない。でも、そこまで拝み続けられるかどうか。

 どこまでもどこまでも大きく拝み続けて行ったら、一つになる。真の神さまと一つになる。そこまで拝み続ける。
ありがとうございますを唱え続けることが必要になる。だから、自分の他に、他に何か一杯無限にいて、
それをどんどんどんどん素晴らしく拝み続けて、最後に全部最高のすがたをとって一つになる。
真の神さまだけになり切ったら、自分と神さまと一対一の関係になっているの。自分の他には真の神さまだけって。
そしたら、その時は自分も消えている。真の神さまだけになる。自分の他に他がある時は、まだ真の神さまに成りきってない。
まだ小さい。他がなくなった時は、自分もなくなって、真の神さまだけになっている。大きくなっている。本物。
それを今順番に高め上げてきているの。

だから、みんな天照大御神という言葉も、順番に段階を追うために必要なの。これも虚の天照大御神ではない。
真実の天照大御神のことを指している。虚の世界なんか、本当に隠れて消えてしまうくらいの、大きい天照大御神様のこと。
それでも、末端の個別の天照大御神様は小さい。更に入れ子構造で大きくしていかないと、拝み続けないと。
どこまでも、拝んで拝んで拝み続けて、真の神さまだけになるまで拝み続ける。そしたら、本物になる。
小さい自分が消えて、真の神さまと一つにならないと。いくら神さまと一体と言っても、まだ神さまとは違う。
神さまより小さい自分になってしまう。だから、どこまでもどこまでも神さまに近づかないと、悟りも本物ではない。
幸せも本物にならない。どこまでも大きくするの。

この肉体人間って生まれてくるでしょ、その時に一霊四魂、一元四体の8つの要素を持って生まれているの。
肉体って、固体があるでしょ、液体があるでしょ、気体があるでしょ、電磁波的な精体ってあるでしょ。
この魂の霊の働きもそう。一番神通力があるのが奇魂(くしみたま)。 

 虚の世界で、プラスとマイナスに相対の両極に分かれる時に、まず霊と体に分かれるのも相対の両極なの。
それが組み合わさったのが肉体人間として誕生しているの。最初の原点がそうなの。
天之御中主神があって、プラスの高皇産霊神、マイナスの
神皇産霊神が生まれるでしょ。
その時両方に分かれた時に、すでに霊系統、体系統って生まれている。
イザナギの神さま、イザナミの神さまという風に出てきた時も、イザナギの神さまは霊系統。
イザナミの神さまの方は体系統。その要素が組み合わさらないと、何も生まれないの。
それで天照大御神様になっても、これ霊系統。スサノオノミコトが体系統で、順番に段階を追って、
系列がずーっと分かれて組み合わさって、肉体人間が誕生して、と全てがそうなっている。
虚の世界ですらそんな風に、素晴らしい。でも、本物の世界は、それと全然違う、そんな単純なものではない。
本物の世界は、もっと無限に無限に複雑で素晴らしい。

肉体人間を生み出すときに、色んな生み出し方がたくさんある。最初から物質化して、順番に波を下げて、
空中から現わしてくる方法もある。でも動物の肉体を使って、それに細工して、変化させながら肉体の姿を作るのもある。
色んなことが全部可能なの。言葉通りに。男になったり、女に生まれたりするのもそうだし。半人半獣ってあるでしょ。
半分動物の色んな姿をとりながら、半分人間っていうのも、それも可能なの。虚の世界は、言葉通りに何でもありなの。何でも作れる。

 神さまの世界が螺旋の動きだから、その映しだったらそれを元にして、虚の世界も生み出されてくる。
虚の世界のいいものは全部、本物の世界から映し出されているだけ。みんな全部そう。一部が映ってきているだけ。

 ただ本物と模型の違いがある。模型の方が単純化されて、複雑ではない。いくら素晴らしいと言っても、単純化されて小さい。
本物の自動車と模型のミニのおもちゃの自動車と比べたらわかる。
本物は中身が複雑だけど、単なる小さいミニカーは、何も中身がない。形だけある空間という感じ。
また本物の地球と地球儀を比べたらよくわかる。本物の地球は素晴らしい。中身が一杯詰まっている。
地球儀は模型だったら、中身が空っぽ。何もない。表面だけちょっと似たような姿をとっている。
だから、虚の世界ってみんなそう。模型の世界だから。ただ、その本物の映しとして、ちょっとは表現しようとしているから、
そこはいいものもあるというだけ。同じ天照大御神と言っても、本物の天照大御神様と模型の天照大御神様の違いがある。

奇霊(くしみたま)が一番上。幸魂(さきみたま)が2番目。3番目、和魂(にぎみたま)。
4番目、寝魂(ぬるみたま)という。一番働きがある活発なのが上になる。だんだんと働きが小さくなってきたら下になる。
物質の方も同じ。電磁波が一番飛び回る。固体が一番静止した状態、動きが少ない。全部持っていないと、色んな働きが出来ない。

 本物の世界は、言葉で作るのではない。元々あるものを言葉で受け取るだけだから、言葉で作るのとは違う。
本物は言葉通りに受け取る。でも、虚の世界は、自分の言葉通りに、幻、錯覚として言葉で生み出して感じる世界。
だから、言葉で作る世界。ただ実体はないの。言葉で作っているけど、虚だから。
元々無から生まれて無に戻る虚の姿だから、実体は何もない。儚い虚しいもの。中身が全然ないの。

だから、単に波の変化というのは、そう。例えば、海だったら、海には実態がある。表面の波には実体はない。
波の変化だけ。すぐに消えてなくなる。海自体には実態があっても、波自体には実態がない。変化だけ。
だから、一大循環は、海流の流れと似ている。大きい流れで、スピードで動き回っているけど、虚の世界は一番表面の波の変化だけ。


(平成25年3月23日のお話 第1部C)