真のありがとうございます 

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 神さまの全体像を掴むというのが一番大事。だから、本当の神さまの地図がいるの。
真の神さまというのは、唯一無二、絶対。一つ。真の神さまの真実のすがたと、虚のすがたと、両方ある。
真実のすがたは、もう言葉で表現できないものすごい世界。虚の世界でも、やっぱり無限に素晴らしい。
だから、すべてが神さま。神さまの現れ。神さまの残像。どれをとっても、無限に無限に素晴らしい。

 まず、この虚の世界、虚の世界の神さまの捉え方。古事記の本に書かれているような捉え方が一番わかりやすい捉え方。
まず、神さまという言葉を5つの意味に捉える。
隠身(かくりみ)の神、仮凝身(かごりみ)の神、輝身(かがりみ)の神、翔身(かけりみ)の神、限身(かぎりみ)の神。
全部これは、虚の世界。隠身(かくりみ)というのは、一番奥で姿を現してない、隠れているという意味。
これは天之御中主神から色んなこの隠身(かくりみ)の神さまが一杯いる。
次に、仮凝身(かごりみ)、かごるというのは、創造するという意味。創り出す働き。
これはもう、イザナギの神さま、イザナミの神さまが出てきた時に、創造神としての働きが出てくる。
それももう、両方に分身が一杯いる。

 まずゼロ、無が相対の両極に分かれる。その組み合わせによって、色んなものが生み出される。
最初は、相対の両極に全部振り分けないとダメ。それを螺旋構造で組み合わせるの。
そうすると、色んな表現が無限に一杯生まれてくる。そのプラスの極が、天照大御神という光源にあたるの。
ツキヨミノミコトというのは、その光を受けて、闇を照らす働き。闇とか地球というのは、太陰の働きが、受ける働きをするの。

だから天之御中主から出発して、隠身(かくりみ)の神さまがたくさん出てきて、
次にイザナギ・イザナミの神さま、仮凝身(かごりみ)の神さまが出てきて、
その分身が、簡単に言うと、八・八(はっぱ)六十四神になっているのだけど、
その働きが組み合わさって、色んな表現が生まれて、それで、プラスの極が天照大御神様。
ツキヨミノミコトもスサノオノミコトも三神が一体の神さま。
その分身が、八百万の神さまという神通自在の宇宙を駆け巡るような神さま、それが無限神、無限に無限に出てくるの。
これもプラスだけではない。プラスの神さまとマイナスの神さま、両方あるの。
虚の世界は、全部そう、プラスが出たら、必ずマイナスの支えがいるから。
正神界の神さまが出てきたら、邪神界の神さまってあるの。プラスとマイナスが、必ず両方セットで出てくるの。

このイザナギの神さまとイザナミの神さまのやり取りでも、古事記に詳しく書かれているけど、
プラスの働きとマイナスの働きの両方が、必ず出てくるの。それで、八百万の神さまという無限神が一杯あって、
その神さまがまた、この神通自在の自由自在なすがたを限定して形に現れて、物質化するような姿をとるの。
これは、限身(かぎりみ)という。限定を加えるわけ。自由を、自由に限定を加えて形に現れるの。

だから、この世の全て、あの世の全て、みんな形がある。これ、限身(かぎりみ)のすがた。これも神さまのすがた。
それで、奥に神通自在な働きがある。これも全部、翔身(かけりみ)のすがた。これも神さま。
それで、全体を統一してくれている。天照大御神を中心に働くこの働きも、輝く大きい働きの神さまの働き。これも、全部神さま。
だから、創造神も神さま。一番奥の一番隠れてわからない働きも、神さま。虚の世界の全部、神さま。
奥から末端まで全部、神さま。それは、真の神さまの愛を、全徳を、虚の世界へ残像として足跡として、現したすがたの世界。
真の神さまがなかったら、絶対虚の世界は生まれない。残像も何もない。
だから、根本は真の神さまがあって、虚の世界が生まれているの。虚の世界も真の神さまの映し、模型。
だから、素晴らしいものもあるわけ。

神さまって、みんな呼ぶけど、本当は全部神さま。ありとあらゆるもの全部、神さま。全部神さまの愛の現れ。
だから、今の自分にとって、宇宙全部、全てが神さまの愛の現れとして、自分を愛してくれている。必要なものを与えてくれている。
遠いところの星からも、光が届いている。身近なこの空気からも、空気にも分子があって原子があって、
みんな喜び勇んで飛び回って、光を与えてくる。この与え方も、単なる物だけではない。
一霊四魂(いちれいしこん)・一元四体(いちげんしたい)という、この八つの要素を持って、
全ての要素から必要なものを与えてくる。虚の世界ですらそうなの。

ありとあらゆるところから、神さまの愛が降り注いでいる。これを感じ取るのが、ありがとうございます。
ありがとうございますで、全てから神さまの愛を、これは無限の種類があるの。無限の段階があるの。全部受け取ったらいいの。
全てから、ありがとうございますで、神さまの愛を、愛のこの残像を受けたらいいの。
マイナスの言葉さえ使わなかったら、受け取れる。マイナスの言葉は、やっぱり拒絶するの。受け取らないという拒絶。
拒絶しても拒絶しても、なおかつ与えてくるの。目に見えないところでは、与えてもらっている。
拒絶するのは、ほんの表面の一部。気付かないところで与えてもらっている。

でも、拒絶するのをやめたら、神さまの愛がよくわかり始めるの。先ず、虚の世界から、全ての全てから、
どれだけ大きい愛を与え続けてもらっているか。想像を絶するものがある。これを順番に片っ端から、受け続けて行けばいいの。
虚の世界でも、虚の世界の天照大御神様の愛の大きさって、無限に無限に大きい。太陽のようなものではないの。
そんなちっぽけなものではないの。太陽を無限に集めたような、大きい愛の光体。光源になっている。
虚の世界の極でもすごい。虚の世界の闇もすごい。ブラックホールの全ての光を吸い込むぐらいの大きい闇もあるの。両方あっていいの。

虚の世界ですら、神さまの愛のすごさって、言葉で表現できないくらい無限にすごい。
そこから真実の世界に入ったら、本当の天照大御神様の表現ですら、虚の世界全体の無限倍。
愛がものすごい、無限に大きい愛。虚の世界の全体と比較して、真の神さまの世界の一個の天照大御神様の表現を対比させてみたら、
一個の天照大御神さまの表現ですら、虚の世界を遥かに超えているの。そういう真の神さまの世界の一個の天照大御神様、
それがまた無限にあって、それを束ねる一段上の大きい天照大御神様があって、更にそれが無限にあってという風に、
入れ子構造で奥へ奥へ大きくなるにつれて、どれだけすごい神さまの愛のすがたかって。言葉で本当は表現できない。
それが絶対の中心に向かって、ずっと続いている。

だから、真の神さまのすごさは、愛のすごさは、単なる言葉ではないの。
本当のありがとうございます、真のありがとうございますで神さまに融け入って、初めて実感させてもらう。
自分を神さまの中へ、融け入らせるというのは、自分を与え尽すだけ。ありがとうございますを捧げ尽くして、自分を与え尽すだけなの。

 このありがとうございますが、曲者なの。単なる感謝ではないの。受け取るだけではないの。
もし受け取るという感謝だったら、真の感謝になったら、全部から真の神さまの愛を全部受け取るの。
全部受け取って、受け取った分を、ありがとうございますで真の神さまへ、全体へ捧げ尽くす。その時に循環交流が起こるの。
それを一回一回するって、遅いよね。これが無限のスピードになってくる。すごいよね。中身がどれだけ濃いものになるか。
スピード化すればするほど、中が充実したすがたをとってくる。

こういう神さまにみんな、生かされて愛されて、みんな一体化して、一つに包まれているわけ。
本当に自由自在な心を、意識を、与えてもらって、全ての立場に立てるし、全てを感じ取れるし、どれだけ幸せかわからない。
ただこれは、言葉で、言葉通りに感じるようになっているから、言葉を選んで駆使することによって、みんな違うの。
 

(平成25年3月16日のお話 第1部@)