真のありがとうございます 

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Q:声聞まで上がった人が、六道に堕ちることはあるのですか? 

A:実行しなかったら。『ありがとうございます』っていうのでも、実行してこそ助けを受けられるけど、
『ありがとうございます』を唱えなかったら堕ちてしまう。堕ちるというよりも、自分が実行しなかったらそうなってしまう。
マイナスの言葉をまた使ったら同じこと。

 声聞の段階というのは、神さまに心を向け始めた時。神さまの助けを受けようとする時。
少なくとも『ありがとうございます』を唱えないと。この世の七難八苦が一杯あっても、
「万分の一の軽い状態で消してもらっている!」というふうに感謝しないと。感謝がまず第一。
それを実行してこそ、助けを受け続けて上へ上げてもらえるの。

 神さまの護りは完璧。この世の七難八苦って、あの世の万分の一。自分が一生、この世の七難八苦を受け続けても、
本当は、幸せな人生。あの世の縁者の、万倍大きい七難八苦を、全部自分が引き受けて消し続ける。
自分一人、この一生、七難八苦でちょっと苦しむだけで、あの世の縁者が、大勢が、大きい七難八苦を全部消してもらう。

 本当は、あの世へ行って救うといっても大変。あの世の、例えば地獄に堕ちた人のマイナスを、
一人の分消そうと思ったら、自分も同じように、万倍の苦しみを背負わないといけない。
背負っても、消せるかどうか分からない。あの世では大変。

 でも、この世に自分がいるからこそ、万分の一の軽さに済ましてもらって、お祈りさせてもらって、
大勢の縁者の分を同時に消せるの。そうしたら、七難八苦が連続してもいいの。一生ずっと続いても。
でも、一生ずっと続くといったら大変。

この世の七難八苦って、それでも、みんな受けているように思っても、何も受けてない。
七難八苦が連続している人なんて一人も無い。七難八苦って沢山。病苦ってあるよね。
八苦の中の一つの病苦でも、みんな病気をずっとし続けている?一つや二つではなく、十か二十、病気し続けている?
そんなのしてないよ。一つすらしていないのに、七難八苦を受けているなんて言えない。

 病苦だけでもそう。他の七難八苦、沢山あるの。それを本当に背負っているかって、背負ってないよ、何も。
全然背負ってない。

 本当は、七難八苦を背負っても幸せなの。七難八苦を背負ってなかったら、万分の一以下ではない、億分の一以下。
億分の一以下で助け続けてもらっている。それで何も無かったら、無限分の一。
『ありがとうございます』って唱えるだけで、無限分の一に済ましてもらって消し続けてもらう。

 それで気付いたら、声聞の世界を超える。『ありがとうございます』と言うだけで、何もわからなくてもいい。
『ありがとうございます』を唱えているだけで、無限分の一に済まして消してもらって、大難が無難に済んで、
のほほんとしていても(笑)、声聞の心境を超えてしまう、すぐに。

それで、プラスを数え始めて、全てをプラスに翻訳して、思い返して、真の神さまのプラスを受け直そうとしたら、
もうすぐに縁覚を超える。後、恩返しでお祈りして、与える生き方をとったら、菩薩を生きる。

 それで、神さまの無限倍のバックアップで、みんなを幸せにするお手伝いをする。そしたら、自分が本心の自分にすぐ戻る。
幸せな心が湧き上がるようになってくる。お祈りが湧き上がる。

 だから、最初の段階で、神さまに心を向けて、お祈りして、神さまのお弟子になりたいという気持ちが起こった時は、
「七難八苦を与え給え」と言うの。そのぐらいの気持ちが必要。「この一生、七難八苦を与え給え」って。「喜んで受けます」と言わないと。

その覚悟を決めたら、この世の色んな問題、全然引っかからない。
「こんなに軽く済ましてもらって、これでいいんですか!」って文句を言わないといけないぐらい(笑)。
問題があるのではなくて、「こんなに少なくていいんですか!」って、神さまに文句を言わないといけない。
「もっと与えてちょうだい」って(笑)「問題が少ないです」って言わないとだめ。

 そしたら、プラスばっかり。どれだけ護りに護られているか。気付かない所で一杯護られている。大勢に護られている。
全体から護られている。『ありがとうございます』を唱えていたら、その気付きがどんどん大きくなる。


(平成25年3月2日のお話 第2部A)