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 色んな違いを見極めるというのは、絶対必要なのは、違いがわからなかったら、程度が低い。
違いがわかるほど心境も高くなる。同じとか、同じようだとか、似ているとか、この違いがわからないというのは、
本当の無知と前も言ったけど、無知で程度が一番低い。心境が一番低い。違いがわかるほど、心境が高くなっている。

細かいところまで全部、見極めがついたら本心。だから、過去・現在・未来って、全部見極めがつかないとダメ。
過去だからということは関係ない。全部、大きく見て、無限の昔まで、無限の未来まで、全部見極めないとダメ。
そのくらい能力がないと、本心とはいえない。

空間も同じ。無限の彼方まで、見極めないとダメ。それでいて、無限の小さいものまで見極めないと、
違いが全部わからないと、本心ではない。そのために、色んな問題を見極める勉強。掴んで捉われる勉強ではない。
みんな、どこに問題があるかを見極める勉強をしている。どう見るか、違いをしっかりと分からないとダメ。

例えば、一例として、ここに一万円があるとする。一万円を持っているとする。この一万円は、どういう一万円か?
人を殺して盗ってきた人だったら、盗ってきた一万円と思う。もし、他の人が持っていたら、同じような一万円と錯覚するはず。

これが、どこかの金庫から盗んできたお金かもしれない。道に落ちていたのを拾ってきた一万円。誰かから借りてきた一万円。
働いて得た一万円。誰かに貸すための一万円。過去の貸しを、借りたのを返すための一万円。タダで与えるための一万円。貯金するための一万円とか。

同じ持っている一万円を見て、一瞬のすがたを見て、みんなどう見るか。一つの考えに凝り固まったら、間違う。
自分の先入観で、みんな一つの見方しか出来なかったら、大きい間違いになる。正反対のことを掴んでいるかもしれない。

これは全てに渡ってそう。一瞬を捉えたすがたというのは、全体の流れの中の一部。
神さまの世界は、もう全部充満した動きの流れ。虚の世界は、言葉だけでピックアップして繋ぎ合わせたもの。
全体の充満したものの中から、ほんの一部、無限分の一ずつピックアップして、言葉通りに組み合わせたら、虚の世界の全部のすがた。

だから、どんな場合も、その全体を見抜かないといけない。見抜けた分だけが正しい。ただ見抜けたと言っても、一部しか見抜いていない。
これが本当の絶対の中心から、全ての全てに対して、真の神さまの全てを与え尽くす、与え続けるという本当の与え方にならない限り、
全体がわからない。見極めない。何が必要か見通せない。だから、支え合う、本当の真祈りに戻らないとダメ。
神さまの立場と同じ立場に戻らないと、本心の自分に戻らないと、本当の違いがわからない。
本当の違いがわかる自分に戻るために、この途中の色んな過程の勉強がある。

だから、本心の自分に、大きい本心に戻るための勉強を順番にしていくのだけど、最初は、保育園にも入ってない。
幼稚園にも行ってない。ただみんなに助けてもらっているだけ。わがままを言っているだけ。幼稚園に入って、少し勉強し始める。
先生の言うことを「はい」と聞こうとする。少しは何か勉強する。
小学校に入ったら、これは、声聞の世界。プラスだけを、プラスの言葉だけを選びなさいよという勉強。
中学になったら縁覚。もう全てをプラスにプラスに受け直しなさいよっていう。神さまのお蔭ですというような感じ。
高校に入ったら菩薩。本当にプラスだけを捉えるようになって、それを与え尽くそうとする。循環させていこうとする。
報いを求めずに、与えるばっかり。大学になったら仏の世界。仏の世界。本当の大きい与え方で循環させる勉強。

これでも、まだ虚の世界。これは、まだ本当にプラスを与えてないから。学校に行っている間は、助けてもらっているだけ、訓練。
勉強させてもらっているだけだから、まだ社会に何も還元してない。大学を卒業して、やっと社会人になって、働き始める。
小さい働きの時は、まだ違う。お祈りの仕方も違う。心境も違う。大きく違う。
真実の世界に入ってからが、本当の段階が無限にある。虚の世界の段階は、ごくわずか。
だから、どれだけ真剣に自分を大きく成長させていくか。大きくなるほど、本心。
小さくなるほど、我。新たな自分ほど本心。過去を掴むほど、我の自分。
 


(平成25年10月19日のお話 第2部A)