真のありがとうございます 


 先生の立場に立って、生徒を納得させられるかどうか?難しい。
先生という立場で勉強しないと、本当に深い所までなかなか理解しにくい。
昔から、親の心子知らず、師の心弟子知らず、神の心人知らず。
だから、自分が与える側の立場に立った時に初めて、少しずつ分かり始める。

まず、真の神さまの愛の御心とは何か。神さまは、本心の一人一人に対して、どの人に対するときも、一対一で対する。
一対一で対するというのは、Aという人に対して、Aという人の本心に対して、全てをその人に向けている。
全ての全てをAという人だけに向けている。次に、Bという本心のその人に対しては、この時もAを含めた全ての全てをBに向ける。
AとBに違うものを与えてないの。バラバラではない。

例えば、ここに100人がいて、太陽の光を与える時に、太陽から光が分かれている。
分光に、小さい光になって、一人ひとりに当たっているのは、ごく僅か。でも、真の神さまの与え方は違う。一人の人に対して、全体を与える。
真の神さまの全てを与える。どの人に対しても同じ。だから、平等なの。分かれたものを与えるのだったら違う。
同じものを与えてない。不平等。これは絶対ないの。常に一対一。神さまの与え方は常に一対一で与えてくる。
そしたら、受ける側も、一対一で受けないと、受け取れない。

まず、真の神さまだけを相手にしないと、神さまのことは何もわからない。真の神さま以外に、自分の他に他人がいる、こういうのだったらダメ。
真の神さまが、1人になってない。真の神さま以外に色んな人がいる。それでは、真の神さまと相対することは不可能。
だから、常に一対一の関係で見ていくことが大事。これが本当の信仰の極致。

そして、神さまの側に立つ。そうすると、よくわかってくる。もし地獄に堕ちたとすると、地獄に堕ちた人をどう救うか。
地獄に堕ちた原因がまずある。一大循環の無限のスピードで循環する神さまの世界を、一瞬止めて見ている。掴んで止めて見ている。
そしてそれを自分、自分のものという風に、掴んで残像として、残像の中に入り込んでいる。本当は、循環を掴むわけにはいかない。
掴めないけども、掴んだと思って残像の世界に入ったら、虚の世界。
一旦虚の世界に入ると、一大循環の世界からもう離れてしまっているから、残像の中で過去を掴み始める。
どんどんどんどん小さくなって、マイナスの言葉を積み重ねるにつれて、地獄のどん底に堕ちる。

神さまの世界は、水の流れで言うと、お湯の流れ。温かいお湯の流れがあるとする。循環している。
人体でも暖かい血液が流れている限りは健康。この流れが止まってくると、冷たくなる。止まったら死んでしまう。
それで掴んだという掴みがあると、流れが緩やかになってくる。流れが遅くなって、逆になってくる。

マイナスの言葉というのは、凍らせる働きがある。だから、この一旦凍ったものを、どう溶かしていくか。
温かいものを流さないとダメ。ここらへんは雪が多いから、雪が沢山降った時にどうするか。一番いいのは、川に放り込んだら溶けていく。
これが温かいお湯だったら、お湯をかけるだけで消える。温かいものでないと消えないから、お湯でないとダメ。
冷たいお水をかけたら、雪と水が一つになって氷に変わる。絶対に溶けない。水をかけてもよさそうに思うのだけど、氷を増やす。
だから、本当のマイナスを消すのは、温かいものを流さないとダメ。

虚の世界を消す方法は、一つ。真の神さまを与え続ける。真のプラスを与え続ける。一大循環の相象(すがた)を与え続ける。
本当の温かい流れ、愛の流れを、流さないとダメ。これも無限のスピードでいうぐらい
そしたらけ積み重なった無限の氷でも、溶けていく。


(平成25年11月23日のお話 第1部@)