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 十界。「かい」は、世界の界。人の心境に応じて、10の世界に分けている。この十界は、虚の世界の分け方。
真実の世界は、真の神さまだけ。虚の世界は、全て思いを通して見ている世界。本当は真の神さまだけなの。
過去を掴むと、思いを溜めていく。それが思いの色眼鏡になって、思いの色眼鏡を通して見る世界が、本物でない虚の世界。
この十界全部、色眼鏡を通しているの。一番上の仏界でも色眼鏡を通しているの。きれいな色眼鏡。

最初は、真実の世界から、過去を掴むことで虚の世界に転落していく。
一大循環の相象(すがた)もう無限のスピードで本当は掴めないものなんだけど、掴めないけども、掴んだと思うの。
掴んだと思った瞬間にそれが偽物の虚になるわけ。そして残像の世界足跡の世界に入っていく
いったん入ってしまうと、今度は新たな受け直しが出来ないから、この残像の世界に入ったままずーっと下へ堕ちていくの。
残像の世界でも過去を掴んでしまう。そうするともう1
つ下へ降りる。
それで、どんどんどんどん下へ堕ちて、思いを溜めただけ、下の方へ堕ちて行っているわけ。一回下まで堕ちて、今度上に上がってくる。

 上がる時に、真の神さまが助けてくれるというのだけど、真の神さまが直接ではないの。
全て真の神さまからの助けなんだけど、虚の世界の全てに、真の神さまの光、残像の光が一杯満ち渡って、
全てを通して、その光で救い上げてくるの。だから常に、真の神さまからの直接の光も、虚の世界の残像の光も、
無限に無限に一杯、一人一人には降り注がれている。一度みんな下まで堕ちたとしても、下から上へ上がる時は、
全体から助けを受け続けて、上へ上へ引っ張り上げてもらうの。

 仮に地獄に堕ちた人も同じなの。一度堕ちても、直接の神さまの助けもあるし、
高い世界からもあるし、低いところからもあるし、ありとあらゆるところからその必要な光が降り注がれて、
順番に引き上げてくれている。自分がそれをしっかり認めているか、いないかの違いはあっても、これは常に行われている。
認めてなくても助けてもらっているの。その助けを本当に自分がしっかりと認めて受け入れるようになった時からが、
本当の生き方になるけど、それはもう声聞・縁覚・菩薩・仏の世界に入らないとそれは出来ない。
下の6つ、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上これはもう、六道という世界では不可能なの。気付かない。
助けてもらっているけども、気付かない。

この10の分け方は、本当は、この世の分け方ではないの。あの世の分け方。
あの世は、この世と比べたらはるかに大きい広い世界。この世はあの世の縮図。万分の一以下の縮図。小さい世界。特別な世界。
例えば、地獄でも八大地獄というあの世があるの。無限の階層があるの。この世の地獄なんてごく僅か。
どんな地獄を眺めても、万分の一か億分の一の苦しみでしかないし、それも僅かな部分だけ。この世の地獄ってね。
この世は、本当は、あの世の縮図だけど、そのまま全部映し出しているのではない。
万分の一か億分の一の、必要なだけの姿を映し出しているだけ。

それが何のためか、この世が何のためにあるかというのが一番大事な問題。神さまがこの世を何故作ったか。
本当は、あの世だけでよさそうなの。こんな寿命を決めてまで、この世を作る必要なんか本当はない筈なんだけど、何のために作っているか。

あの世はもう、一番下から一番上まで、階層が厳然と分けられている。波が合うもの同士しか出会えない。
ちょっと波が変わったら別の世界。そしたら、自分と同じ世界で、自分がどれだけ新しい勉強をして上へ上がれるか。
なかなか上がれない。例えば、あの世でお金が大事と思っている人は、周りに全部がお金を勘定する人ばかりなの。
自分のそっくりさんだけがいる。一生懸命数えているの、お金を。そしたら、自分は、もっと他の生き方をしたいと思うかな。
思わないよね。それに本当に飽きてしまったら、また別の生き方を選ぶかもしれないけど、少し違うことしか選べない。

 また女の人が、ファッションショーみたいに着飾って自分を見せようとする人がいたら、周りの人がみんなそうなの。
見せようとする人ばかり。見たいという人はいない。どうか私の姿見てちょうだい、という人ばかりだから、誰も見てくれないの。
そういう世界になってしまうの。波の合うものしか、自分の周りに現れない。あの世は自分のそっくりさんだけが現れる世界。
だから、一段階上がるだけでも大変。波一つ変えるのも大変なの。

上の方から、神さまが救いに降りると言っても、神さまが降りるのも大変なの。順番に波をずーっと変えてこないとダメなの。
波が違ったら絶対出会うこともないの。だから、極楽の波と地獄の波が合うかというと、全然合わない。
すれ違うことも何もない、全然違う世界。だから、助けに降りるなんて不可能。降りられない。
助けに降りるというのは、波を合わせないとダメなの。だから、上から下まで波を合わせて、順番に合わせてきたときには、
自分が地獄の亡者になってしまっている。そんなこと大変。せっかく助けに降りたけども、降りたところで自分が亡者になってしまったら、上がれない。

 それで、この世を用意するの。この世は、例えて言えば、光のパイプになっている。全ての世界と繋がる光のパイプみたいなもの。
一番上も一番下も、一本の光のパイプで繋がっている。その光のパイプの中を、自由自在に動けて、
どの世界にでも通じて行けるようにしているわけ。だから、この世は特別なの。それで寿命を決められて、
この世で働けるようにしてもらっているの。この世はあの世の縮図だから、だいたい全部揃っている。
揃っているけども、そっくりではない。万分の一以下の軽さで出ているから、その中で自分が何を選ぶか。自分の選んだ通りになる。

普通みんなこの世へ生まれ変わってくるときは、大体低い世界を救うために出てきているの。
六道にいる人は、生まれ変われない。救いに立つ人でないと意味がないの。だから、救いに立つのでも、生まれてくると忘れる。
みんなを救おうとして出てきたのに、忘れてしまう。本当は、お祈りをしっかりして、縁者を全部救おうとして出てきているのだけど、
もうお祈りもそっちのけ。最初の初心を忘れて、負けてしまう人がほとんど。生まれてこの方、色んな姿を見ることによって、
本当にプラスだけを選んでいたらいいのだけど、マイナスも選んでしまう。そうすると、マイナスに堕ちていく。だから、教育って大事なの。


(平成25年2月16日のお話 第1部@)