真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

 

 「同じ」と言う言葉が、なぜマイナスの言葉か?本当の神さまの働きの違いが、本当の大きい違いがわからなかったら、
1番虚の世界の下になる。区別がつかない。違いがわからない。これは、本当の無知。無知というのは、最大の罪になる。
同じだと言ったら、本当のマイナス。大きいマイナス。これは、平気で使ったらダメ。
人間一人一人がそう。一瞬過去の自分、今の自分、未来の自分と見た時に、同じ自分と言ったら、マイナス言葉。
一瞬一瞬、新たな自分。これは、プラスの言葉。

それで、一人の背後に、自分の魂だけが働くのではない。縁者の何十万人かの魂が、やっぱり影響してくる。
憑依したり、中へぐっと入ってきたり色々して、人格がころころ変わる。
その時に何が、どういう姿で出て来るかを見抜かなかったら、同じと見ていたら、これもマイナスの大きい言葉。
背後の違いを全部見抜かないとダメ。ちょうど審神者(さにわ)というような形。
どんな神さまが、神がかりした時に降りているかを見抜かないと騙される。

人の姿も同じ。今、意地悪な人が出て来て、意地悪した。次に、愛深い優しい人が出て来ているのに、この人が意地悪したと決めつける。
これは間違い。だから、本当は、過去は関係ない。今、何が出て来ているか。新たに新たに、今。これが大事な生き方。
これを見極めなかったら、みんなごっちゃにして間違ったことをしてしまう。だから、マイナスの言葉になる。
新たに新たに、真の神さまだけ。本当に真の神さまだけって断定的に使い続けたら1番間違わない。
少しでも、過去を掴んだらマイナスの言葉。過去を言葉にしたら、大きいマイナス。残像の世界を言葉にしているから。
それよりも、真の神さまだけ、新たなるプラスだけと、本当の真のプラスの言葉だけを使い続けて、もっともっとしっかりと唱えないと。
そしたら、本当のプラスが現実化してくる。

新たなプラスだけ、無限の無限のプラスが無限に無限に一杯。本当のプラスばっかり。宇宙大の滝が、大きい光で降り注いでいる。
名前を付けたら、ナイアガラ瀑布どころではない。銀河系瀑布。

本当の真の神さまの世界の一大循環の流れは、本当の無限のスピード。大きいものほどスピードが速い。
小さくなるほど、この動きが小さく見える。ゆっくり見える。虚の世界でも同じ。
大きい宇宙、全体の大きい宇宙の流れは、大きい。速い。凄いスピード。だんだんと小さくなってきて、銀河系宇宙は、緩やかな循環。
大きくなったら、本当にスピードがものすごく速い。これも、真実の世界が模型的に映っている。虚の世界にも映ってきている。
小さくなるほど、止まって見えてくる。だから、その幸せを与える与え方のスピードが、神さまの世界は無限に無限に速い。
今の一瞬、瞬間というより、もっと速い。もう、先に先に与える。もう、先の先までわかっているから。時間がないの。
必要なものは、すっと入ってくる。

そのプレゼントがどんなものかというと、新たなる全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯。幸せ一つでも凄い。
全徳とは、全ての神さまの働き全部。たくさんある。これが全部、複雑に絡み合う。組み合わせたら凄い。
一つのケーキに色んなものがついている。ケーキ一つだけだったら味気ないけど、チョコレートもついている。
色んなものが一杯ついて、そっちの方が多い。だから、新たなる全徳のというのは、ものすごいこと。
違いがわかるほど、真の神さまに近づいたことになる。

形にして掴むというのは、同じことが続いているということ。一瞬、無限分の一秒、過去と今とが繋がっている。掴んで止めている。
形にしたら、全部同じと言っているのと同じこと。この世の人はたいていそう。
昨日の自分と、今日の自分と、明日の自分が同じと区切ってしまうのも、ものすごい掴み方。
今の一瞬、一瞬でも、同じと見たら掴んでいるのに。形を掴んだというのは、大きい間違い。
いつも新たに新たに、本当の神さまのすがたを受け直さないと。同じ受けるのでもそう。
それよりも与える側に立たないと。循環を止めてしまう。やっぱり与え続けてこそ、循環が速くなっていく。
だから、与え続けるというのが一番の大事こと。

みんな言葉通り。言葉だけ。だから、しっかりと言葉を選んで使うこと。本当の真のプラスだけって言い続けることが大事。
横線のないプラス。縦線だけのプラスは降り注ぐプラス。無限のスピードで、降り注ぐプラス。これが縦線だけのプラス。
絶対止めないこと。横線をつけたらダメ。だから、新たなプラスばっかりって言わないと。掴んだら、マイナスの付いたプラス。
本当に言葉通りに受ける。言葉通りの受け方しか出来ない。

与え続けた時は、無色透明の自由自在心の自分の中を、通り抜けている。通り抜けた時の本当の受け方が、中身の伴ったものを受けている。
外からだと表面だけ。表面だけ受けるのは、五感や六感と同じ見方。違いも何もない。表面の浅いところだけを感じているだけ。
中身が全然わかってない。与え続けて、中身の伴った受け方。無限倍になる。

だから、与え続けて、自分の中を通り抜ける、与えた分だけ補充してくる。神さまは、後押ししてくるから。
自分の中を通り抜けた時の受け方が本物、一体化した受け方。自分として受けるから、全部わかる。
太陽の光も、外から受けたら一部しか受けられないけど、自分が太陽になった時、太陽の光源の光を全部受ける。
だから天照大御神様が、自分の中を通り抜けたらいいだけ。与え続けないと、祈り続けないと。

真の神さまを与え続けるのが、ありがとうございます。だから、ありがとうございますがどれだけ大きいかっていう、本当の確認が大事。
やっぱり最初は、単なる感謝・お礼の言葉しか、みんな見てないから、小さく小さく落としている。
真の神さまの名前と言っても、まだ小さい。中身がまだ伴ってないから。
だから、真の神さまという本当の中身を言葉にして、それをしっかりと捉えないとダメ。
本当の違いを、言葉によってしっかりと表現しないと、区別できない。直観が冴えない。


(平成25年10月12日のお話 第2部A)