真のありがとうございます 


護摩焚きの回数が多くなったから、神さまの光がたくさん受けられるとは限らない。
1回1回が神さまからの大きい光のプレゼントとしても、やっぱり、どれだけそこに真剣な気持ちが加わるか。
神さまの愛を受けるのでもそう。やっぱり、自分の自由意志で、真剣に受け取ろうとしないと受け取れない。
だから、自分一人の真剣さが自分の見ている世界を変えてくる。本当に神さまとの愛の一体感を深く実感していきたいという気持ちがいる。
表面のすがたではない。だから、どれだけ我を消せるか。自分というのがあったらダメなの。自分を表に出すとダメなの。
もう、どんな自分でも出たら神さまは引っ込む。有名になると余計に引っ込む。だから、自分を絶対に出したらダメ。

最初、ここへ引っ越ししてきて、みんなが集まり始めた時に、先生は、なぜ名前を名乗らないのかと言うの。
なぜと思う?みんな意味が全然わからなかった。なぜ名乗らないのかという意味をわかってなかった。
そしたら、ありがとうおじさんって勝手に名前つけてくれる。名前を出している。名乗っている。それはいけない。
なぜ、名乗ったらいけないかがわからない。これは、我が出るからよ。我が出たら、真の神さまから遠く離れてしまう。
どんな我が出てもダメ。神さまと自分との間に何を挟んでも、神さまが遠く離れていく。

だから、常に神さまと直接に1対1でないと間違う。でも、最初からそんなことを言っても、理解する人は、一人もなかった。
今でも、まだわからないかもしれない。六道の世界で求める心を、思いの心を生きている人にとって、そんな話はもうチンプンカンプン。
どうしてわからせようかということが、1番難しい。とにかく、ありがとうございますを唱えてごらんと言うしかないの。

最初はそう。ありがとうございますの深い意味も言えない。言っただけで離れてしまう。今でもそう。
自分の唱えているありがとうございますを打ち消されたら、否定されたと思うの。感謝の祈りを祈っているという人はそう。
支え合う祈りが本当の祈りだと言ったら、それだけで離れてしまう。やっぱり、自分を否定されたように、打ち消されように錯覚するの。
それは、自分が偉いと思っているから。特に、有名な人ほどそう。だから、全ての我を消そうとしないと。間違っていくのはそこ。
自分を消して消して、打ち消してもらうぐらいがいいの。

祈りも同じ。自分がしているというお祈りは、偽物になる。だんだんと、真の神さまのお祈りだけになってこないとダメ。
先に真の神さまの方が全部してくれている。我の自分がしてきたのは、邪魔をするお祈り。我のお祈りが多いの。邪魔しているお祈り。
だんだん邪魔が少なくなってくると、我が消してもらえて、真の神さまのお祈りに戻るの。
だから、いかに邪魔を少なくしていくか。大事なことは、そこ。自分がお祈りしているからというのは、大きい間違いなの。
自分が何か世の中のために、何かいいことしているというのも、これも大きい間違い。神さまが根本で、必要なことをちゃんとしてくれている。
その邪魔をしなかったら、そのまま出てきたらいいだけ。一大循環の相象になったら、みんなが幸せな状態になる。
でも、それを邪魔し続けるの。我を出す人は、全部そう。我というのは、流れを邪魔して流れにくくしているだけ。
それで、余計なものを一杯、邪魔するものを置いて、必要なものが手に入らないように、間に邪魔をして置いているだけ。

今の世の中、みんなそう。必要でない贅沢なものを一杯作って、一杯にしている。必要なものが手に入らない状態。
スピードを止めてしまっているだけ。心の世界を見てもそう。余計なものを一杯詰め込んでいる。
知識を一杯詰め込んだら、邪魔するものを一杯ため込んだことになる。
だから、本心の光が流れにくい。智恵が湧きにくい。色んな意味でそう。循環が止められていっている。
だから、その流れを元に戻すのは、一切の我を、まず出さないこと。我を出したところへ神さまは出て来られない。
その人の自由意志がそこに強く出ているから。我をひっこめたら、神さまが応援に出て来られる。我を消せる。

お陰様という言葉は、ものすごく良い言葉。表に出ない、陰から陰から支える、真の神さまの働きを指している。陰から支えたらいい。陰から必要なものを与えたらいいの。だから、表に出るのはみんな間違い。虚の世界の相対の両極に分かれて、表に出ているというのは、必ず、逆にマイナスを作って、借金が一杯。虚の世界のすがたになったらダメなの。

本当のありがとうございますは、一切の我を消す祈り。もう、真の神さまだけを呼び続けて、一切の我を消す祈り。
真の神さまだけですと断定し続けているの。ありがとうございますを祈るのは、真の神さまの他に何もありません、
真の神さまだけですと言い続けていること。

これもいろんな角度から勉強して、教えてもらわないと。我を消す方法すら、わからなくなる。
だから、気づいたら、わかったことになる。気づいたら、それを自分のものにしたことになる。
本当に真の神さまだけと気づいていくのが、一番大事。真の神さまは、最高のもの。最高のプラス。
やっぱり、人間の心を向けたものに、自分が同化していく。一つになっていく。同じものに変わっていく。
だから、最高のものに心を向け続けるというのが大事。真の神さま以外の小さい低いものに心を向けたら、
自分がその小さい低いものになってしまう。だから、心を向ける対象を無限に多くして、小さいものに向けたら損をする。
最高のもの一つでいい。低いものがたくさんあっても、それは必要のないこと。最高のもの一つに絞った方がいい。
そこへ心を向けるだけで、自分がその最高のものと一つになっていく。
だから、余計なものを全部切り捨てて、一つにしないとだめ。1対1の関係に置かないと。
それも最高のものに絞り込まないとダメなの。それが1対1にする目的でもあるの。


(平成25年12月14日のお話 第1部A)