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 この世の一つの出来事を見る時に、まず十通りに解釈する。百通りに解釈する。本当は無限通りに見抜けたら一番いい。
無限通りに見るというのも、一番奥から見たらその通りになる。無限通りある。

この世で色んな地震があったり、台風が来たり、色んな自然災害があって、そういうのに巻き込まれた人を、自分を含めて、その時どうするか。
出来ない、不可能だからって、何もしない、お手上げと言ったら、おしまい。
地震で潰れた中に閉じ込められたらどうするか?自分も命懸けで全力を出さないとダメ。
脱出しようとしなかったら、助けに来てくれるまで待てるかどうか。誰も来てくれないかもしれない。

この辺りでも同じ。雨が降ったら土砂崩れが何十か所、起こるかもしれない。
それをちゃんと直してくれるのを待っていたら、一年後かもわからない。そしたら、出ていけない。脱出できない。
自分たちの出来ることを順番に片っ端からしていかないと、どうしようもない。

雪が降っても、大雪だったら、木が何十本も倒れる。道路に大木が倒れる。そしたら、誰がその木をどけるか。
この辺りだったら誰もどけてくれない。冬は通行止めになっていて、除雪に来てくれないから、木は絶対どけてくれない。
そしたら、自分たちがそれを切ってどけないといけない。

この世の表面的な自然災害に対してすら、不可能を可能にしていくという気持ちがないと、生きていけない。
あの世を見たら、この世の万倍・億倍のマイナスが一杯。あの世の大きいマイナスを、この世を通して、万分の一以下に済まして、
マイナスを消し去ろうとしているの。この世の全てがあの世のマイナスを、大きいマイナスを、万分の一以下で消し去るための、色んなすがた。
大菩薩行をしないとダメ。

もう一つ上から、奥から眺めたら、虚の世界の全てを消し去る、地獄のどん底を全部救い上げる、
この気持ちで真の神さまが動き出したとしたら、どんな働きをするか。こんなこと不可能だからできませんなんて言わない。言っていられない。
何が何でも最後までやり抜く。楽な生き方なんて絶対選ばない。それも時間が限られる。
例えば、この地獄に堕ちている人から眺めたら、今一瞬の、今、助けてほしい。無限の業想念を背負って、無限の思いで押し潰されて、
身動き一つ出来ない状態に置かれて、地震で下敷きになったようなものではない。その万倍・億倍の苦しみ。
一秒でも早く助けてほしいと待っている。だから、神さまが上から助けに降りるにしても、一番早く下まで降りる。どうやって降りるか。

神さまがそのまま降りるわけにはいかない。光を和らげて和らげて、光を隠して隠して、波を合わせてこないと降りられない。
同じ大きい力でトンネルを開けるのだったら楽。でも、その大きい力を奮えないところでは、力を小さくして小さくして、
その場所に合わせて力を発揮するの。だから、密かなる祈りというのがそう。必要なだけの力しか発揮できない。

だから、末端に行くほど、小さい力で助け続けないとダメなの。そうなったら、どれだけ大変か。
大きい苦しみを自分も背負いながら、その中でみんなを助け続けるすがたを取らないといけない。
まず、天岩戸を開いて、光のルートをつけて、そこへみんなが来られるように、細かい道を全部つけてこないとダメ。
道が出来たからみんなそこを目指して歩いて上がってくるかというと、違う。
引っ張ってあげたり、押し上げたりして、順番に自分もそこまで降りないとダメ。でも、みんな助けを待っているの。

大体、地震に潰されて、災害に遭うと、自分で、自力で脱出して、変えていこうとする人は僅か。
大抵は、待っている。助けに来てくれるのを待っている。誰も助けに来てくれない。この世ですらそう。
地獄のどん底なんて誰が助けに来るの?そしたら、地獄まで誰が助けに行くか。一人でもいたらすごいこと。
自分がこの地獄の苦しみを味わいながら、背負いながら、なおかつ、周りの苦しんでいる人を引っ張ったり、押し上げたりして、助け続けないとダメ。

だから不可能って言ったらダメ。不可能と言えない。その苦しみをこの世で万分の一に変えてもらっても、
そういう業の振り替えをしたら、万病を抱えた状態で、ずーっと苦しみ続けて、痛み続けて、体をボロボロにしながら祈り続けて、耐え続けるの。
でも、それをしないと、救われていかない。

この世の色んな移り変わりを見ているけど、浅い小さいものではない。大きい神さまの大菩薩行として使う時は、ありとあらゆるすがたを取る。
それも限られた時間で、限られただけの必要な仕事を全部こなさないとダメ。限られた時間というのが大事。
本当は、もっと早くというのが大事だけど、ギリギリの最後の限られた時間がある。
本当は、一瞬一瞬新たに、というぐらいの、無限のスピードでさっとして、必要なものがさっと出てくるのが本当なのだけど、
虚の世界の下の方はそこまで行かない。時間が長くなっているから。それでも、ギリギリのところの時間がある。
それまでに助けないと、絶体絶命の死ぬという状態に置かれた時は、それまでに助けてあげないとダメ。

そういう状態に置かれたときに、自分が何をするか。お祈りだけしていてもダメ。
お祈りだけしていても行動に移さなかったら、本当の力を発揮できない。もちろん、お祈りがなかったら何も出来ない。
お祈りがあって、なおかつ神さまの助けが自分を通して出て来て、大きい力を発揮してこないと、現実に虚の世界を全部救うわけにはいかない。

子供が学校に行く時に、あと5分で学校にたどり着けるかどうか。遅刻すると思った時に、座って祈ったら遅れる。
全力で走らないとダメ。祈りながら走ったら、瞬間移動するかもしれない。不可能が可能になるかもしれない。
でも、座って祈っていたらダメ。具体的なものが、働きが絶対に必要になる。


(平成25年11月2日のお話 第1部@)