真のありがとうございます 

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 健康の源って、どこにある?健康になるために、みんな努力している?何もしてないよね。
細胞一個生かすのに、無限の色んな働きがいる。自分であれこれ考えて、何かしているか?何もしてない。みんな、ほったらかし。

だから、真の神さまの一大循環の相象(すがた)が、一番最高の手本。そこは無限健康・完全健康そのものの世界。
全ての全てがそう。それが虚の世界に映ってきても、残像にもちゃんと、その調和の光は満ち渡ってるの。

本当の健康の映しとして、健康がずっと虚の世界にも輝いている。だから、健康になるために誰も努力なんかしない。
元から健康がある。健康が降り注いでいる。その健康を邪魔しなかったらいい。健康を邪魔する世界が病気の世界。
虚の世界でも全体からみると、病気の世界は、ごく一部の世界。低い一部の世界。思いを一杯溜め続ける世界。
特に、マイナスの言葉を一杯溜め続けて、そのマイナスの言葉で邪魔する世界が、病魔の巣食う世界。
全体から見たら、ほんの僅か、ちょっとの世界。あとはみんな健康。無病。病気になりたくてもなれない世界。
健康になる努力なんかいらない。反対にみんな、病気になる努力をしたの。マイナスの言葉を一杯積み重ねて。
だから、健康を邪魔する、妨げる働きを無くしたらいいだけ。マイナスの努力さえやめたらいいだけ。
だから、マイナスの言葉を使わなくなったらいい。

元々一大循環って、必要なものを的確に与え尽して、全体が調和している。
必要なものだけをちゃんと与えてもらえる。天照大御神様が必要なものを携えて、
必要なものだけを的確に与え尽していくすがたと同じ働きをするの。この人体一つとってもそう。
全体を支配しているのが神さまの知恵。直接の知恵でなくても、知恵の光が映っている。
人間のこの頭では、細胞一個、原子一個、全部的確に動かすなんて不可能。
神さまの叡智が全部を支配して動かしてくれているの。必要なものだけを必要なところに、ちゃんと送り届けているの。

ちょっとした邪魔がその調和を破ってしまうの。マイナスの言葉が邪魔するの。
ごみがついて流れが悪くなったり、逆流を起こしてちょっと邪魔する、循環の邪魔をするの。
そうすると必要なものが入ってこなくなるの。本当に必要なものだけを的確に与え続けてもらったら、健康そのものなの。
ちょっとずれてしまうの。必要な時に何か入ってこないとか、余計なマイナスが入って来るとか、色々あるわけ。それが病気のすがた。

本当は病気になる方が難しい。健康の邪魔さえしなかったら、元から健康なの。
だから、今科学でも医学でもそうだけど、学説、定説ってあるけど、皆間違い。仮説なの。
本当の原因は、わかっていない。全ての原因がわかってない。何が全てを支配しているかって、何もわかってない。
結果だけを見て、結び合わせて仮説を立てる。これが結果として、今足りないからこうなっている、そんなものではない。
あくまでも、結果を見て、仮説を立てているだけの話、みんな間違い。

本当の原因は、奥にある。根源が神さまの働き。その模型が降り注いで、コントロールをちゃんとしてくれているの。
それを邪魔するのが、人の言葉。現実に出たのが全部結果、全部言葉の結果。だから原因と言われていること、全部原因ではない。
結果がそこに現れてるのを、あとで適当に結び付けて、これが原因だろうという風に、仮説を立てて縛られているだけ。
いかに愚かしいか。今の科学というのは、程度が低い。

真祈りというのは、真の神さまの祈りそのもの。真のありがとうございますが、言霊のありがとうございますになるの。
言霊と普通の言葉の違い。言霊は、生きている言葉。真の神さまと繋がって生きている言葉。
だから、不思議な神秘の力がある。ありがとうございますに沢山の意味がある。
真のありがとうございますには、深い意味が一杯ある。でも、虚の世界の単なる言葉としてのありがとうございますは、感謝、お礼。
小さい限定的な意味しかない。思いの心でするお祈りのありがとうございますは、感謝の言葉の祈りって言っているだけ。
これは真祈りではない。真の言霊のありがとうございますを使っていないから。思いの心ではそれは出来ない。

思いの心で波が合うのは、虚の世界の言葉の感謝・お礼のありがとうございます。
本心の自分が、波が合うのが、真のありがとうございます、言霊のありがとうございます。
だから、みんながその思いの心から本心の心の側に立った時に、初めて、真のありがとうございますを使えるようになってきている。

ありがとうございますは、祈り言葉にしても、これが最高の祈り言葉。虚の世界の祈りも、
やっぱりマイナスの祈りが一杯ある。プラスの祈りもある。祈り言葉が一杯、沢山ある。
でも本物の言葉は、ありがとうございますなの。虚の世界の最高の言葉がありがとうございます。
虚の世界に全てを中に持っている言葉ってありがとうございます以外はないの。
真のありがとうございますから来る言葉だから、ありがとうございますに威力があるの。

感謝の真祈り、言霊のありがとうございますの真祈りには、段階がある。
大きく分けて、定義のありがとうございます、真義のありがとうございます、本義のありがとうございます、
奥義のありがとうございます、秘奥義のありがとうございます、5つに分けてあげているけど、
これはもう、どの段階に立って祈るかという、祈り方。

真の神さまの世界は、まず与え尽している。受けるという言葉が出た時には、与えるのと受けるのと対立させたら、
真の神さまの世界ではないの。どちらか一方なの。与える時は、与えっぱなし、与えるだけ。
絶対の中心から与えて与え尽して、末端まで全部与え尽すだけ。その循環だけ。受けるとなったら、受けるだけなの。
必要なだけを受けて、受け続けて受け続けて、というすがた。それを末端へ与え尽すにしても、必要なだけを絶対の中心から受ける。
必要なだけを受けて、残り全部Uターン。その必要な受けただけを、受け取ってもらって、受け取ってもらって、という風に、
全部必要なだけを受け取るすがたが、真の神さまの受け方。与える生き方も受ける生き方も、
どちらも自由自在な本心の自分は出来るの。同時にできる。与え続ける側にも立っているし、
受け続ける側にも同時に立っているし、絶対の中心にも立ってるし、全体にも立つし、ここが自由自在な本心の自分。
真の神さまがそうだから、本心の自分もそうなの。これで真の神さまの凄さがよくわかる。

だから、色んな言葉で、色んな角度から教えてもらっても、まず自分がその立場に立たない限り、
まだ気付かない、気付けない。だからこそ、自分の全てを真の神さまに捧げようとする。
自分の全てを神さまに捧げたら、神さまの中に融け込める。一体化できる。
それを絶えず繰り返さないとダメ。

神さまから何か受けて、神さまと一体化するのではない。受ける側は無限分の一の少ないものしか受け取れないの。
だから、神さまの中に自分を与え尽して、融け込まないと、中へ入らないとダメなの。
神さまの中へ投げ入れて、神さまと一体化したら、大きく無限倍受けられるの。
それで、また自分を与え尽して、また大きく受ける、その繰り返しで大きくなっていく。


(平成25年3月9日のお話 第1部@)