真のありがとうございます 


 真の神さまの一大循環の相象(すがた)の世界は、本当に必要なものをサッと的確に与え尽してくれる世界。
プラスとかマイナスと言うけど、それは別にプラスとかマイナス具体的にあるのではなく、必要なものを与えてもらえるのがプラス。
必要なものを与えてもらえない、それがマイナス。

その必要性がまた色々。一人ひとり全部違う。今一瞬必要なものと、次の一瞬必要なものはまた違う。
どんどん必要性が変化する。どういう必要性を自分が感じているかというのでも、小さいもの大きいもの色々ある。
必要という字は、必ず要ると書く。だから、必ず、絶対に必要というもの。
そしたら、生きるために必要なもの、悟りを得るために必要なもの、色んなこれがなかったら絶対ダメという、必ず要るものがある。
種類も沢山ある。

だから、その人が今どこに立っているか。立場が色々だから、その立場で何を必要としているか。
本当に必要なものを、それも最高なものを与えてもらえたら、一番大きいプラス、本当の幸せなの。
だから、このマイナスの世界に立っていても、プラスの世界に立っていても、その時にその人が自由意志で何を選ぶか。
これが一番根本の問題。

地獄のどん底に立ってもいい。願っているものが本当の悟りだったら、その悟りを与えるために、神さまが色んなことをしてくる。
それも地獄の苦しみを取ってほしいというだけの必要性だったら、苦しみを取るだけの働きをしてくる。段階が無限にある。

同じ一人の人にとっても、何が必要か。それを全部見抜いて、神さまは働きかけをする。
今この人は、苦しみだけを取ってほしいという時は、苦しみだけを、それも必要なだけを取ろうとする。
でも、地獄のどん底で何億年苦しんで、本当の悟りを、命を懸けて求めるという気持ちを起こしたら、
本当の悟りを願うのだったら、その悟りへの最短コースになるものを与えてくる。一瞬に悟れるものではない。
だから 順番に、この悟りへの最短コースを歩む道を示して、ずっと助け続けるの。もう気が遠くなるくらい。
そういう助けをしてくれなかったら、必要なものを与えてもらえない。

だから、根本は、一大循環の相象の中にあって、虚の世界にも働きかけが降りてくる。これは、無限通り。
一人の人に必要なものを与える。この与え方も、無限通りの働きかけが必ずある。
その時に、その中から一番ふさわしいものを与えようとしてくるけども、これも本当は無限通り。
一通りや二通りなんて、そんなこと絶対にない。ありとあらゆる方向から、助けてあげようという風に、働きかけにきている。

ただ、それを本当に受け取れるかどうかは別。でも、一番必要なものをって、働きかけは必ず来るの。
この世に生きている人がそう。必要なものを受け取るか、欲しいものを受け取ろうとするか、これはみんな違う。
必要なものを与えてもらっても、必要なものを受け取らずに、他のものに心を向けて、他のものを掴みに行く。
その時は、必要なものをおろそかにする。

でも、神さまの与え方は、本当に必要なものを与えたい。必要なものが、本当の自分に、本心の自分に戻る一番の最短コースになるし、
幸せになる。だから、欲しいものではない。必要なものだから、必ず絶対それがなかったらダメというものを与えてくる。


(平成25年11月16日のお話 第1部@)