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  道というのは、離れているものをみんなつなぎ合わす働き。道があるというのは、全体が一つに繋がる。
道がなかったら、バラバラ。離れたまま終わってしまう。だから、どんな場合も、道が必要になる。大事になる。
その全てがつながる道がいい。道が止まるというのは、循環が止まるということ。虚の世界は、循環が止まっている世界。
それを真実の世界に戻すというのは、循環を止めたらだめ。だから、全ての道が開通してないと。

道が塞がれているというのは、やっぱり、まだ虚の世界の心境に、マイナスが、止めるものが何か残っているから。
救う側から見ても、救われる側から見ても、両方にまだ、止める何かがある。
真実の世界のすがたがどんどん降りてきたら、両方がやっぱり開いて開通する。やっぱり両方からのお祈り、努力が必要になる。
神さまも救う側に立ったら、みんなが早く来られるようにしたい。

冬の期間、道が封鎖されて除雪できなかったら、誰ひとり歩いて来られない。本当は、除雪も大変。
ここは、年間4〜5m、雪が降る時もある。1回降って、除雪しなかったら、雪が凍り付いて、今度は後で除雪しようと言っても、
凍った氷が除雪できない。どんどん積み重なっていくから。11回、アスファルトが出ていたら、凍らずに減らしていけるけど、
1回休んで凍って今度積み重なったら、車も通れなくなる。除雪ができなくなる。固くなったら、氷はもう除雪できない。雪だったらできるけど。

ここでも年間、相当降る。回数が多い。除雪車でも、多い冬は230回は出る。でもこれも、ある意味では、虚の世界のお清め。
氷に閉じ込められた、八寒地獄の人を救わなければならないとなったら、除雪も必要になるの。
祈りながら除雪をするというのも、そういう働きの1部になっている。
でもいつまでもそんなことをしていたら、虚の世界全部を救うことはできない。
早く道が開けるように、やっぱり、努力していかないとダメ。それも早い方がいい。

まず、カーナビに通行止めと表示されたら、みんなそれを信じて来ない。
それで、道路の両端で、通行止めと看板出されたら、まず、それを信じる人が多いから来ない。
ここの事情がわかった地元の人でも、その言葉に影響される。
だから、そういうことを信じない、無視できる人は自由自在に、バリケードが張られていても、どけて来る。
実際、工事と言っても、工事のしていない時間帯、日にちがあるから、その時は、実際の工事のところを通り抜けて来る。
そこまであつかましい人は、大丈夫。そういう人がたまにいる。

だから、地元の人は、事情の分かった人は、自由自在に通り抜けをしようと思ったらできる。まず、台風で土砂崩れが起こっても、うちだったら、ちゃんと自分たちが通れるように、土砂をどけて道を通れるように変えてしまう。後のちゃんとした補修なんかは、うちが勝手にできないから、県が責任を持ってやるけど。ただ、うちはどんな時も通れるだけはちゃんとする。

除雪も同じ。県は封鎖してしまうけど、うちが除雪してしまうから、どんな時も車が通れるようにしている。
ただ、それが、通行止めの看板を出されたために、やっぱり、言葉の力って凄い、力が強い。
もう、言葉に負けたら、もう通れないと思いこむ。だから、郵便局でも宅急便でも、看板が出されたら、行きませんとなる。
そういうふうに変わってしまう。JAFでも、途中で車がはまったり、故障した時に呼んでも、来てくれない。
通行止め区間だから、行けませんとなる。実際、通ろうと思ったら通れる。救うために、救出のために行くのだったら行かないとダメなのに、来ない。
それは、言葉の力。マイナスの言葉をいかになくすか。これも祈りの力で消していかないと仕方ない。
みんなの祈りがどれだけ深まったか、バロメーターになるかもしれない。だから、本当の祈りの力がいる。

  
(平成25年10月12日のお話 第2部@)