真のありがとうございます 


 AがBを殺した。一回殺したら、殺す方の業が、雪だるま式に増える。一回殺したらまた殺したくなる。
どんどん殺す業が増えるの。お釈迦さんの弟子になって、救ってもらった人に、
指鬘外道(しまんげどう)っていう人がいた。
人を殺して指を首飾りにするの。前の師匠に、お前は1000人殺して、1000人の指の首飾りをかけないと救われないと言われた。
999人殺して、1000人目に会ったお釈迦さんを殺そうとした。

どんな理由であっても、人を殺したら、その業が積み重なる。それで段々平気になる。
殺すのが平気になって、殺して指を切って、首飾りにつけていく。そのぐらい、人を殺したというのでも、業が増える。
それで、地獄に堕ちたとする。地獄の牢獄に入れられて、殺したから殺される。
それで何回も殺されて、また蘇って、殺されて蘇って、殺されて蘇って、一瞬の間も無く繰り返す。無間地獄って、間が無いの。

そしたら、その業を誰が消すのか。本人は消せないし、周りの人も消せないし、地獄というのは、そういう風に消せないすがたで、残っている。
恨むのも同じ。殺されたから恨むというのでも、恨む業は増える。一回で済まない。
殺されたから、憎らしいと一回思っただけで、止まらないの。恨みがどんどんエスカレートして、どんどんときつく、
末代までたたってやるというような気持ちになる。

人を一人恨んだら、呪ったら、人を呪わば、穴二つということわざがある。自分も同じすがたを取るの。
人を呪って殺したら、自分も墓穴に入らないといけない。だから、穴を二つ掘っておかないと、というわけ。
だから、恨む業もエスカレートするの。消えていかない。増える一方。

AとBを救うと言っても、一回殺して、殺されて、恨んでって、これを放っておいたら、
やっぱり無限のものを積み重ねて、どちらも地獄のどん底で救われない状態で、何億年以上ずっと続く。
そしたら、どうして救うか。人を殺したらダメ、恨んだらダメと言っても聞くわけがない。
まず、業の心は受け付けない。感謝しなさい、お祈りしなさい、そんなことは全然通用しない。出来ない。
ましてや、真祈りを祈りなさいと言っても絶対出来るわけがない。

そしたら、どうして救ってあげるか。どうして救いに立つか。難しいよ。肉体を持っている自分は、地獄に行けない。
波が違ったら、世界が違うし、接点が全然ない。地獄にいる人を見に行くこともできない。声をかけることもできない。
何もできない、救いも何もできない。地獄でなくても、餓飢道でも同じ。
縁者が餓飢道に堕ちていたとしたら、何か食べる物をあげたいと思って持って行っても、全部火に変わって届かない。
そしたら、どうして救うか。餓飢道はまだ軽い。

それでも、どのようにして餓飢道に堕ちた人を救えるか。これも厳しい。いくら供養と言って、ご馳走を供えても届かない。
それも放っておいたら、どんどん業はエスカレートする。ちょうど借金と同じで、増え続けるから。
借金は、利息で増え続けるから、放っておくほど増えていく。だからもう、一秒でも早く、救ってあげるしかない。
借金というのは、元本をごそっと消さないと。大きい借金ほど、利息が高くなっていっているから。

だから、真の神さまの愛の働きが、どれだけ凄い働きが降りないとだめか、となる。
真の神さまが地獄に堕ちた人、一人を救うために、一人の人を使うのではないの。一人の神さまだけ降りるのではない。
総動員する。全てを使う。それも順番に段階を追って。それで、地獄に近い低い段階の働きだけでは、力がないから、救えない。
もう一つ上の段階から、それをバックアップしないとダメ。更にその上の段階から、順番に入れ子構造的なバックアップが絶対必要になる。
その大元が、真の神さまの大きい力。それが虚の世界へ順番に段階を追って降りてきて、
身近なところから順番に助け上げないと、やっぱり救えない。消せない。

殺したら殺しの業が増える。殺されても、やっぱり業が増える。業というのは、過去を掴んで積み重ねたもの。
これを一大循環の流れの中に戻さないとダメ。最初は緩やかにでも、流れを、止まった流れを流れるようにしていかないとダメ。
それが細い流れでも緩やかな流れでもいい。流れで押し流すの。その時に初めて消えていく。

ただ、その光の流れをそこに持ってくるまでに、まだ強すぎる光ではやっぱりダメなの。
ちょうど、汚れてドロドロのものを、どうやって洗い流すか。やっぱり、きれいな水で、さーっとシャワーのようにかけていったら、
順番に流れていく。きれいになっていく。そのやり方を、その場に合わせた状態でしていかないとダメ。
その小さい物に、汚れているからと言って、大きい水をばっとかけるわけにいかない。

やっぱり、小さい物には小さい物を合わせる。例えば、蟻が泥んこで汚れていたとする。
洗ってあげようと思ったら、蟻に合わさないとダメ。象をきれいにしてあげようというのだったら、象に合った水のかけ方が要る。
いくら大きい水で消したら速いと言っても、それは出来ない。だから、相手に合わせて、段階を追って、救いの働きを加えないとだめなの。

本人同士の業だけではない。周りの人にも影響を与える。自分の大事な人が殺されたら、周りの人も同じように、
それ以上に恨むかもしれない。殺された本人は、納得していても、周りの方がもっと恨む。
別に関係のない人まで、あの人を殺したから悪い人だと決めつける。必ずマイナスの言葉を発する。

マイナスの言葉は、みんな殺人と同じ。実際の殺人よりも、言葉の殺人の方が怖い。
心に思うだけで、現実に色んなことをしたのと同じになる。マイナスの言葉は、殺人と同じ。
そしたら、現実に人殺しをしたというすがたを責めるのもいいけど、自分がマイナスの一言を使ったことの方が大きい殺人。
自分の方がもっと大きい殺人を犯していることになる。その業が消えるかと言ったら、消えない。
やっぱり、自分のものが全部、自分に返ってくる。それだけで自分も地獄に堕ちて、殺されるばかりの苦痛を味わわないといけない。
無限地獄に堕ちたらダメ。

小手先の働きでは、絶対無理。真の神さまの愛の流れが循環して来て、全部きれいに洗い流してくれないと、
根本の解決には絶対ならない。ただ、順番に段階を追わないと、これもまたダメなの。
それで、人の心境を10に分けて十界というけど、順番に段階を追って、心境を上げてくれる。
一段階上がるだけでも本当は大変なの。あの世で一段階上がるというだけでも、すごい年月がかかる。

それだけ年月がかかると、地獄の人が救われるまでに、無限の年月がかかって大変だからって、この世で循環させる。
パイプのような働きを作ってきてくれているわけ。パイプの中へ流れを通すことで、早く循環させてあげたい。
あの世全体を循環させるのは大変だから、一部分だけでも循環させて、そこを通ることによって、汚れが早く消えていくようになっている。

溜めたものを早く水で洗い流す方が、無くなっていく。大きい器の中に、上から水をいくら注いでもダメ。
底は絶対になくならない。底に溜まったまま、上だけが少しきれいになるくらい。
でも、底までパイプが通って、底まで水が流れて、底から流れ出るのだったら、やっぱり、汚れは早く消える。
それがこの世の役目。一番底まで通して、パイプで神さまの光を降ろしてもらって、循環させるの。
その循環が速くなるほど、マイナスが速く目の前から消える。

台風でも、大型台風が居座ったら、一週間居すわられたら、みんな全滅する。大きい大型台風なんて一日でも大変。
それでも、一時間でさっと走り抜けてくれたら、かなり楽。その移動するスピード。
マイナスがあっても移動させるスピードが速かったら、被害が少ない。スピードが無かったら、ずっと続く。

地獄は動いていないから、ずっと続くの。苦しみが永遠に続くような感じ。これは、全然動いてないから。溜まるだけだから。
上の方は、まだ動いているの。上の方で循環して、Uターンしているから。
下まではいってないけど、菩薩界とか仏界は、上の方で光が循環してくれるの。だから、マイナスが少ない。助けてもらっているの。

でも、地獄は反対。溜まるばっかりで、全然循環していない。止まった世界。
だから、一番大変なところを救うのは、やっぱり一番下からでないとダメ。それも循環を速くするために、どうしたらいいかになる。

同じ必要なものを的確に与えて行くというのでも、同じ場でマイナスをプラスに取り替えるのは、
これも振り替えだけど、古いものを新しいものに置き換える、これも振り替え。新しいほどプラス。きれいなの。
古いものほど、汚れで、ごみで一杯で、汚い。マイナス。同じ場で振り替えても、あまり力が無いの。
古いものを新しいもので振り替えないと、同じものでも、早くプラスに置き換わらない。

神さまの助けでも二通りある。除霊と浄霊。除霊の方が、低い神さまの助け。
例えば、肉体人間が病気しているから、この病気を治してあげようと、病気の原因の思いを、あの世の低い神さまが背負ってくれる。
身代わりに取ってくれる。そうすると病気がぱっと消える。でも、身代りに背負ってくれた思いは、まだ消えてないの。背負ったまま。

それがまたいつどこへ行くか。肉体人間が、感謝も恩返しも何もしないで、助けてもらったのに無視するようだったら、また戻される。
戻されたら今度は大きくなって戻ってくる。また病気がぶり返す、重くなる。これは、除霊の方。
除霊でも、思いを取ったら、一瞬で病気が治る。でも、そういう除霊の助けのものだったら、本当にプラスになってないの。
一時的に、右のものを左に除けたというだけの助け。

もう一つは、浄霊。浄めの方。浄化する方の浄霊。これは、高い神さまのする方。高い神さまがマイナスを背負ってくれる。
そして、祈り続けて消してくれる。消すのにやっぱり時間がかかるの。虚の世界では、高い神さまでも、背負った分を消すのに、
消しきるまでにやっぱり長い時間がかかる。でも、消してもらったら無い。消えて無いの。

消してもらうためには、自分も消してもらうだけの気持ちになってないと、相手にされないの。本当に本心に戻りたい。
神さまのお手伝いに生きたい、恩返しに生きたいという気持ちを起こした時に、高い神さまと波が合って、
ああそれだったら、助けてあげようかとなる。同じ病気をしていても、助けてくれる神さまの高さによって、除霊になるか、浄霊になるかが決まる。

本当に消してもらえたら、本心が出てくる。ただ、時間がかかるから、一度に全部取って、病気を治してくれるということは、めったにない。
少しずつ消していけるだけを、少しずつ取り続けて消して、それでも病気をしていても、真剣に祈って祈って、
恩返しに感謝に生きようとしていたら、助け続けてくれる。時間がかかるけども、思いを取って消してくれる。

だから、色んな働きが無限に加わる。今のは一例。神さまは、色んな働きで助け続けてくる。
その色んな働きを、自分が違いがわかって、区別して、理解して、それを全部、受け入れないとダメ。
自分が受けただけが、自分のものになる。違いがわかっただけが、自分のものになる。神さまの愛がどれだけ大きく深いか。
やっぱり無限の働きかけが、いつもある。全体から、色んな段階から、全てから助けを受け続けて、本心の自分に戻る最短コースを歩ませてもらう。

振り替えの勉強も、色んな振り替えが沢山ある。一通りや二通りと違う。色んな種類の振り替えが一杯あって、
それも全体から、自分の気付かないところから直接・間接に色んな助けを受け続けている。その全部をやっぱり勉強していくというのは必要。

だから一回や二回、振り替えの勉強をしたから、わかったとは言えない。
応用問題が一杯出て来て、それを具体的に勉強していかないと、実力がつかない。


(平成25年11月16日のお話 第1部A)