真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

  

 

 恩返しの恩っていう言葉。これは、もとの心、因(もと)の心。恩っていうのは、真の神さまの愛の御心。
その恩を感じるというのは、真の神さまの愛を感じ取ること。
だから、真の神さまの一大循環の相象(すがた)、これは愛の働きそのもの。虚の世界にも、この愛の光は注がれている。

恩返しできるのは、菩薩クラス。菩薩にならないとできない。恩返しというのは、例えば、地獄に一回堕ちて、
そこから救い上げてもらうまでに、全てを通して、神さまの無限の無限の愛がもう降り注いでいる。
ありとあらゆる助けを受け続けて、やっと菩薩界まで引き上げてもらう。
言葉で表現できない、無限の無限の愛の助けで、そこまで引き上げてもらうの。

 もう無限の無限の、この神さまの愛の凄さを感じ取って、それに気付いたら、自分の全てを神さまに捧げ尽くしたくなる。
一部ではなく、自分の全部を神さまの中へ、捧げ尽くしたくなる。神さまの愛に気付いたらそう。
神さまと離れていること自体が、おかしい。神さまの中へ、自分を全部投げ入れたいの。
本当の神さまの愛ってそういうもの。神さまの愛を感じたら、
もうそのまま自分の全てを神さまの中へ、捧げ尽くして投げ入れたいわけ。
あとはもう何も願わない、求めない。恩返しというのは、もう一切求める心がないの。微塵もないの。

菩薩界の人は、例えば、守護霊さん、守護神さんなんかも心境が菩薩界。
守護霊さんにしても、地獄から救い上げてもらって、心境を高めてもらって、救いに立つ場に置いてもらっている。
だから、自分が救われてきた過程を振り返ったら、どれだけすごい働きで助け続けてもらったか、いやというほどわかる。

そしたら、どんな程度の低い人を護りにつくにしても、自分が助けてもらったことから比べたら、
一人の人を護るぐらいは、何でもないの。その人のマイナスを全部背負ってでも、自分が一身に背負って消し続けても、
万分の一・億分の一、恩返しできない。それは一番よくわかるの。
だから、自分の全てを捧げ尽くして、一人の人を護ろうとするの。それも恩返しの一つの働き。
自分の全てを捧げ尽くすの。全責任を持つの。それで、さらにこの恩返しを大きく深くしていく勉強をする。

でも、本当の恩返しは、まだ虚の世界にはない。恩返しも虚の恩返しと、本物の恩返しがあるかもしれない。
真の神さまの世界、一大循環の世界、本当は愛の働きそのものだけど、愛の中にも、恩返しが含まれる。
だから、ありがとうございますは、恩返しの言葉というのもそういう意味。


(平成25年3月2日のお話 第1部@)