真のありがとうございます 

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Q:「病気も、あの世の人を救っている場合もあるし、自分が人間に生まれてから思いを積み重ねてなるっていうのと
二通りあるのですか」
 

A:無限通りある。もう言葉通り。神さまが降りていると思ったら、もう神さまだけ。
本心の自分がって言ったら、本心の自分だけ。菩薩だからって言ったら、菩薩。言葉通りに成ってしまう。

一つ掴んで一つの立場に入ってしまうからダメなだけで。ありがとうございますは自由自在な心。
大きくも小さくも、どの立場でも自由自在に全部見られるから、捉われない。だから、虚の世界でも地獄のどん底でも、
全部自分の中に大きく包容出来ていたらマイナスではないの。地獄って掴んで、自分の立場がそこに行ってしまったら地獄。
言葉に縛られたらそう。過去を掴んだらそう。常に自由自在でないとダメ。
自由自在というのは、常に無限通りに受けられる。10通りではないの。自由自在な心は、無限通りに受けられる。
神さまの立場ってみんなそう、無限通り。与える側も無限通り、受ける側も無限通り。神さまだったら同時に全部持っているの。
本心の自分は、神さまと一つになって無限通りをいつも生きるの。だから、ありがとうございますでないとダメなの。
自由自在になれないの。余計なことを考えただけで、言葉に縛られてしまう。

ありがとうございますは、一番新しい言葉だから自由自在なの。その中に全部持っているから。
みんなが使う言葉は、過去の言葉、縛りの言葉。だから、縛られてしまう。
同じ言葉でも、縛りの言葉と自由自在の言葉と両方ある。常に新たな自由自在の言葉でないと。
だから、新たなありがとうございますでないと自由自在にならない。
過去の記憶の中の言葉を掴んで、その言葉を発していたら、縛りの言葉。
だから、いつもありがとうございます、新たなありがとうございます、新しいありがとうございますを掴んだら自由自在で、
そこに全部ある。だから、祈りが大事なの。本当の祈りがないとね。新たに新たにという本当の祈りでないとダメ。
 
新たな自分って掴んだら、虚の世界も地獄も全部あっても、全部新たな地獄。新たな自分だったらそう。
だから、自由自在に全部プラスに受けられるの。

この虚の世界を使って、真実の世界を浮かび上がらせる、大きな働きをするの。
それでなかったら、最初から虚の世界がいらなかったら、何も用意しない。
新たな自分になったらもう全部自由自在だから、邪魔になるものは何一つない。
新たな自分になれないから、虚の世界に縛り付けられて、地獄に堕ちて苦しむの。

新たな自分は、過去を相手にしない。新たな自分は、いつも新しい自分だから。
新たな自分になってみないと分からない。虚の世界がいらないと言うのは、虚の世界からもう逃げたいだけの気持ちだから。

新たな自分というのは、自由自在だから本物の自動車だけでいいとも言うし、模型の自動車をちょっと置いてもいいと思うの。
その時その時、自由自在。模型の自動車を作らないでおこうなんて思わない。必要だったら作るし、必要でなかったら作らないし、
虚の世界も必要だったら作るし、必要なかったら作らないし、自由自在。捉われてない。虚の世界のマイナスなんて掴まない。

 新たな自分だったら今の虚の世界はない。虚の世界はないけど、必要だったらぱっと生み出す。
必要なかったら、さっと消す。神さまの世界はスピードが速いから。この世の1秒で虚の世界をぱっと消すというのだったら、
神さまの世界では、無限分の1秒。消すのでももっと速い。必要だったらさっと出るけど、必要なかったらさっと消えるの。

今の一瞬を生きるようにならなかったら、真実の世界に入れない。過去・現在・未来と引き伸ばして先の方を考えているのは、
思いの世界だから、虚の世界で低い世界になっていく。永遠の中今って、今の一瞬に絞り込んでこなかったら、本心の側に立てない。
今の中に全部あるっていう世界に入らないと。その今も、無限のスピードで動いているから、流動した今。止めた今と違う。
過去・現在・未来って未来が考えるのと違う。神さまの中へ飛び込むだけ。まず飛び込まないと、融け入らないと。
どれだけ真剣にありがとうございますを唱えているか。
もう一瞬も隙間なく、無限分の一秒も隙間があってもダメというくらい、唱えないといけない。

だから、ところてん式に唱えないといけない。隙間なく、ところてん式に、お祈りが連続していないと。
入れ子構造の世界の、真実の世界の一大循環の相象(すがた)の祈りはそう。連続して途切れてない。
無限分の一も途切れてない。連続してずーっと湧き上がる
だから同じ祈りでも、一回の祈り、自分が唱えている祈りではないの。それが無限倍になってる祈り。
無限の無限の祈りを一つに束ね祈りだから途切れるわけない。大きい本当のお祈りってそう。
そういうお祈りに入っていかないと。

過去を掴んだら、つまらない祈りになる。無心の祈りがいる。考えたら、思ったら、もう違うの。
無心に祈り続けて、祈りになりきらないといけない。ずっと隙間が出来ない。
隙が出来たら思いが入り込んでくるから。隙間に業が入ってくる。悪魔が忍び込む。
悪魔というのは、隙間が空くという、隙間があるという、隙間に入り込むのが悪魔。
悪も魔もそうだけど、隙間という意味。間(ま)もあいだより、すきま。悪魔というのは、隙間という意味。
隙間を作ったら、悪魔になるの。祈り続けたら悪魔はいない。ダジャレだけど。ダジャレだけど真実。

一回一回だったら隙間が出来る。だから、沢山の祈りを同時に祈っていたら隙間がない。
入れ子構造、重層構造、ところてん式、全方向からって言ったら隙間がない。それが本当の隙間のない祈り。
だから、真の神さまと一緒に祈る祈り、みんなと一緒に祈る祈りってそう。小さくなったらダメ。
小さくなったら隙間だらけ。だから、真の神さまが自分、みんなが自分、全体が自分って言わないと。
小さい自分はダメなの。だから、いつも神さまと一対一の関係に置かないと。
神さまが自分、全体が自分、みんなが自分って言わないと。隙間が出来るから悪魔が入り込む。
サタンも同じ。去った去ったって過去ばかりつかんだらサタンになる。みんな過去を掴んだらサタン。
 

みんなが支え合った祈り、心ひとつにした祈り、なぜそれを目指しているか。
本当の祈りがそうだから。本当の祈りに戻るためにしているの。みんなの祈りを総結集してとか、言っているけど、
本当は本当の祈りに戻すため。それを使って何かに利用してということではない。目的が反対。
本当のお祈りに戻ったら虚がない。隙間がないから。目的も沢山ある。
一つの目的というけど、自由自在な神さまにとっては、目的は沢山あるの。一つではない。神さまの動きがそう。
全体の動きがみんなそう。方向が全部違う。無限循環のありとあらゆる方向に向いている。
これが、目的が沢山あるということ。神さまの目的は、無限にある。
一つ光を届けるだけでも、全部に送るのだったら、方向が全部。無限の無限。直線でも無限に広がるのに、
螺旋構造だったら、無限の無限に広がる。それも入れ子構造だったら、もっと広がる。
だから、一つの目的だけではない。目的は沢山ある。自由自在というのは、それが全部わかっている。
縛られていない。自由というのが一番幸せなのはそこ。だから、一言で縛られたらいけない。みんな縛られやすい。
一言で縛られる。一瞬に、一瞬に縛られてしまう。反対。一瞬にすべての縛りをとかないといけない。一瞬に縛られたらダメ。
 

(平成25年2月16日のお話 第2部)