真のありがとうございます 

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 色んな立場から、色んな言葉で、色んな表現を、人それぞれ違うことを表現するのだけど、
本当は自分が神さまの側に立って、自由自在心になって、無限通りの見方が出来るのだったら、全ての立場に立って、全ての見方が出来る。

だから、その人間の自分の生き方が、どの生き方を選んでいるか。まず、求める心の生き方か、受ける心の生き方か、与える心の生き方か、
支える生き方か、支え合う生き方か、大きくこの5つ通りに分かれる。

支え合うまで行かないと、真の神さまと共に歩む生き方ではない。真の神さまと共に歩む時に初めて、みんなを救いに立っているすがた。
真祈りを祈りに祈って、具体的に自分を、一番最低に落として、地獄の業苦を背負う。それで、それを順番に運び上げて、消し去っていく。
背負わないと。背負った分を消せるの。

業は、光を投げかけると逃げていく。闇は、光から遠ざかるように逃げていく。強い光を与えたから、業を消せるのではない。
業を消すのは、自分が背負って、閉じ込めておいて、光で消さないと消えない。一度自分がみんな背負わないと消せない。
強い光だけではみんな逃げるの。波が違うから、近づくことも出来ない。
実際自分が神さまの世界にいたら、神さまの世界だけで、虚の世界は無いのだから、虚の世界を救いには立てない。自分にはわからない。
極楽にいる人が地獄に降りられるかというと、降りられない。

でも、全体を見て、色んな世界があって、違いがあってというのがわかって、なおかつ、地獄の人を極楽へ引き上げたいと思った時に、
虚の世界ですら、極楽にいる人は、自分の光を和らげて消して、地獄まで降りて、なおかつ、みんなの業想念を背負って一緒に上がっていこうとしないとダメ。

だから、具体的に、そういう働きの大菩薩行の一環として、この世の全部があるの。
限られた時間の中で、色んな障害のある場所の中で、必要なだけの仕事をすることは、どういう働きの振り替えか、想像を越えている。
一通りや二通りではない。色んなところから、色んな神さまの応援があって、その神さまは、それぞれに菩薩行を加えてきている。
幾通りもの菩薩行が一杯重なってあるの。

お寺だったら、お寺の過去生の因縁が一杯ある。そこの檀家の因縁が一杯ある。
そういうのをお清めするための働きを加えてきた時は、そういう関係の神仏の菩薩行。でも、それは一つの見方。やっぱり、他に無限通りある。

だから、自分がどういう働きをさせてもらうか。一番根本の真の神さまの側に立った時は、沢山の大菩薩行の働きをするの。
そういう働きを担う。段階が低くなるほど、限られた菩薩行になって小さくなる。もっと低くなったら、やっぱり小さい菩薩行。
もっと低くなったら、この世的な働きだけで終わる。

だから、どういう風に違いを見抜くか、これが一番大事なこと。違いが沢山わかるほど、自分が高い立場に立って働いている。
同じ段階でも、無限通りある。次元を変えたらまた無限通りある。極端に言うと、無限の無限通りある。
それだけの働きが常にあるの。それがあるというのは、真の神さまがそういう働きをしているということ。
無限の無限通りの救いのすがたを取り続けているということ。どれだけ真の神さまの愛が大きく深いか。
それに気付く為に、それを感じ取るために、そのお手伝いに入るために、違いを見極めて、真祈りをして、全力を出し尽くして、
限界を破っていかないとダメ。

求める心の生き方では、善悪を決めたり、あれは正しいとか間違っているとか、本当は、法律でこんなの禁じられているのにとか言って
色々考えるけど、それは一番下の求める心の縛りにあった世界の話。

真の神さまの側に立って、真の神さまと共に、虚の世界の全部を救いとる、みんなを本心の世界に戻す、
こういう立場に立ったら、一切の縛り全部を消しきっていくまで行かないとダメ。

だから、憲法だから、法律だから、規則だから、決められているからって、その縛りにあっていたら、何もできない。
原発の問題一つそう。事故に遭った時どうするか。法律で決められているからと言っていたら、何もできない。
超法規の、法律や憲法とかを全部越えた、本当の働きを加えない限り、解決しない。
それも短時間で、大きい力を発揮しない限り、一つの問題でも、不可能と見てしまう。

本当は、一つの大きい問題が出てきた時、全員が法律を越えて、思いやりの愛の心だけで、全部力を結集して、
他のことは放っておいて、さっと助けないとダメ。人間の体が、一つとする。どこかを怪我した時、その怪我を放っておいて、
他のことをしていたらダメ。その怪我を、まず治さないといけない。放っておいて他のことをしても、もっと悪くなる。
身体も本当の働きが出来ない。国も同じ。一つの国で大怪我した場所があったら、そこの場所を癒してあげないと、
その国としての働きが、本当の働きが出来なくなってしまう。

右手がポーンと切れたとする。切れたら、やっぱり繋がないけない。どんなことがあっても、ちゃんと治療しないと。
一番大事なところを先にちゃんとしないとダメ。この切れた右手を放っておいて、動き回って走り回ったら、出血多量で死んでしまう。
手だけの問題ではない。全体がダメになる。まず血を止めて、手術して繋がないといけない。他のことは、それが済んでから。

だから、どんな問題でも、緊急の問題ってみんなそう。一つの問題が出たときは、全員で協力して解決しないと。
結局みんな、大きく足を引っ張られている。原発問題が特にそう。日本の国の人みんなが協力していたら、もっと早い。
そしたら、日本の国全体を眺めた時は、早く良くなる。

どんな問題も、小さくも大きくも全部、何が必要かを見抜くこと。その必要なところへ、必要なものをすっと流すと、
一大循環の相象(すがた)を取る。神さまの助けが一番大きく入ってくる。本当の調和のすがたすぐ元に戻って出てくる。

だから、現実の色んな移り変わりのすがた、色んな働きをどれだけ大きく眺めていくか。特に、真の神さまと繋いで見る(観る)。
このための本当の勉強。どれだけ真の神さまが働き続けてくれているか。自分たちがどれだけ働くか。
神さまがどれだけ大きい愛の働きを加え続けてくれているか、これに気付くため。
その働きと一つになるために、具体的な色んな働きの違いを見て行かないと。その勉強が一番、神さまと一つになっていく勉強。


(平成25年11月2日のお話 第2部@)