真のありがとうございます 

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 本物になる為には、やっぱり、本物の自分をしっかりと自覚して、『真のありがとうございます』、
この意味をしっかり自覚して、それで真剣に唱えた時に、真の神さまの助けが大きく受け取れる。
やっぱり、一人ひとりの選ぶ自由意志って大事。

ただ唱えたらいいのではない。『ありがとうございます』って、ただ闇雲に唱えて、回数だけ唱えてって、
これはまだ思いの心で唱えているだけの言葉。でも、それでも助けてもらえる。
一生懸命唱えるだけで、やっぱり、守護霊さま・守護神さまが応援して、病気なんかパッと消したりする。
でも、その程度の助け。本心の自覚が深まるというのとは、ちょっと違う。本心の自覚が深まるのが、本当の助け。
だから、思いをすっかり全部消してもらわないとダメ。まず、全部の思いを消してもらえて、本心の自覚を拝み出してもらう。
それで、本心の自分が祈る祈りになって、本物になってゆく。

みんな拝まれている。肉体を持った人同士が拝み合っている、そんな浅いものではない。
一人ひとりの背後が拝み合ってくれている。虚の世界にも、みんなを護っている高級な神さまが一杯いる。
そういう神さま同士が拝み合ってくれているから、みんなが本心を引っ張り出してもらう。
みんなに無理に拝みなさいって言っていない(笑)。出来ないことを言っても無理。出来る人がちゃんとしてくれているから大丈夫(笑)。
でも、本心の自分に戻してもらったら、虚の世界の全部よりも、自分の方が、力が上。
本心の自分に戻った人は、虚の世界の神仏の全ての働きよりも上。

だから、病気でも治すのは、自分が本心側に戻って、祈って祈って、自分の病気も人の病気も、
片っ端から治すぐらいにならないと。『ありがとうございます』を唱えたら全部治っていく!となった方がいい。
病気を治すのに苦労していたらダメ。病気なんて無いのに。邪魔する思いだけを、マイナスの言葉を消したらおしまい。
「邪魔をしないようにしましょうね」って言うだけ。
だから、『ありがとうございます』を、片っ端から捧げ続けて、プラスに変えてあげるだけ。

だから、そういう力を付ける為に、たまには寝食を忘れて祈るの(笑)。寝食を忘れて(笑)。
食べてもいいけど、祈っている時はご飯を食べようなんて思わないこと(笑)。一心不乱に祈ってごらん。
寝てもいい、寝てもいいけど、祈っている時は寝ようなんて思わなくていい。何をしていても関係無い。
祈っている時は自由自在。祈っている時は自由自在になっている。神さまがそのまま動いているから、必要なことをさせていても、
祈りが乱れない。寝ていてもいいし、起きていてもいいし、何か仕事をしていてもいいし、同じ。祈っている時はそう。

 だからもう、全てを忘れて、寝食を忘れて祈るって、寝食を忘れて祈るという気持ちになった時が、祈りが本物になる。
「あれ食べたい、これ食べたい」って思ったら、祈れない。「寝ないと」と思ったら、寝ないといけない。寝てしまう。
みんな、朝早く目を覚ますと思うけれど、「寝ないと」と思うと祈れない。
「寝なくてもいい」と思ったら、寝床に横になっていても、祈っていたらいい。寝ようと思ったらダメ。
寝なくて済む、本当は。寝ないで済むと喜んだらいいだけ。

だいたい睡眠って、みんな、エネルギーをちょっと高い世界へ行って、魂が抜けて行って、
エネルギーを受ける為に、魂が肉体から抜けるのが睡眠。祈りは反対。大きいエネルギーを降ろしてもらったら、
わざわざ肉体から魂が抜けて寝なくて済む。睡眠の何倍も、もっと大きい光・エネルギーをもらう。
だから、祈っていたら寝なくて済むのが、本当なんだけど。

だから、「眠らないと」っていうのは間違い。自己限定だから。寝ても、横になってもいい、寝ていてもいいけれど、
いつも祈っているっていうのがいい。寝食を忘れて。「寝ないと・食べないと」っていうのが、マイナスの言葉。邪魔する言葉。


(平成25年3月9日のお話 第2部)