真のありがとうございます 


 地獄の八寒地獄に閉じ込められた亡者を救うのは、一人救うだけでも、氷を全部溶かさないとダメ。
更に、無限の人が八寒地獄に閉じ込められているとすると、それを全部溶かすのにどれだけの力がいるか。
小手先の技ではダメ。根本から、真の神さまが出てこないとダメ。虚の世界のどれだけ高い神仏が働いても、消えない。

だから、一切の我を捨てて、真の神さまが出てくるのを願わないとダメ。自分が出しゃばっては、真の神さまは絶対出てきてくれない。
いくら自分が立派で高い力があると言っても、虚の世界を全部浄める力なんかない。自分が出しゃばったら神さまが出てこない。
自分の全てを神さまにお返しして、神さまの御用に使ってもらうように、自分を捨てないとダメ。それが真祈りの祈り。
真の神さまだけを言葉にしないと。

そして、真の神さまを与え続ける祈りをすることで、お手伝いに入る。
そしたら、その一人の人を、例えば自分と考えたらいいけど、自分の過去生の無限のマイナスは、今肉体を持ってこの世に生まれていても、
本当に過去生の無限のマイナスを消していなかったら、奥に残っている。本当はみんなそう。
棚上げで生まれて来ても、奥に無限のマイナスが残っている。

だから、自分が本当に虚の世界全部を消しきれてなかったら、残っているの。
自分のこの世で見ているすがた全部が、真の神さまからの無限の無限の天照大御神様の流れ、
これによって真の神さまの分身の天照大御神様が、自分のマイナスを一瞬背負って、流れに乗って消してくれているすがた。
周りの全部、自分の他に他人と見えている他人が全部、自分のマイナスをそれぞれに背負ってくれている。
一瞬背負って、消し続けてくれている。次から次へと、新しい天照大御神様が出て来て、背負い続けて消してくれている。
それで自分のマイナスがどんどん消されている。

ただ、消されているのに気付くのは、自分がその神さまの愛の計らい、働きを知ってないと分からない。
助けてもらっているのに、その助けに気付かなかったら、助けを受けとっていない。
だから、神さまの愛の働きがどれだけ凄いか。振り替えの働きがどれだけ凄いかを知ることが、それを受け取ること。

だから、人を救うなんて、本当はそんなちっぽけなものではない。自分が救われないとダメ。
自分が救われていないから虚の世界がある。この世もあの世も全部、自分のすがた。それをいかに消してもらうか。
自分の半分ずつを取っても、まだ残っているの。この世に出てくる全てが、自分のすがたを半分ずつ取って、消してもらっているすがた。
まだ自分が同じものを持っている。更に、消し続けてもらって、半分減るの。
全部を、半分ずつ取り続けてもらって、消し続けてもらったら、本当の一大循環の世界に変わる。

だから、真の神さまの新たなる無限の無限の入れ子構造の天照大御神様の愛の働きで、
自分一人のマイナス、虚の世界のすがたを全部、振り替えて取って、消し続けてくれている。
こういう風に見ないと、本当の神さまの振り替えは、わからない。部分的な小さい振り替えなんか、本当は、虚の世界を消す働きでも何でもない。

真祈りの必要性が、これで分かると思う。真祈りで真の神さまを与え続けるというのは、呼び続けていること。
与えないと自分の中を循環してくれないから、自分の中というのは、大きい自分の中。
与え続けて、自分の中を循環して、浄め続けてもらえる。

同じ真祈りでも自分一人の真祈りでは、まだまだ加速できない、小さい。力が弱い。
だから、みんなの力を結集して、一つに合わせてもらわないとダメ。自分がみんなの真祈りを応援しようとしないと、応援してもらえないの。
だから、力を合わそうとしないと、合わせてもらえない。だから、支え合いの真祈りがいるの。これが護摩焚き。

護摩焚きも最初は、目的が小さかった。まず、マイナスを取ってもらうために、願い事を書いて、護摩木を出していた。
それがだんだんとプラス思考に変わって来て、プラスが大きくなってきたけど、まだ真の神さまを与え続けるお祈りまで行かなかった。
前回から始まったのが、真の神さまを与えるお祈り。でも、最初から一足飛びにそういうお祈りの出来る人は僅かだから、
最初の願いを叶えて欲しい、求める心のありがとうございますもあってもいいの。拒絶しない。
神さまは、そういう人をみんな救いたいから、まずありがとうございますを書ける人を、
一人でも仲間に入れて、一緒に真祈りを加えて、浄め続けて、助け続けて、本心に戻してくれる。

最高の与え合う、支え合う本当の真祈りだけが必要かというと、そうではないの。
それを根本において、ありがとうございますのお祈りができる人は、どんな人も全部救い上げる。
出来ない人まで救おうとしている。これが本当の、真祈りのありがとうございます護摩。

だから、どれだけ真剣に護摩木を書かないといけないか。一大循環の流れを本当に加速するため。
真の神さまを与え続けるため。本当のプラスを与え続けるため。本当に地獄に堕ちた人を、八寒地獄に閉じ込められた人を救うため。
そういう地獄に堕ちた人にとっては、一秒でも早く救ってほしいから、本当に待ったなし。

この世のマイナスを、災害を救うとか、そんなこととは違う。この世の病気の人を治す、そんなことではない。
そんなことは、どちらでもいいこと。この世の人は、万分の一に軽くしてもらっている。
真の神さまが、みんなが何も願わなくても、何もしなくも、まず軽くしている。
天照大御神様を派遣して、みんなのマイナスを背負って消し続けている。

この世が出来たということは、そのまま万分の一以下に済ましてくれている。
更に、人の自由意志を尊重して、本当に真祈りに生きて、お手伝いしたいという人の力が必要になる。それでスピードが加速する。
神さまだけ働くのではダメ。人の自由意志がそこに加わっていかないとダメだから、一人一人の自由意志が一番大事なの。

だから、大勢の人の自由意志が加わるほど、流れが加速する。温かい愛のお湯が、勢いよく大きく流れると、
どんな氷の塊でも、すっと消えてしまう。振り替えの勉強も、本当の振り替えの愛の働きを理解するため。
小さくではない。本当の神さまの愛を深く理解するためなの。

これは、色んな角度から見ていかないと、本当の意味では分からない。今話したことは一部。
色んな角度から神さまの愛の働きをしっかりと勉強して、理解して、理解した分だけ受け取れるようになる。
それも神さまの側に立って与えようとするほど、よくわかってくる。わかった分だけが自分に受け取れる。その勉強。

だから、生徒の側ではなく、先生の側に立つ。受ける側ではなく、与える側に立つ。そして、神さまと共にというのが大事。

(平成25年11月23日のお話 第1部A)