真のありがとうございます 


末端の天照大御神様一人でも、虚の世界を全部バックアップできる。ただ、自分一人が出しゃばるのではない。
この循環の流れの中で、無限分の一秒でも手伝いという形をとるから、次から次へと新しい天照大御神様が循環しながら、
虚の世界を浄め尽くす。そのお手伝いに入るの。

ただ、この虚の世界に自分を置いて、お祈りする人が必要になる。真実の世界にいながらでは、虚の世界を相手にはできない。
世界が違うからお節介なことはできない。極楽にいる人が、地獄へ働きかけが出来るかというと、出来ない。波が違うから。
虚の世界ですらそう。ましてや、真実の世界にいて、虚の世界を相手にはできない。真実の世界は、真実の世界だけ。虚は無いの。
だから、相手にするわけにはいかない。虚の世界へ自分も出て来て、自分を置かないとダメなの。
虚の世界に自分を置きながら、真祈りの祈りを祈れる自分でないとダメ。

だから前にも少し話したけど、悟った仏さまがいるとする。一回この世に生まれて、地獄に堕ちて、もう一回戻って悟った仏さまと、
この世に出て来てない、高い世界にいるままの仏さまと、どちらが偉いか。下へ降りてきた仏さまの方が、遥かに力があるし上なの。
そしたら、真実の世界にいる神さまと、一回虚の世界に出て来て、もう一回戻った神さまと、どちらが偉いかと言うのも同じ。
両方、自由自在にそこで働けないとダメ。本当の自分は、一切の我のない無色透明の自由自在心だから、その自分はどこへでも立場を移して立てる。

肉体という場を作って、その場に自分を置きながら、なおかつ、絶対の中心から、本当の真祈りを祈って、光を送ることも可能。出来る。
全ての段階の場へ、自分の分身を置いて、本当の真祈りをそこへ注ぐことも可能。そういう意味で、本当の自由自在な自分は何でもできる。
それでいて、なおかつ、全体を一つに束ねて、全部自分のものにできる。真祈りを全部自分の真祈りに変えることもできる。
ここまで行ったら、「支え合う」。真の神さまの生き方と一つになっている。

だから、虚の世界の色んな我も、必要だったら持ってもいいの。段階ごとに、我の自分があってもいいの。
もし、そこに波を合わすためだったら、我が無いとダメ。ただ、道具として持つだけ。自分が我になったらダメ。
自分は、無色透明の自由自在心で、なおかつ、波を合わすための自分、道具としての我の自分は、あってもいいの。
そこに大きい光を流し込んで、一つの我の世界を浄めることが出来る。だから、全ての世界に自分を置いても構わない。
虚の世界の全ての段階へ、自分を置いても構わない。虚の世界の全ての段階へ、自分を置いてもいい。
地獄へも、分身を置いてもいいの。本当の真祈りを祈って、そこへ光を大きく流したら、地獄も早く救われていくの。

だから、その道具としての分身の自分と、本当の本体の自分とを、はっきり区別できないとよくない。
小さい自分ではそれは出来ない。一番大きい自分に戻らないとダメ。常に、大きい自分に戻ることが、一番先決。
小さいままでは小さい自分で終わってしまう。更に小さい自分にはなれるけど、大きい自分にはなれない。
まず一番大きい自分に戻って、色んな自分に変身できるようにならないとダメ。
真実の自分のすがたも、どんどん小さく変身させられて、なおかつ、虚の世界も模型の自分として、
大きいものから小さいものへ自由自在に変身できないとダメ。

このために一番必要なことは、ひたすら真祈りを祈り続けること。
もう全て、言葉通りになるのが絶対の法則だから、虚の世界の低い言葉を使ったら、その言葉から抜けることが出来ない。
言葉通りの自分でしかないから。マイナスの言葉を使ったら、マイナスの自分になってしまう。
大体このマイナスの言葉は、切り分ける言葉だから、どんどん小さい自分になってしまう。
マイナスの一言で、半分小さくなる。一回切ったら半分になる。ちょっとずつ切っても、手が切れ、足が切れ、どんどん小さくなっていく。
マイナスの言葉は小さくなるから良くない。それで、プラスの言葉を使うの。プラスは、大きくする言葉。
プラスの言葉を使うほど、大きくなっていく。真のプラスの言葉が本当の大きくする言葉。

だから、大きいプラスの言葉を使うほどいい。大きい自分ほど自由自在に変身が出来るようになる。
虚の世界でも高い世界の神さまが、変身自在というのはそこ。大きいから、何でも変身できる。
それで与え尽くす、本当の祈り方が大事。自分の全てを与え尽くして、自分を消していく。
そしたら、支える、支え合う祈りになってくる。まず、自分を与え尽くさないと消えない。残していたら、小さいまま。
真の神さまに向けて、自分の全部を与え尽くすというのが大事。
恩返しの心で、自分を与え尽くしたら、自分が消えると、真祈りを祈れる自分に変わる。
本当に真の神さまを与え続けるという、この本当の真祈りを祈る自分に変化する。

難しいのが、真祈りを祈ると言っても、まだ、ありがとうございますしか唱えてないけど、
本当に真の神さまを与えるということが、具体的にどういうことかということ。
これが一番の問題だけど、これもまた追々、順番に勉強しながら、中身を本当の実感がつかめるまで、勉強していこうと思う。
真の神さまを与え続ける、この具体的な意味がどんなものか。これが一番大事なこと。
まず最初は、ありがとうございますを唱え続けること。
真の神さまを与え続けているという意味で、ありがとうございますを唱え続けていたら、だんだんと中身が本物になってくる。


(平成25年12月7日のお話 第1部A)