真のありがとうございます 

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 根本は、言葉の通りになっているというだけ。病気した人を、あなたはこういう心を持っているから
病気になっているのだと決めつけて、責め裁いたら、責め裁く教えになってしまう。これが一番の間違いのところ。
どれだけ自分を大きくするか。みんな自分の責任って言えばいいのだけど、あの人が病気の姿をとっているのは
自分の責任って言わないとダメなんだけど、自分にこういうマイナスの思いがまだ残っている、
だからこれを消すためにお祈りをしっかりしましょうというのだったら正しい。そこまでいかないと間違う。
責め裁いたら、自分が同じようになってしまう。自分のマイナスなのに、責め裁いたら何倍にも増える。そういう実例も沢山ある。

拝むだけがいいの。みんな自分の責任。だから病気を相手に、治そうとしたらダメ。掴んだらダメなの。
言葉が先だったら、現実がどうあろうと、もう消えたというか、軽く消してもらったというか、
突き放して、新たにプラスを加えないとダメ。真の神さまだけ、真のプラスだけ。すべて完璧ってね。新たなプラスの言葉が必要になる。

本当に過去を掴まない練習。過去を掴まない、現実を掴まない練習。
現実を掴まないためには、この世に現れる前の降り注ぐプラスを受け取る練習。だから、感謝の先取りがいるの。
現実に現れたものへの感謝では足りない。現れる前の姿へ感謝して受ける。そしたらプラスばっかりになる。

神さまの世界を言葉にして、ありがとうございますって受け直す練習、これを先にしないと。
もう現実は消えた、でいいの。新たに新たに、何を受け直すか。過去を言葉にしたら、やっぱりまだ過去を掴んでいる自分になる。
思いの心の奴隷に陥っていく。神さま、と言うだけだったら、みんな掴んでしまう。
何か形を掴んで、これが神さまって掴むと、掴む練習をしたことになる。過去を掴む練習をしっかりしていることになったらマイナス。
だから、真の神さまが一大循環の相象(すがた)言葉にする。

一大循環の相象というのは、無限のスピードで循環しているという相象だから、掴めない。
掴まないために一大循環の相象がある。真の神さまというのが一大循環の相象っていう風に見て行かないとダメ。
新たに新たに。プラスばっかり。そしたら、過去を掴まない練習が出来て、過去を消せるの。

 本心の自分は、新たな自分。新たな自分は、過去を掴まない自分。過去を掴む自分は、古い自分。
常に新しい新たな自分が、新しい一大循環の相象を眺めるだけ。毎回新しい自分が大きい自分になって出てくる。
過去の同じ自分ではない。常に新たな自分。新たな自分、新たな自分が、一大循環の相象を眺めるだけ。
過去の自分は全部、愛の心を与え尽しただけで、消えて、無いの。そこへ新しい自分が出てくる。
それもまた与え尽して消えて、無い。常に新しい自分。みんな過去を掴んだ自分は思いの奴隷になるから、問題一杯になる。
本心の自分は、いつも新しい自分。過去の自分は、消えて、無いから、与えっぱなしで与えて、消えて、無いから、
常に大きいプラスの自分。だから、いつも新しい自分に戻るための、ありがとうございます。


(平成25年2月23日のお話 第2部@)