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 天の岩戸開きというのは、天照大御神様が、本心が、輝き出た状態。
だから、本心の本当の輝き出た人が出ているところが、天の岩戸が既に開いている。天岩戸は、大勢の本心が輝いたら大きく開く。
みんなが本心を輝かしたら、もうそこは天の岩戸が開いて、天照大御神様だけの世界に変わる。

だからどれだけ本心を輝かした人が増えるか。天岩戸が開いてない状態というのは、虚の世界だけという意味。
過去を掴んで、マイナスの言葉を積み重ねて、地獄絵図まで作り上げた。一番下が八寒地獄。氷に閉ざされた世界。
一度氷に閉ざされて、氷に閉じ込められた自分が、本心を輝かせるまでに、どれだけ大きい神さまの愛の助けが必要か。
神さまの助けを受け続けて、初めて、本心が輝いて、天の岩戸が開く。

その一つの大きい山に登る時でも、下からみんな一生懸命登ろうとする。どの道から登っても、頂上に上がる道があるのではない。
どれだけ頂上へ目指して上がっても、険しい所は、道は出来ない。途中でみなストップ。
だから、悟りへの道は、神さまの世界に戻る道は、一つしかない。これは、もう上からみんなが真剣に命を懸けて道を登ってくるのを見ている。
一番真剣なところへ、上から道を降ろしてくる。天の岩戸開きというのは、そういう道。神さまの世界に戻る道。
光の柱、光の道を降ろしてくる。

だから、全てを捨てて真剣に、命を懸けて求めたところへ、神さまの応援が来る。一人ひとりの本当の自由意志を尊重するから。
真の神さまだけを真剣に求め続けて、もうそれだけが全てと定めたところへ、天の岩戸が開かれて、真の神さまが降り立つ。
他を少しでも選んだら、降りない。真の神さまは、絶対降りない。
真の神さまだけって絞り込まないと、絶対みんなの自由意志を邪魔するから、ちょっと顔を出しただけで、他の全部が消える。
だから、絶対それはしない。本当に真の神さまだけって選ばないと、出て来てくれない。出てこられない。
みんなの自由意志を尊重する神さまが、みんなの自由意志だけに応えてくる。

だから、本当に真剣に、全部を捨てて真剣に、真の神さまだけを求め続けたところへ、真の神さまの助けが降りて、天の岩戸が開く。
それが一つの道になって、下まで降りる。だから、沢山ある道は、上まで登らない。
横で繋がっていても、一本道は、どこにあるかを見極めないとダメ。

この一本道というのは、真祈りの道。祈りと真祈りは違う。祈りは、虚の世界の祈り。真祈りが、真実の世界の祈り。
真祈りは、真の神さまの祈り、真の自分の祈り。祈りというのは、与えること。真の神さまは、自分自身を与え尽くす、与え続ける。
それが一大循環の相象(すがた)で現れてくる。だから真の神さまが自分自身を、愛のすがたで与え続けるすがた。これが真祈り。
真祈りを祈るいうのは、神さまの側に立たないとダメ。だから神さまと共に祈る。神さまと共に歩む自分が、本心の自分。
自分の生き方を大きく変化させていかないと。

まず最初は、求める心。求める生き方をとっている。次は、上手に受ける生き方を取ろうとする。
声聞・縁覚は、そう。プラスだけを選ぶ。プラスに全部思い返して、プラスだけに受けるのは、声聞・縁覚。
今度はプラスを与えて行く、菩薩。大きく与えるのは仏だけど。虚の世界の話。

本心の自分の与え方は、真の神さまを与える。支えるというのは、中から支える。
中からというのは、みんな神さまがどこにいるかと聞かれた時に、自分の中と言う。
これは合っているかもしれないけど、案外、間違っているかもしれない。

なぜか?肉体の中と言ったら、大間違い。自分の中という中が、絶対の中心という中だったら正しい。
神さまは自分の中にいると言う。絶対の中心という中にいるのだったら、正解。
だから、絶対の中心から、全てに対して、真の神さまを与え続ける。中から与えるから、本物の支えになる。
芯柱になって、みんなの中に入っていく。それが本心の輝きとして出てくる。真の神さまを与えてもらうことで、中から輝くことが、本心の輝き。
そうすると、一切の我が消える。虚の世界が消える。一大循環の相象になると神さまの世界。

少しでも邪魔するものがあったら、循環が止まるまでいかなくても、緩やかに変わってくる。
本当に必要なだけで、循環しないとダメ。贅沢なのは、余分なものがあるから、循環が遅くなる。止まってくる。
神さまの循環は、本当に、必要なだけを的確に与え尽くす生き方。だから、循環は止まらない。無限のスピードになる。

これが、どれだけスピードが落ちるか。 落ちたら虚の世界。循環が速くなったら、神さまの世界。
地獄なんて、氷雪の八寒地獄なんて、完全に止まりきっている。全然動きもしていない。止まっている。だから、虚の世界の下になる。
どれだけ循環が良くなるか。全てが循環しないとダメだから。

道の問題もその一つの問題。道が、ある期間止まったというのは、止まっているのはダメ。
常に、必要なものが循環しないと、神さまの世界へは近づいていない。
そういう意味で、必要なものが的確に循環するようになることを目指さないとダメ。ここでも最初は、全然循環してなかった。
それを、ここまで循環させてきた。更に、もっともっと循環していかないとダメ。神さまの世界に近づけない。
神さまの世界に近づいたら、本当の完璧な循環になる。


(平成25年10月19日のお話 第2部@)