真のありがとうございます 


 振り替えは、真の神さまの助けで、無限の無限の天照大御神の助けを受けて行うもの。
だから、A,Bがあって、Cが振り替えで助ける場合でも同じ。
本当にCが本心側に立って、真祈りを祈り続けて、謙虚に謙虚になって、無限の無限の天照大御神様の振り替えの働きを受けて初めて、
この肉体を通過する時に軽いマイナスで出て来て、お手伝いになる。だから、実際の振り替えは、天照大御神様がしてくれる。
その光の強さで軽くして、速いスピードで流して肉体の中を、パイプの中を通過させる。
そして、軽いすがたで、ちょっとした体の不調くらいで済まして、循環させて消してくれる。
だから、Cという人が自分の力でするという振り替えは、あり得ない。全部、真の神さまの無限の無限の天照大御神様の助けの振り替え。
そうでないと、みんな偽物。マイナスが減らない。

だから、どれだけ自分を死に切って消し切るか。一切の我をなくすか。我があったら邪魔をする。どんな我でも邪魔する。
だから、我の無い自分が本物の自分。無色透明の本当の自由自在心がいい。だから、ひたすらありがとうございます。
真の神さまだけ。真のプラスだけ。一大循環の相象(すがた)だけ。本当に神さまだけを一対一で相手にするの。

2元的になったり、対立したりするのは、全部虚の世界。自分と他人とが分かれたらもうダメ。
虚の世界になってしまうから、真の神さまは引っ込む。救う側と救われる側に分かれたら虚の世界。真の神さまは引っ込む。
真の神さまが相手にするのは、真の神さまだけ。みんな悟っている、救われているすがた。

だから、全て一元的にならないと。光だったら、光だけ。闇を相手にしない。光だけ。
プラスだったらプラスだけ。本当のプラスだけ。これが、本当の真祈り。真のありがとうございますになる。

祈りも色々ある。真祈りが必要。ありがとうございますにも色々ある。真のありがとうございますが大事なの。
その見極め。違いをしっかり勉強していかないと、同じ言葉を使っているようで違う。
いくら神さまと言っても、真の神さまではないかもしれない。表面だけを見ていたら、同じ、似ていると言うかもしれないけど、違う。
中身が違う。根本が違う。だから、どんな一言も中身が無限通りに分かれる。10通りや20通りと違う。無限通りに分かれると見た方がいい。

ありがとうございますも、中身が無限通りに分かれる。どんな言葉も同じ。神さまはそれだけ奥深い。
だから、真のありがとうございますを言ったから、真のありがとうございますになっているかどうかはわからない。
これも無限通りの違いがある。真の神さまと言ったから、真の神さまではない。その真の神さまという言葉も無限通りになる。
だから、どこまでも本物に近づかないとダメ。だから、真の神さまをどれだけ価値あるものとして認めるか。
どれだけ愛深いかを認めるか。小さく落としたら、間違っている。

真の神さまは、虚の世界を作らない。絶対に作らない。真の神さまを受け損なったのが虚の世界。
真の神さまを小さく落として見たのが、虚の世界。それは、一人一人の責任。
それを正しく真の神さまを受け入れたら、虚の世界は消えて無い。だから、いつも1対1で真の神さまと出会わないと。

今ここが神さまの世界って言わないと。真の神さまだけって言わないと、神さまとは出会えない。出て来てくれない。
一大循環の世界に置き換わらない。ここのところは厳しい。

だから、真の神さまだけ。本当に生かす力だけって、本当に断定的に言葉を使わないと、その世界が出てこない。言葉通り。
だから、言葉を選ぶこと。どの言葉を選ぶか。選び方が無限通りある。

この世で生きていても、もう全て、みんな真の神さまの振り替えと見たら、一人一人が天照大御神様が振り替えているすがたと見ただけで、
天照大御神様を身近に感じる。虚の世界のすがたは、マイナスでもプラスでも、何でも自分の持っているものを全部消してもらわないとダメ。
マイナスも消してほしいけど、プラスも消してもらわないと、虚の世界は消えないから。
だから、マイナスに見えるものも、もちろんだけど、プラスに見えるものも、全部振り替えて消してもらわないと。

だから、殺して殺されて、恨んで恨まれて、この業が無限にあっても、これ全部を振り替えて、形に表して、消している。
振り替えてくれている。自分が全部背負ったら、大変。背負って、祈って、消してもらうのは、そう簡単ではない。
そんな小さい業だけがあるのではない。ありとあらゆる業を全部、無限に持っている。無限の種類の業を積んでいる。
殺して殺されて、だけではない。

そしたら、自分一人で消そうなんて、気が遠くなる。永遠に消し続けても消えない。だから、天照大御神様を総動員する。
それで、消し続けてくれて、本心の自分に戻る。それを自分がどう認めるか。認めた時に受け入れることができる。

だから、世の中に人殺しするすがたが出たら、自分が人殺しした業を身代わりに背負って、消してくれている。
殺される業があったら、殺されるすがたで消してくれている。恨む業があったら、恨むすがたで消してくれている。
恨まれるすがたは、恨まれる人となって消してくれている。もう全て、天照大御神様が背負って消して、
浄めてくれているという風に見ていったら、自分は真の神さまを相手にするの。1対1。そしたら、すぐに大きいプラスが循環してくる。

だから、大きいプラスが循環してくる一大循環の世界ほど、全方向から、全てから必要なプラスを受けるの。全てから受け取る。
必要なことを受け取るの。それはなぜか。全てから受けなかったら、全てに必要なものを与え尽くせないから。
だから、自分に必要なものは、自分一人に必要なものとは違う。全てに必要なものを与えるために、与えるためのものが必要なの。

だから、全体から全てから、愛のプレゼントを受け取って、初めて全てに愛のプレゼントを与えられる。もの凄く大きい循環になる。
この世の人は、まだ反対。肉体の自分、例えば、一人の肉体の自分に必要なものは僅か。
それだけを受け取って喜んでいたら、誰にも与えるものはない。自分に必要なだけ。小さい必要性。
神さまの世界は、そういうすがたではない。みんなを最高の幸せな状態にするために、みんなに必要なものを与えないとダメだから。
そのみんなに与えるものが必要なの。だから、一瞬一瞬、全体から全てから受け取らないとダメ。
これも高い次元から、低い次元から、全部から受け取らないと、全部に与え尽くせない。それが一大循環の世界。本当の自分の生き方。
だから、言葉選びが大事。どういう自分を生きるか。支え合う生き方。
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(平成25年11月23日のお話 第2部)