真のありがとうございます 

昔の映画は、映写機で色々映す。フィルムがちゃんと巻きこまれている。それを順番に映し出して、ずっと再現していく。
現実世界というのは、そういう感じ。もう、みんな、運命のフィルムが先に出来上がっているの。
放送局も全部、放送番組のフィルムがある。全部そろっている。先に作られている。
そのフィルムを映し出して眺めているのは、五感とか六感の世界。
でも、本心の自分は、1つのフィルムを握っただけで、これは、どういう番組かって、映し出す前に全部がわからないとダメなの。
放送局にある番組全部、一瞬に分からないとダメ。この放送局の番組はこういうものだって、一瞬に中身を全部、把握する。
手に取らなくても、そこに意識を移すだけで、1つの天照大御神様の放送番組の全部が一瞬にわかる。
映し出してから見ているのでは、遅い。それでなかったら、一大循環の相象(すがた)なんて、とても味わえない。

だから、元々の自由自在心の自分は、一大循環の相象を心行くまで味わえる能力を持った自分。全部味わえる自分。元がそうなの。
その自分がどんどん自己限定して、能力を落としているの。それで、掴んで掴んで、能力もやっぱり、本当の能力を隠して隠して。
最後はもう、フィルムでも映し出さないとわからないぐらいに、能力が落ちてしまったの。
そしたら、1つのものを味わうのでも、時間がかかりすぎる。時間が長くかかるというのは、虚の世界の低い番組。

高い番組は、1秒間でたくさんのものを味わえる世界。1秒間でたくさん味わえるというのは、高い能力が必要になる。
その1秒で味わえるものを低い地獄まで持ってきたら、何億年もかかって味わう。もっとかもしれない。
もっと長い時間をかけて味わわないと全部味わいきれない。だから、その味わう能力と言うのは、五感や六感の感覚とは違う。

本心の自分の能力は、本当の一瞬で神さまの全体像を把握する直観の方。この能力は、元から備わっている能力。
元から備わっている能力を、引っ張り出すだけ。それを使うだけ。そのためには、邪魔をする自己限定の我の思いを消したらいいだけ。
自己限定を消したらいいだけ。小さい我の自分はいらないの。小さい我を掴むと思いが一杯付いてくるから、思いが隠すの。
自分の本当の全知全能無限力という、本当の自分の能力を隠してしまう。やっぱり、これが1番のマイナスになっている。

だから、我の無い自分に戻っていくこと。一切の我を消す生き方が必要になる。
それはもう、与え尽くして、自分を与え尽くして、消してもらう。与え尽くして、与え続けて、循環させる。
受けるだけでは、消えない。与えて消してもらうの。

神さまが光の柱となって降りてきたとすると、やっぱり、最初は自分があると、光の階段を自分で昇ろうとする。
少し楽に昇ろうという人は、光の階段ではなく、光のエスカレーターで昇りながら階段を歩こうとする。
これも、まだまだ自分がある。しっかりとある。まだ与え尽くしてないの。それで今度は、光のエレベーターが目の前に出てくる。
光のエレベータに乗ろうとしたら、その光のエレベーターの中に自分を入れないとダメ。
自分の全てを与え尽くさないと、光のエレベーターの中に入れない。入って、扉が閉まらないと動かない。
開いたままでは動かないから。片足を踏み込んだだけでは、扉が閉まらないから、自分が入らないとダメ。

だから、神さまに対して自分を与え尽くすという気持ちを起こさないとダメ。自分の全てを与え尽くす。
恩返しでお返しするという気持ちを起こして、中へ入るの。そうすると、エレベーターの扉が閉まって、その人に必要なところへすっと上がる。
そのエレベーターの種類が色々ある。高いところへ上るもの、低いところへ上るものって、色々用意されている。
それで、自分に1番必要なふさわしいところへ順番に上げてもらって、また自分が変化してくるのを待ってくれているの。

ただ、光のエレベーターに乗るためには、自分を与え尽くすという生き方が必要になる。
菩薩界、仏界というのは、自分を与え尽くして、光のエレベーターに乗ろうとしている。
だから、同じ光の柱として、神さまが降り立ってくれても、色んな昇り方がある。

同じ与えるのでも、やっぱり言葉。どういう言葉を与えるかが一番大事なこと。大きいプラスの言葉を与えるのが大きく与えている。
小さいプラスの言葉は、小さく与えている。同じプラスの言葉を与えてもそう。反対に、マイナスの一言は、下へ堕ちる言葉。
上へは、絶対上がらない。まず、自分の一言のマイナスは、自分を小さくする。

自分の言葉は全部、自分に返る。自分を小さく切り刻んでいく。周りと手をつないでいても、つないだ手を切っていく。
孤独になっていく。一人ぼっちになっていく。救いの網を入れてもらっていても、網の目を切っていく。
そして、自分が小さくなって網の目を大きくして、下へ落ちこぼれていく。どんどんどんどん下へ堕ちていくの。
マイナスの一言は、絶対必要のないこと。

それよりも、プラスの言葉は、離れているものを引っ付けていく。手をつないでいくことになるの。
手をつないだら、救いの網、ネットを、大きくなったものを早く上へ上げてくれる。
たくさん手をつなぐほど、大きい網の目で上へすっと上げてくれる。この網の目というのは、細かいものを上げる時は、細かい目がいるの。
1番下の1番細かい目の網がいるの。その代わり、重たい。なかなか上がらない。大きいものを上げる時は、粗い網でいい。
軽くなる。すっと上がる。どんな救いの網、ネットを入れてもらっても、大きくなっているほど早く上げてもらえる。

同じ祈り言葉でもそう。支え合う祈りの言葉を使うほど、みんなが大きくなれる。それで、早く上へ上げてもらえる。
心境が早く高まる。だから、マイナスの言葉からプラスの言葉に変わって、真のプラスの言葉に変わる。
選び方を変えるというだけで、大きい奇跡が起こる。そこが1番大事なこと。選んだ言葉をしっかりと唱えたらいいだけ。


(平成25年12月21日のお話 第2部)