真のありがとうございます 

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虚の世界はいかにジグソーパズルをバラバラにして、混沌としているか。きちっと配列されていない。
だからもう一回、配列しなおすために、ジグソーパズルをはめ込む練習をしているの。
違いを見抜いて、ピタッと合うところへはめる練習をしている。その練習が、やっぱり神さまの愛のプレゼントの違いを見極める力になる。

だから一瞬一瞬、新たにっていう言葉も、本当はものすごい言葉。その一瞬も無限分の一秒って限ったら、ものすごいこと。
一秒で無限通りに変化するんだし、一瞬一瞬新たにっていうのは、全部ガラッと変わっている。
同じものが続いているのとは違う。だから過去を掴む、思いの心の残像の見方が、いかに間違った愚かな生き方か。
過去を掴んだらダメ。ありがとうございますは、常に新たに新たに、受け直していないと。

本当の真剣勝負になるの。一瞬一瞬が、真剣に受け取る、受け止めるっていう真剣勝負。
だからこの違いを見極めて、違いがよくわかるようになる自分っていうのは、本心の自分に戻るために一番の道なの。
違いがわかるほど、本心に戻っていると思えばいい。心境が高くなっている。最後は、一瞬にして全体像が把握できないとダメ。
全体の大きい地図。地図っていうと形でとらえてしまうけど、本当はそういう地図ではない。
心で一瞬に、直観で見る地図。一瞬一瞬変化する地図。

だから例えば一つの将棋の対局を、一瞬にさっと再現できたらいい。一つの対局でもそう。
それがまた沢山対局した、例えば一万回対局したその全部が一瞬に出るぐらいになったらいいの。
そうすると、新しい対局の時に全部役に立つ。一番の最善手を探すのに、一番の役に立つの。地図で言うと、迷わずに行く道。
地図になっていたら、絶対迷わない。目的地にさっと行ける。でも地図がなかったら絶対迷う。
あちこち試行錯誤しながら探さないとダメだから。だから地図作りというのも違いを知る勉強になる。
違いがわかっただけが地図になる。一瞬で把握する働きが出来るの。だから色んな地図を作り上げないとダメ。
種類が沢山ある。色んな地図が必要になる。この違いを見極めて、まとめて一つのものにしたら地図になる。

いつもありがとうございますって祈り続けるしかない。新たに新たに、本当に新しいものを受け直さないと、
本当の違いがわからないし、違いを受け取れないし、過去を掴んで、残像の中にはまり込んで、ぼやっとしていたら、みんな同じように見えてくる。
同じように見えるのは、ぼーっとしているから。本当に違いを見抜こうとしたら、サルの顔を見ても違いがわかる。
いつも観察している人は違う。違いがわかる。名前を全部付けている。

もっと小さい物に対してもそう。細胞一個一個も違う細胞って見抜かないとダメだし、原子一個もそう。
水素原子がみな同じって言うのは、人類がみな同じというのと一緒。人類はみな一人ひとり顔が違う。
水素原子っていうのも、集団の名前だから、一個一個の水素原子は全部違うの。もっと細かい素粒子なんかも同じ。全部違う。
だからどこまで違いを認めるか。違いがわかるほど、素晴らしい表現になる。本当に細かいところまで違う風に描かれている絵ってすごい。
一枚の油絵でも、漠然とぼーっと紙に描いてあるのよりも、細かい所まできれいに描いた絵がある。どっちが迫力あるか。
やっぱり違いがはっきり出ている方が、いい、素晴らしい。

そしたら虚の世界だっていうけど、この世を生きている時でも、そのぐらいの違いがわかったら、
神さまの現れの、残像としての模型としての表現であって、無限に素晴らしい。虚の世界だから要らない、はない。
絵の世界でも、実物の世界と比べたら、つまらない絵の世界だけど、絵の世界でも、本当に素晴らしい表現をとった絵は名画としての価値はある。
本物の大自然のすがたでなくても、絵の中の大自然のすがたでも素晴らしい。

そういう意味でこの世も、違いがわかったら、大きいプラスに感じられる。無限のプラスが一杯、となる。
根本が神さまの一大循環の相象(すがた)の真の相象だけど、その一部が映し出されてくるから

だからこの虚の世界も、プラスだけを無限に無限に感じ取れたら、その能力は真の神さまの世界を感じ取る能力になっていく。
だから過去を否定して、この現実を否定してっていうのも、ある時は必要な時もあるけど、
反対に今度は、現実をしっかりと見極めて見つめて、違いをはっきりと分かるようになってという方が、生き方としてはもっと上になる。
これはプラスだけではなく、マイナスに対しても同じなの。

マイナスの世界の見極めが本当についたら、マイナスではない。ゼロ。そのゼロに無限の価値がある。
マイナスの世界を見極めたら、ゼロでも無限の価値が生まれるの。さらにプラスの表現の世界も、その無限倍になる。
だからマイナスから逃げる必要もないの。本当に見極めるっていう勉強だったらそう。違いを見極める自分はどこから来るか。本心の自分。

違いがはっきり分かる自分は本心の自分なの。だからどんどん幸せが大きくなる。心が自由自在になる。
全体を見る大局の場へ立てるの。だから違いを勉強するっていうのは、本心へ戻る勉強。一瞬一瞬、新たに新たに。
これも大きい変化、大きい違い。またすべて空間的にも、無限の無限の広がりがあるっていうのもまた大きい違い。
だから時間的にも空間的にも、大きい変化を見極めて、違いを探し出すって本当に大事なことだと思う。これは幸せ探し。
神さまの方から与えてもらえる幸せを探しているのと同じ。そしたら毎日毎日、全部幸せを大きくするための勉強になっている。
何もかもが全部そう。無駄なものは何もない。この違い探しっていうのはそういう勉強なの。


(平成25年10月26日のお話 第1部A)